悪巧みは神官の嗜み





  【2】




 ――そして、ウィアが思った通り、テレイズはフェゼントの部屋の前にいた。

 いっておくが、最初から盗み聞きをする為にテレイズはここへ来たのではない。
 あの後、ウィアにもう一言言いたい事を思い出して彼の部屋へいったのだが、誰もいないのでここかと思ってきたところ、中の話がテレイズにも聞こえてきたというだけだ。
 だが、つもりはなくても聞いてしまった事には変わりはない。
 そして、聞いてしまったからには、テレイズが心中穏やかでいられる筈はなかった。

「ウィア……流石にお前は軽すぎだろう」

 親代わりの兄としては、普通ならここで『そんな子に育てた覚えはありません』というところだろうが、テレイズの場合は『そんな子』に育てた覚えが大いにあった。
 まぁ、育て方を間違ったのかもしれない、とはテレイズも思うが。

 冒険者、というならず者達のモラルは低い。
 ウィアみたいな見目の可愛い男が何も知らずに冒険者になれば、余程運がよくない限り、まず大抵男に抱かれる経験をする事になる。
 テレイズも短期間ではあるが、神殿勤めになる前に冒険者を暫くして、そしてその時に初めての経験をした。昔から弟にはいいところしか見せてこなかったテレイズは、その実相当にスレた性格をしていたので、その疑い深さと頭の回転の速さで無理矢理襲われるような事はなく、合意の上でコトに至った。その為、経験後も特に心に傷を負う事もなく、それどころかその行為自身を利用するようにさえなったが、それはテレイズだったからだ。
 見目のいい冒険者は、駆け出し時代にまずそういう目にあって、多くはすぐに冒険者を辞める事になる。それだけではなく、それが一生の心の傷になって人生を狂わせる者も多い。
 だからテレイズは、どうしてもウィアが冒険者になりたいといってきた時に、そういう目にあっても最愛の弟が壊れないようにと思い、いろいろ手をうったのだ。

「……まぁ、その所為でこんな風に成ってしまったんだろうな。俺の所為か」

 自嘲気味に口元を歪ませつつも、頭はすぐに切り替える。

「だが、悪いが、彼ではウィアを守れるとは思えない」

 自分の身さえ守れないようでは、と呟いて。
 ウィアが気付いたのであるから、当然テレイズも、フェゼントの過去に何があったかの察しはついた。そんな彼に、ウィアが守れるとは思えなかった。

 恋人となる相手が普通に女性であったなら、ウィアが彼女を守る立場になる。戦闘職ではない神官であれば、この国では法に守られる立場の人間とされる。だがウィアの相手が男で戦闘能力のある者であるなら、法は余程の状況でもないと守ってはくれない。圧倒的に強いものならばまだしも、この国では半端に強い者が一番危険なのだ。
 だからテレイズは、恋人にするなら、ウィアが自分よりも弱い相手を選ぶように仕向けていたのだが……まさかこんなピンポイントで、ウィアの好みとテレイズの希望が食い違う相手が現れるとは思っていなかった。

 さて、どうするか。

 テレイズの方針としては、二人を別れさせるという事で決定ではある。
 とはいえ、あれだけウィアがべったりな相手を無理矢理別れさせれば、どう考えてもテレイズは最愛の弟に恨まれることになる。
 それは避けたかった。
 結局のところ、テレイズはウィアに弱いのだ。
 首都リパ神殿で一番敵に回したら後が怖いといわれ、数並ぶ大神官達からも一目置かれているテレイズにとって、一番の弱点はウィアであるといっていい。
 子供の頃からやたらとスレまくったテレイズと違って、天真爛漫でお馬鹿なくらいに明るいウィアは、彼の一番大切な心の支えである。可愛くて可愛くててウィアにとっては邪魔なくらい過保護になってしまっても、テレイズにとっては仕方ない事であった。
 それでも、何時までも兄弟だけでべたべたしている訳にいかない事は、テレイズも分かっている。
 ウィアの自立も認めよう、と思っていろいろ画策していたのであるが……計画は見事に失敗してしまったらしいと思わざる得ない。
 となれば、後は取れそうな策として、テレイズが思い浮かぶものは単純である。

 フェゼントの方から、ウィアに別れさせるようにする。

 ウィアは悲しむだろうが、テレイズ自身が弟に恨まれるよりはいいと判断する。
 そしてこの場合、ただ反対だから別れろというよりも、フェゼントが自分から身を引くか、あるいはウィアに興味を無くすようにしなければ、別れさせる事は困難だ。……弟のしつこさと諦めの悪さは、テレイズも知っていたので。
 ならば。

「あの騎士も、好みといえば好みだしな」

 テレイズは呟いて、口元に人の悪い笑みを浮かべる。

 つまり、フェゼントをテレイズが寝取ってしまえば良い。

 勿論、同意の上で。
 いくら強そうに見えなくても、騎士相手に神官のテレイズが力ずくというのは元より無理だとは思うが、相手をそういう状況に追い込むというのなら得意分野だった。この歳で大神官に名を連ねているのは、伊達ではない。

 ともかく、ウィアよりも先にテレイズが彼を抱いてしまう事態になれば、二人の仲は壊せるだろう。

 あのトロそうな騎士ならば、いくらでも心の隙をつく事は可能だとテレイズは思う。
 弟を任せる相手としては絶対に許されざる人物だが、こちらがつまみ食いをするには悪くない人物ではある。テレイズ自身に自覚はないが、兄弟というだけあって、ウィアと好みは似ているのだ。そういう意味ならば、もう、彼に辛く当たる必要はない。
 さて、どこから始めようか。
 先程までとはガラリと表情を変えて、テレイズは口元に笑みを浮かべたまま、瞳に冷たい光を宿す。

 彼にとっては、今のところ守るべきは自分と可愛い弟だけで、多少好みではあったとしても、赤の他人のフェゼントのことなどどうでも良かった。例えウィアが悲しんだとしても、フェゼントが深く傷つこうとしても、所詮他人、知った事ではなかった。

「悪く思うなよ。自分の身は自分で守らなければならないっていうのは、この国の冒険者の掟だ。自分自身を守れないような奴には、誰も守れはしないんだ」







 フェゼントが起きて最初に見えたのは、上掛けの上から少しだけ覗いた茶色の頭。
 殆ど寝具の中にすっぽり潜っているようなウィアを見て、フェゼントはくすりと笑みを漏らす。
 静かに手を伸ばしてその頭を撫ぜれば、もぞもぞとウィアが動いて体温を求めるように体を摺り寄せてくる。
 そんな様子が可愛いらしくて、そして、思い出す似た風景に笑みが哀しみへと沈んでいく。

 小さな頃、こうして同じベッドで二人で体を寄せ合って眠っていた、その時フェゼントの隣にいたのはシーグルだった。粗末な小屋のような家の小さなベッドの上で、寒い時はぴったり体をくっつけて、お互いの体温に安心して眠っていた。
 シーグルがシルバスピナの家に連れていかれた後、フェゼントは一人で寝るのが嫌で、泣いて母親や父親のベッドに入れてもらっていた。

 ならば、シーグルはどうしたのだろう。

 兄のフェゼントよりしっかりしていたとはいえ、1つ年下のまだ4歳だった彼は、たった一人で眠ったのだろうか、乳母のような人がいたのだろうか。
 今では体温を感じるどころか、マトモに目を合わせる事さえしない程、彼との距離は遠く、兄弟だと名乗る事さえ出来ない。
 考えれば考える程、フェゼントの頭の中は後悔で一杯になる。

 あの日、あの時。

 十年ぶりに会ったシーグルは、母の死を悲しみながらも、フェゼントの顔を見て別れた時と同じように呼んだのだ。
 兄さん、と。
 それを拒絶し、彼を傷つけたのはフェゼントだった。
 懐かしむように、子供の頃と同じすがるように兄を見ていた、彼の表情が一瞬で凍りついたのをフェゼントは覚えている。
 それからシーグルの顔は、ずっとフェゼントの前では凍りついたままだった。
 彼の受けた傷痕を知るのが怖くて、自分の醜さが許せなくて、フェゼントはずっと逃げるしかなかった。

 フェゼントは、眠るウィアの頭を覆うように優しく抱き締める。

「貴方がいれば……私は逃げずに済むかもしれません」

 言えば、ウィアが自分から体を再び摺り寄せてくる。

「うん、大好き、愛してる、フェズ」

 ふいに返された言葉に、フェゼントは驚いてウィアから体を離した。
 さすがにそれには起きたウィアが、眠そうに目を擦りながら頭を上げた。

「おはよー??」

 その様子で、先程のウィアの発言が寝言だったのだと理解したフェゼントは、盛大に安堵の息を吐いて、それから顔に笑みを纏う。

「おはよう、ウィア。今日は早く起きるのではなかったのですか?」
「うぇ、そうだっけ? あー……そか、シーグルと事務局で待ち合わせたんだ」

 その名を聞いたフェゼントの顔が強張る。

「彼に、今日も会うんですか?」
「うん、昨日はその……遅くなったし、シーグルの方も出来るだけ早く帰りたいみたいだったからさ、仕事の終了手続きは明日にしようっていう事になったんだよ」

 いってから、フェゼントの様子の変化に気付いたウィアは、わざと彼の胸に顔を摺り寄せて甘える。

「大丈夫、そんな朝早くに約束した訳じゃないからさ。もうちょっとごろごろしててもいいくらい時間は十分にあるよ。フェズがその気なら、なんなら軽く一発やってくくらいは余裕あるし?」

 いってウィアが顔を上げれば、フェゼントは少しだけ顔を赤くして苦笑していた。
 ウィアはほっとして、今度は更に調子に乗ってフェゼントに抱きつく事にした。
 フェゼントは一瞬戸惑いつつも、静かに抱き返し、ウィアの頭をゆっくりと撫ぜる。けれどもそんな優しい反応は、行為の了承ではないという事くらいウィアもわかっていた。
 だから、少し強引にウィアは実力行使に出てみる事にする。
 顔を上げて、フェゼントと目が会うと、にやりと人の悪い笑みを見せつけるように浮かべる。

「フェズ若いんだからさ、やっぱ朝は元気だよなっ」

 言われた意味が分からずに、フェゼントはただ目を見開いてウィアの顔を見ている。
 ウィアはちゅ、とフェゼントの喉元に口付けると、そのままごそごそと上掛けの中へもぐりこんでいった。

「ウィア?」

 それでもまだ、フェゼントはウィアの意図がわからない。
 けれどもすぐに、彼も全てを理解する。

「ちょ、ちょっとウィアっ」

 驚いて上半身を起こすフェゼントと、上掛けにくるまったまま、その下半身の辺りで蹲っているウィア。

「だめです、放して……」

 フェゼントは目を瞑って、何か耐えるように体を奮わせる。

「あ……だめ、やめ……」

 布の塊が動く度に熱い吐息を漏らし、ウィアの体を引き離そうとフェゼントは上掛けの上からその体を押す。けれども勿論、その手の力は弱く、ウィアは益々調子に乗るだけだった。
 ぎゅっと引き結んだ唇が震え、僅かな声が漏れる。
 閉じた瞼がぴくぴくと震え、目元が赤く染まっていく。
 やがて、声も出せずにフェゼントはビクリと体を震わせ、そして大きく息をついた。
 布の塊からこそっと、ウィアが顔を出す。

「朝からごちそー様。スッキリしたろ、フェズ」

 恨みがましい目を向けながらも、フェゼントは溜め息をついて、恥ずかしそうに目を逸らした。

「知りません。イキナリはなしです、ウィア」

 そっぽを向いたフェゼントに、ウィアも起き上がって、フェゼントに抱きついた。

「だってさー、もうなんかすごーくフェズが欲しくなったからさー。んでもフェズが乗り気じゃなかったから、これくらいならいいかなって」

 ごろごろと喉を鳴らす猫のように頭を擦り付けて、ウィアは上目遣いで、ちらりと横目でこちらを見るフェゼントの様子を伺う。
 フェゼントの溜め息が漏れた。

「ともかく、起きましょう。朝食を作ってきますから、貴方は体を拭いて出かける準備をしておいてください」

 いってするりと、フェゼントはウィアから体を離してベッドを降りる。
 ウィアは大きく不満の声を上げて、ベッドの上に座りこんだ。
 それを見たフェゼントが、怒っていた顔をふと緩め、一度立ち去ろうとしたその足を引き返す。そして、ベッドの傍で身を屈めると、口を尖らせているウィアの頬に軽くキスを落とした。

「昨日は夕飯を食べないで寝てたようですから、おなかがすいたでしょう? ウィアの好きなものをたくさん作りますから、たっぷり食べて出かけてください。……お返しは今度してあげますから」

 そう言って去っていったフェゼントに、ウィアはベッドの上で満面の笑顔を浮かべた。

「うん、愛されてるよな、俺」





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