【4】 ヴィド卿の屋敷は、セニエティの貴族達の住居が並ぶ高台に近い居住区の中でも、一際目立つ城に近い位置にある、門構えからして来る者を威圧するあきらかに他の屋敷とは地位の違いを見せる大きな建物だった。 中に入ればその大きさだけでなく、贅を凝らした装飾品や美術品が並び、居並ぶ使用人達が主の帰りを迎える。屋敷の大きさだけならまだしも、中の様子に関しては、質実剛健を絵にしたようなシルバスピナの屋敷とは同じ貴族とは思えない程の違いがあった。但し、それについては、そもそも、シルバスピナ家の方が貴族としては異端なのであるが。 それでも、あの殺風景な屋敷に慣れたシーグルとしては、このような貴族らしい建物の中の方が息苦しさを感じてしまう。 シルバスピナの家訓として教えられてきた事、力を持ちすぎなければ堕落する事もないとして、徹底して政(まつりごと)から離れ、領地の金はまず領民の物として領主の贅沢を禁じたそれは、他の貴族達から馬鹿にされても、シーグルにとって誇りもであった。状況的に強制されたシルバスピナの次期当主としての立場であっても、そう教えられて来たからこそ、反発せずに指示されて来た事を受け入れる事が出来た。贅沢に溺れ、騎士としての本来の役割を見失った多くの貴族達を軽蔑の瞳で見下し、自分が正統なる貴族騎士だという誇りを持つ事が出来た。 それでも、ヴィド卿程の地位になれば、こうして贅を見せつける事も重要なのだろう。 シルバスピナ家が他の貴族達と違う道を歩んでこれたのは、政から離れ権力争いに一切関与しないでこれたからに他ならない。宮廷貴族達にしてみれば、贅沢をする事もまた、自らの権力を見せつけて、敵陣営を牽制する意味があるのだろう。 ヴィド卿が屋敷に入るとすぐ、使用人の中でも筆頭らしき者に呼び止められ、何事かを耳打ちされた。どうやら客が来ているらしい。 彼の表情からしてあまり歓迎される客人ではないようだが、暫く考えた後、ヴィド卿はその使用人にシーグルの事に関して指示をすると、僅かに急いだ様子で屋敷の奥へと去って行った。 「シーグル様、まずはお召し物を着替えて頂く様、我が主から仰せつかっております。こちらへお越し下さいませ」 使用人の男に促されるままに、シーグルは別室へと歩いて行く。 ぽたぽたと自分から滴り落ちる水滴が床に残す水の跡を見て、ずぶぬれの自分に貴族の誇りもないものだと思いながら。 体を拭かれ、用意された服に着替えたシーグルは、客室の一つに通された。 出された服は、勿論甲冑や鎧下などの騎士装備の筈はなく、貴族が普通に着るような金糸の刺繍やレースがあしらわれた装飾の多い衣装だった。正直なところ、分かってはいても、見た途端、シーグルは着る事を断りたくなったのだが。 とはいえ、ここまできてそれが許される筈もなく、大人しくされるがままの格好をしたシーグルは、着慣れない服と豪華過ぎる部屋に酷く居心地の悪さを感じていた。 出来ればまだ、乗馬か狩り用の服でも貸してくれればよかったのだが、とは思いはしても、立場的に意見する事など出来る筈がない。ただでさえ馬車に乗る際に不興を買っている分、これ以上何かを言えば確実にただでは済まない。 だが。 セイネリアは、それでもヴィド卿に近づくなと言ったのだ。 あの男が重ねてあれだけ忠告するなら、ヴィド卿の失脚はおそらくほぼ確実に起こる事なのだろう。 それでも、今のこの家の権力的地位を分かっているシーグルとしては、何が起こって、もしくは何を起こして、ヴィド家の失脚などが起こり得るのだろうと疑問が浮かぶ。スキャンダルにしても、余程の事でもないと地位を揺るがすまでには至らないだろうし、そもそもヴィド卿なら殆どはもみ消せる筈だった。 簡単に取り得る効果的な手段としては暗殺だが、セイネリアはそこまで直接的な手段はまず取らないとシーグルは思う。 ――ならばどうやって? 権力を示す、豪華な部屋を隅々まで眺めてシーグルは考える。 セイネリアは、何をする気なのだと。 そうして、部屋に用意された長椅子に座って部屋を見渡していたシーグルは、突然聞こえた女の悲鳴を聞いて立ち上がった。 ――何処からだ? 耳を澄ませれば、微かに若い女性らしき声が聞こえる。 「お許しくださいッ、助けてッ、助け――ッ」 女の声はそこで途切れる。 だが、今の声でそれが何処から聞こえてくるのか分かったシーグルは、広い部屋の中にある三つの扉の内、一番廊下から遠い扉に向かって急いだ。 慎重に扉を開こうとすればそれは開かず、恐らく鍵が掛かっているものと思えた。だからシーグルは一瞬考えた後、音を立てないように扉に背を付けて屈み、ドアの鍵穴からそうっと向こう側を覗いてみた。 そして、息を飲む。 床に転がっている二つの屍。 だが、屍というよりも、それはまるでミイラのように体の全てから水分が抜けて皮と骨だけになったような異様な姿をしていた。辛うじて、それが着ている服から元が女性だったのだとは分かるが、まるで人間の干物のようなそれはどうみても異常な屍だった。 恐らく、先程の悲鳴は彼女が上げていたのだろう。 直感的にそう思ったシーグルは、更に穴を覗き込み、そうして瞳を見開く。 うっとりと、恍惚に身を委ねるように自身を抱き締めて、笑みを浮かべる女。 その右手の甲にある蝙蝠の刺青。 魔性を秘めた瞳。 何故ここに彼女がいるのだと思いつつも、彼女がしなを作って寄りかかる男を見れば、その理由もすぐに理解出来た。 「やっぱり、若い女の生気が一番肌に馴染むわね」 「フン、何時見ても気味が悪いな」 女はもちろんエルマ、そして男はヴィド卿その人だった。 つまり、彼女がヴィド卿に来た客なのだろう。 「それにしても、死んでも構わぬような若い女など、西区へいけばいくらでも好きに食えるだろう、態々そんなモノ要求せずとも……」 「それでもいいけど、死体の処理が面倒だし、そう度々やると足がつくのよ。人間の生気を直接奪う事はギルドの方で禁止されているから、見つかったら追われる立場になっちゃうわ。その点、権力者様達は死体処理なんてお手の物だし、魔法ギルドに目を付けられる事もないもの」 それは、あの無残な遺体の犯人が彼女である事を示していた。 そして、ヴィド卿が彼女の為に死んだ女性達を用意した事も。 それらが示す事から考えれば、エルマ達を操って王子達を襲っているのは、ヴィド卿が黒幕である可能性が高い。 廃屋の中で聞いた声の話からすれば、どの陣営もエルマの組織と繋がっている。だから、ヴィド卿が真の雇い主ではない可能性も残ってはいる。 だが、先程街で会った様子からすれば、彼女があの蝙蝠の組織の頭、もしくは幹部である事は間違いない。ならば、最初から殺す気もないウォールト王子が彼女の担当になったというのも理に適っている。 シーグルは考える。 セイネリアも言っていた通り、王位争いの現状、どこの派閥も暗殺者程度は雇っている。別にヴィド卿だけが特別汚い手を使っている訳ではない。 けれども、実際エスカリテ王子を殺した黒幕はヴィド卿で、何より魔女を雇う為に罪もない人間を攫って殺している。シーグルの気持ち的には、ヴィド卿はともかく、人の生気を食うエルマは魔物以上に存在が許せなかった。 ただし、だからといってもどうすればいいというのか。 考えて、一瞬、シーグルの頭に思い浮かんだのは、セイネリアの顔だった。 彼がヴィド卿を失脚させる為に何か動いているのであれば、この事を伝えれば、少なくともヴィド卿とエルマの凶行を止める事は出来るかもしれない。 だが、ここでシーグルは、力のある魔法使いというものがどういうものであるか、用心深く考える事を怠った。 だから、ヴィド卿と話すエルマの瞳が、じっと楽しそうにシーグルのいる部屋の扉を見ていた事に気付かなかった。 彼女は杖を扉に向けて掲げる。 そして、呟くように小さな声で呪文を唱える。 途端、セイネリアに放ったものよりもずっと小さな光の輪が、扉に向かって飛んで行く。それは扉の隙間に刺さるように入り込み、扉の持ち手がカタンと小さな音を鳴らした。 「覗き見に盗み聞きなんてらしくないじゃない? ねぇ、騎士様」 --------------------------------------------- シーグルさんピンチ。ってとこで次回へ。 ちなみにクリュースにおいて、貴族間には爵位みたいな明示的な位の違いはないです。 なので皆、〜卿と呼ぶのが普通。ヴィド卿みたく公爵級の人になると、殿下がついたりする事もあるくらいです。 |