フェゼント(兄騎士)の過去とテレイズ(兄神官)の悪巧みのお話。 【1】 兄が何の仕事をしてるかウィアはよく分からないものの、神殿から与えられた家は必要以上に大きい。おかげで広すぎてウィアとテレイズは殆ど2階だけで生活している感じで、つい最近まで1階の部屋は全部物置だった。少し前に、ウィアの友人で同じく準神官であるヴィセントが下宿するようになった所為で、どうにか人の気配はするようになったが、彼は本の虫で滅多に部屋の外に出てこない。なので、結局1階は生活感のない空間になっていた。 広すぎる家で生活していて、問題となるのは掃除だった。食事などは兄弟で気が向いた方が作ればいいし、洗濯は基本各自でやるとしても、無駄に広い家の掃除はやたらと手間がかかる。そんな訳で、兄が人を雇って掃除だけはさせていたのだが、フェゼントへの嫌がらせの為、兄に言われて彼らも暫くは来ていない筈だった。 ただ、掃除はされている気がする、と1階の廊下を歩いてウィアは思った。 フェゼントが倒れた後、掃除はされてない筈だから、ちょっと汚れているだろうと思ったウィアは、だからこれはフェゼントが回復した所為なのかと思った。それなら、話もしやすい。 そういえば、とウィアは考える。 テレイズの無茶すぎる要求にも、フェゼントは相当がんばって家事をこなしていた。冒険者で騎士なんていう割に料理も掃除も得意なようで、兄でさえ少し感心していた気さえする。 だからもしかしたら、フェゼントも兄弟で住んでいて、普段から家事をやっているのかと思ったのだ。居候といっていたから、居候させてもらっている代わりに家事をしているとか、自分達の分は自分達でやっているとか、そんな姿をウィアはフェゼントとその弟の生活として想像していた。 でも、フェゼントとシーグルが、仲良く家事をする姿というのがどうもピンと来ない。 一緒に生活をしてる兄弟というには、シーグルの反応はなにか……余所余所しい感じがした。だから違和感を感じたのだ。あの感じは、単純に仲が悪いとか今は喧嘩中という程度の理由ではない気がした。 「フェーズー、ただいまー、いるかなー?」 1階の、フェゼント用にした部屋の前でちょっと大きめの声を出しながら、ウィアはドアをノックする。 するとすぐに部屋の中で急ぐ足音がして、ドアはほとんど待たずに開かれた。 「おかえりなさい」 もう熱はすっかり下がって体調が良さそうな事は、その顔色と服装で分かった。 とはいっても、さすがに家の中で冒険者らしく鎧姿という事はない。だが、もう寝間着ではなく普通の家着を着ていたから、起きていられるくらいには回復しているのだろうと思う。 「もう、体は大丈夫なのか?」 「えぇ、すいません、心配させて」 ウィアの姿をみて柔らかく微笑んだものの、その表情を見た途端に、フェゼントの顔から笑みは消える。 「あの、さ。フェズ、話があるんだけど……」 明らかに表情を曇らせたフェゼントを見ると、失敗したなとウィアは思う。どう聞けばいいかと考えていた所為で、それが自分の顔に出ていたらしい。嘘がつけない性質のウィアとしては仕方ない事ではあるのだが、思わず後悔する。 フェゼントはやはりという表情をした後、軽く溜め息をついてウィアに聞き返してきた。 「彼はどこまで話しました?」 その、自分の弟にしては随分と他人行儀な呼び方を聞いて、ウィアはぎゅっと掌を握る。事情がありそうだというのは、それで確定だった。 「フェズの弟だってのは聞いた。……それ以上は、何も」 フェゼントの顔は、苦しそうだった。手を胸の前で握り締め、僅かに目を伏せるその顔は、哀しいというよりも苦しそうだった。 一方、思い出せばシーグルにフェゼントの話を聞いた時は、彼は明らかに哀しそうだった。 似ているようで、微妙に違う反応の差はなんだろうとウィアは思う。 けれどフェゼントは、そうですか、と答えた後、じっと何かを考えるような顔で黙ってしまった。 「言い難いなら、無理にとはいわないけど、さ。シーグルはフェズのこと、嫌ってないと思うぞ。だから、仲直り出来るならしたほうがいいと……思う」 フェゼントは顔を上げてウィアを見ると、苦しそうに微笑む。 「彼に兄と呼ぶなといったのは私です。だから、私は兄と呼ばれる資格はないんです。……全部私の所為です、私が悪いんです」 そういって、下を向いて肩を震わせるフェゼントに、それ以上詳しく聞く事はウィアには出来なかった。 分かってはいたものの、相当に事情は難しそうだと思って、ウィアは思わず天を仰ぐ。 ウィアは、可哀相なシーグルを見て、兄フェゼントとの問題をどうにかしてやりたいと思った。 だから事情を聞こうと思ったものの、フェゼントからこれ以上話を聞く事は出来ないだろうとも思う。……少なくとも、今は。こんな顔をしているフェゼントから無理に話を聞き出す事はウィアには出来ない。 事情が分からないままで首をつっこみすぎるのは、大抵良くない結果を生む、という事は、ウィアでも容易に予想出来る。つまり、現状だと、ウィアに出来る事はないと結論づけるしかない。 ――なら今はまだそん時じゃないって事だよな。 普通ならこのもどかしい状況に思い悩むところであろうが、ウィアは楽観主義者だ。 難しい問題程、解決する時でなければ何をやっても無駄だから気にしないに限る、と結論づけて頭を切り替えられる。 だから今出来る事といえば、出来るだけ彼らの気持ちを楽にしてやるくらいしかない。 「フェズ」 顔を上げるフェゼントに、ウィアは安心させるように笑ってやる。 「今はいいよ。でも、話せるようになったら話してくれ。俺、シーグルはいいやつだと思うし、ウィアのことは大大大好きだからさ。二人が仲いい方が俺は嬉しい。どうにかしたいと思ってる」 「ウィア、でも私には……」 言い返そうとしたフェゼントの口に、ストップをかけるようにウィアは掌をあてた。 それから目だけで訴えかけるフェゼントに、ゆっくりと落ち着かせるよう、穏やかな声で言う。 「急がなくていいんだ。フェズが落ちいて考えられるようになるまで、ゆっくり時間を掛けて、少しづつどうにかしてけばいいんだからさ。……時間ってのが人の気持ちに掛ける魔法ってのはすごいんだぜ。今は絶対に無理だと思った事だって、時間が経てば痛みも減るし、立ち向かう勇気だって出てくる。俺はフェズとずっと一緒にいて、一番に力になりたいからさ。話す気になったら教えてくれ、二人で少しづつどうにかしていけたらなって思ってる」 「そう、ですね……」 力なく笑おうとするフェゼントの手を取って、今度はウィンクしてみせる。 「なんて、俺もたまには神官らしい事いうもんだな、って我ながら思ったけどな」 いってから、ちょっと照れて頭を掻くウィアに、フェゼントはくすりと笑う。 前よりも彼の表情が和らいだのを見て、ウィアは少しほっとした。 ……苦しそうな顔のフェゼントも可愛いなぁ、とかどこかで考えていたのはおいておいて。 とりあえず、今出来ることがないならば、いつまでもフェゼントに暗い顔をさせたくはなかった。何度もいうがウィアは楽観主義者なのだ、今どうにか出来なくても、いつかどうにか出来るくらいで深く悩む事は滅多にない。 今回の件も、確証は何もないけれど、なんとかなるだろ、と思ってしまうあたりはお気楽思考なのだった。 「で、まぁ、さ。その話は今はここまでって事で。あのさ」 いってすぐに、ウィアはフェゼントに抱きついた。 「ウィア?」 驚いて、抱きつかれたまま棒立ちになってしまった、フェゼントの肩に頬を摺り寄せる。 「三日もフェズと会えなくて寂しかった〜って事で、俺としては思いっきりいちゃいちゃしたい訳なんだけど」 「い、いちゃいちゃ……ですか」 ちらりと顔を上げると、フェゼントの顔が真っ赤に染まっている。 それでも嬉しそうな事は分かって、ウィアは調子に乗ることにした。 「だってさー、折角フェズが家に来たのに兄貴のおかげで全然一緒にいられないしさー。そんで仕事で一昨日の朝からフェズに会えなかったんだからさ、コイビトとしてはすっごーく寂しかったんだぜ」 と、ちょっと意識してその大きな目で上目遣いにフェゼントを見つめて、お願い、の表情をしてみる。 実際、ウィアはこのところ思い切り欲求不満だった。 元々は兄に見せつけるつもりで家に呼んだのに、兄がフェゼントを振り回した所為で、まったく恋人同士の甘い時間を持てなかった。 「お仕事終わってお疲れーのご褒美が欲しいなっ」 いいながら甘えれば、苦笑したフェゼントがウィアのおでこにちゅ、と軽くキスをしてくる。 ……うん、これはこれで嬉しいけど、と思いながらも不満を感じつつ照れて顔を赤くするウィアは、自分のその反応も少しばかり不思議だった。 少し前のウィアは、フェゼントにはいえないくらい爛れた生活をしていた。 ちょっとでもいいかなと思った相手とは誘われれば平気で寝ていたし、その方面で恥ずかしいと思う事などなかった。 なのに、相手がフェゼントで、しかもセックスどころかキスや抱き合う程度の軽い触れ合い程度で、度々恥ずかしくなって居たたまれない気持ちになる自分が理解出来ない。 何処の処女だよ、と自分につっこみを入れたくなるくらいには、ウィアは最近の自分が理解出来なかった。 でも、それは勿論嫌な事ではない。 ただ只管に照れくさくて、嬉しいのだ。 だから、多少の欲求不満を体が訴えていても、なんだか気持ちが満たされて我慢出来てしまっている。 それでも、やっぱり体はいろいろ溜まっているのであるが。 「なぁ、フェズ」 恥ずかしさを振り切って、ウィアが再びフェゼントの肩に顔を埋める。この体勢は真っ赤になっている顔を隠すのにも都合がいい。 「なんですか?」 フェゼントはウィアの背中を優しく撫ぜている。 「キスだけじゃなくて……フェズが欲しいん……だけど」 言えば撫ぜる手はそのままに、フェゼントが苦笑しているのが気配でわかった。 「ウィアは疲れているんじゃないですか? それにここでそんな事したら、テレイズさんに申し訳ない」 兄の名を出されると、反射的にウィアは顔を顰めてしまう。 顔を思い出すだけで、反抗心が起き上がってくるのも仕方がない。 「兄貴はいいんだよ。あいつ俺がいるのに、とっかえひっかえ彼女も彼氏も連れ込んでヤってるんだからさ。あいつがそれについて文句いう資格はないんだ」 勢いのまま顔を上げてそういえば、フェゼントが目を丸くしてウィアの顔を見つめる。目が合った事で、一瞬声が止まってまた恥ずかしくなってしまったウィアだったが、今度はそれを振り切って、フェゼントの顔をみたまま言葉を続けた。 「そうじゃなくって……それが問題なんじゃなくって……あの、そのさ。フェズが欲しいって……その、俺がフェズの事を抱きたいっていったら……やっぱ、嫌、かな」 瞬間、フェゼントの顔が強張ったのがウィアには分かった。 だから急いで言葉を付け足す。 「いや、その無理にって訳じゃないんだ。俺が下でもすごく幸せだし、それが嫌だって訳じゃないんだ。……ただ、大好きだから、俺もフェズを愛したいって思ってさ、だから……」 ウィアを見る、フェゼントの顔は辛そうだった。 その顔を見れば、了承の返事が来ない事はすぐに分かる。それはとても残念だとは思うものの、今のウィアはそれよりも、彼にそんな顔をさせてしまった後悔の方が大きかった。 ――急がない、もっとちゃんと分かりあえてからって、思っていたんだけどな。 少しばかり焦って言ってしまった自分に後悔する。 どうしよう、と途方に暮れているウィアを、だが優しい手つきで今度はフェゼントが抱き寄せた。 「すいません。大好きです、ウィア。貴方に抱かれるのは嫌ではないんです。……でも、もう少し待ってください。もう少し、私が……」 いいながら、ウィアを抱くフェゼントの体は震えていた。 それでウィアには大体予想がついてしまった。 フェゼントは恐らく、前に無理矢理誰かに抱かれている。 彼の容姿を考えれば、そんなことがあったというのは納得の出来る話である。 冒険者というならず者の多いこの国は、一見上手いバランスで治安が保たれているように見える。確かに、法に触れるような犯罪はそこまで頻発してはいないし、騎士団や警備隊によって、いざ何か起こった場合の鎮圧や犯人の捕獲もかなり成功している。 けれども、重犯罪を防いでいる理由の一つである、冒険者同士の暗黙の了解というのがそもそもあまり性質のいいものではなく、所詮はごろつき達のルールよりも多少はマシという程度のものだ。 それを分かっているのか、この国の法も、実はかなり冒険者同士のトラブルに関しては緩くなっている。国の治安を守る為に、一部の犯罪は罪に問わないような作りになっているといってもいい。 例えば、人が人を襲った場合、襲われた人間側が自衛出来るような状況であればあるだけ罪が軽くなるとか。腕の立つ冒険者が一般市民を襲ったら罪が重くなるが、同レベルの冒険者同士の争いは、死者が出ても殆ど罪に問わない、というくらいに極端だ。 フェゼントは男で、更に騎士で戦闘能力があるとされるから、強姦くらいなら襲った側も殆ど罪らしい罪にはならない。 だから、そういう手合いに狙われて当然ではある。……同じ事はシーグルにもいえて、冷静に今になって考えてみれば、この間のような状況では特に、セイネリアという騎士がシーグルに何をしても一切罪になることはないだろう。 その辺りの話は、冒険者になる前に、テレイズに嫌という程ウィアは聞かされた。 ウィアが冒険者になった当初、割と誰とでも関係を持っていたのも、自分なりの自衛の一つではあったのだ。 ――まぁ、兄貴の場合は心配しすぎて……聞くだけじゃ済まなかったけど。 ウィアは自分のうしろめたい部分を思い出して、口元を歪める。 「いいんだ、フェズ。俺の気持ちを分かって貰いたかっただけだから。無理をいう気はないんだ。急がなくていいって言ったろ、俺。フェズがいいって思うまで待ってるからさ」 そうして今度はウィアの方がフェゼントを宥めるように背を撫ぜると、彼の体の震えは次第に収まっていった。 それにほっとして、ウィアはフェゼントの体をきゅっと抱き締める。 「じゃ、俺が下でいいからさ。やろーぜ、な、フェズ?」 茶化すくらいの明るい声でいうと、フェゼントがくすりと笑ったのがわかった。 「本当に貴方は……」 「俺、相手がフェズならどっちでもいいんだよ。俺のこと愛してよ、フェズ」 言いながら自分でも恥ずかしくなって顔が赤くなったものの、この体勢なら顔が分からないからいいんだと開き直る。 けれども、フェゼントはゆっくり体を離していって、ウィアの顔を見て目と目を合わすと、にっこりと笑って両側の頬に触れるだけのキスを落とした。 「疲れているでしょう、今日は大人しく寝てください。それにやっぱりまだ認められていないのに、ここで貴方を抱きたくはないんですよ」 ウィアは顔を赤くしたまま、思い切り口を尖らせた。 だが言われれば体も疲れを訴えていたのは確かではあったし、ここまでいってだめならば、諦めるかという気分にもなる。 「んじゃ今日は諦める。でも、いちゃいちゃはしよう、フェズ。今日は俺もここで一緒に寝る。セックスはなし。でもいちゃいちゃしながら一緒に寝よう。そこは諦めないからな!」 鼻息も荒くいい放てば、フェゼントの空色の目がまるく開かれてすぐに笑みに細められる。 「仕方ありません、分かりました」 それでウィアは、またフェゼントに抱きついた。 確かに、ここで最後までやったら、部屋の外で兄が聞いていたりとかありそうだし、などと頭の片隅で思いながら。 |