愛を語るは神官の務め





  【3】



 月の猫亭は、1階が酒場、2階が宿になっている、冒険者向けの宿屋ではよくある作りの店だった。おかみさんが料理好きで、酒場は手頃な値段で料理の種類も多く、宿の方も格安な為、いつでも繁盛しているし、ここを根城にしている冒険者も多い。

 この日も、夕刻の一番忙しい時間な事もあって、ウィア達が入った時には、酒場の方はすでに満席に近い状態であった。
 騒がしい店内に足を踏み入れると、この店の看板娘であるメリがウィアの顔を見て声を張り上げる。

「ウィアー、あんた久しぶりじゃない。今日は誰ひっかけてきたのさ」

 ウィアの後ろから恐る恐る店の中を覗いていたフェゼントは、その声に驚いて、それからウィアの顔をまじまじと見つめた。当然、ウィアは慌てて顔を左右に振りながら愛想笑いをフェゼントに返すが、フェゼントは心配そうな顔でじっと見つめてくる。

「メリ、人ぎき悪い事いうなよ。今日は案内してきただけだって」

 怒ってそう返したウィアに、メリはふくよかな胸を張って豪快に笑う。

「理想の相手だっけ? あんたより可愛い娘は見つかったかい?」
「可愛いっていうなっ」

 自覚しているし、自分の容姿を計算して有効活用しているが、人にいわれることは嫌だった。ウィアとしては、自分は男だから『可愛い』は誉め言葉ではないというのが持論だ。今まで、フェゼントの事を心のうちで可愛いと言いまくっていたのはやはり棚においているのだが、ウィアには悪意は全くない。
 だが、怒っているウィアに対して、メリからは次の揶揄う言葉は出てくることはなく、不思議に思って彼女の視線を追ってみると……そこにはフェゼントがいた。

「へぇ……」

 戸惑うフェゼントに、メリはにっこりと笑って視線をウィアに戻した。

「おめでとう、ウィア。世の中にはいるもんだねぇ」

 メリはウィアにウィンクをすると、くるりと向きを変えてカウンターに戻って行く。がんばるんだよ、なんていいながら後ろ手を振られると、フェゼントの手前何か言い返す事も出来なくて、ウィアは顔を引きつらせてじっとその背中を見るしかなかった。
 店の喧騒の所為で、まわりの客がそこまでウィアとメリのやりとりに注目していなかったのが唯一救いではあったが、それでも視線が痛い。特にフェゼントからの視線が痛くて、ウィアは振り返るのを躊躇った。
 とはいえ。

「あの……」

 明らかに困ったフェゼントの声に溜め息を吐いて、ウィアは思い切って振り返る。ここで黙っていた方が、余計不審な行動である自覚はあった。

「あの娘はちょっと冗談きついから気にしないでくれるかな。場所が場所だけに行儀いいトコじゃないのは許してくれ。とりあえず、席が埋まりきらないうちに座っちゃおうぜ」

 そうして空いている隅のテーブルを指させば、フェゼントは少しだけほっとした顔をする。その反応にはウィアもほっとして、飲んで騒ぐ冒険者の間をすり抜けて歩き出す。フェゼントもそれに続いてきたものの、ウィアがちらりと振り返れば、回りの雰囲気に押されているのか、きょろきょろと不安そうに店の中を見回していた。
 その様子をみてウィアは思う。

 フェゼントの口調は丁寧だし、冒険者で騎士にまでなってるくせに冒険者の基本的な知識もあやしい。おまけにこのおっとりとした性格、田舎のどこかいいとこの出なんじゃないか、と。

 そういえば、鎧もそれなりに高いモノであるし、動作も品がある気がする。そして、こんなどうみても腕っぷしが強いようには見えない細い体でも、騎士になれたのが貴族の出だというなら理解出来る。
 というのも、騎士の称号を貰う条件の一つに、騎士に従者として一定期間以上仕えるか、もしくは貴族の出であるというのがあって、その条件が満たされないと試験さえ受けることが出来ないとウィアは聞いた事があった。外から来たならず者などはそこで騎士になるのを諦める事も多く、だからこそ騎士の称号を持っている事で冒険者としての信用度も上がるのだと。

 ウィアは騎士になろうと思った事はないので、試験の詳細は知らない。のだが、貴族というのなら、試験もある程度免除される部分があるのかもしれない。でなければ、こんな剣を持てるのかどうかも怪しそうな青年が、騎士なんかであるのはおかしい。いや、もしかしたらこの顔で鎧の下は筋肉隆々な体が……それ以上はウィアの思考が暴走し、妄想が溢れ出してきて、考える事が危険になってきたことを自覚して止めた。

「どうしましたか?」

 考えながら、じ、と見つめているウィアの視線に気になったのか、テーブルを挟んで正面に座ったフェゼントが心配そうに聞いてくる。
 考えている事が事だけに、ウィアは焦った。

「いやいや、フェズって可愛いなと」

 言ってからウィアは、しまったと思った。
 即座に顔に手を当てて、俺ってバカと小声で呟く。誤魔化す為に咄嗟にでた言葉は、相手が女性ならば問題なかったが、フェゼントは男性である、多分。
 そっとフェゼントの方を見れば、少し泣きそうな顔をして、じっとウィアを見つめている。

「……やっぱり、私、その、可愛い、んで、しょうか……」

 言いながらがっくりと俯いて震える様は、鎧を着ているくせにやたらと可愛い。などと思っても、それを言ったらトドメだよなとウィアは思う。ここにきてウィアは、やっとフェゼントも男なのだということを実感として思い出した。そしてそうなれば、境遇的にとても気持ちが分かってしまう。

「うん、そのまぁ、ごめん。俺も気持ちが分かるから……」

 その言葉は意外にも、ウィアがいうだけに相手には効果があったらしい。

「あ……そう、ですね。あの、ウィアもやっぱり嫌ですよね、男ですし」
「だよなぁ、一応男としちゃ、可愛いっていわれて嬉しくないよな」
「えぇ、顔もですけど、背も低いので、女性に間違われることが多くて」
「うんうん、頭の上からお嬢ちゃんって声掛けられるともうむかついてさ」
「分かります、私も何度も……」

 などと、二人して似た境遇の為、お互いに共感し合い、妙にしんみりと話が進む。初めて同じ思いを伝い合えるという、哀しいような嬉しいような感情の盛り上がりに、暴走したウィアの妄想もすっかり頭の隅に追いやられ、話の方に夢中になる。
 酔っ払いの陽気な歌も聞こえてくる店の喧騒の中で、この二人のテーブルだけ空気が違っていた。

「この見た目の所為か、歳も下に見られる事が多くて。もうすぐ私二十歳になるんですが、3つ以上若く見られるんです」

 と、それをきいたウィアは、思わず声を張り上げた。

「えぇ? 二十歳?」

 あまりにも驚いた様子のウィアを見て、フェゼントが悲しそうに顔を顰める。

「やっぱり、そう見えませんか」
「あー、いやその、そういう意味じゃないってか、驚いたのは違う事で」

 ウィアの年齢は十八歳である……フェゼントと同じくまず大抵それより若く見られる事は言うまでもないが。見た目よりは多分上だろう、と予想はしていたものの、ウィアが驚いたのは、フェゼントが自分より歳上という点だった。
 ウィアの計画的には、相手の方が歳上だとこちらがリードする側に回るのには難しいのではないだろうか、という問題がある。といってもやはりこれも重大な問題という程ではないのだが、ウィアとしては少々寂しい。

「いや、同い歳くらいかなって思ってたから、俺より年上だったんでちょっとびっくりしたんだ」

 ここは正直に、ウィアは思った通りに言ってみる。
 それは正解だったようで、フェゼントはふわりと笑顔を浮かべた。

「そうだったんですか、私もウィアの方が年上なのかと思っていました。君は物知りでとてもしっかりしていますから」

 その言葉には、今度はウィアが顔を輝かせる。いつもまわりからチビとかガキとかいわれている分、こういう誉め方をされることは滅多にない。

「あー、そうみえる?」
「はい」

 照れて頭を掻くウィアに、フェゼントはにこにこと頷く。
 だが、舞い上がったウィアの頭上から、それに水を掛ける声が落ちてきた。

「いいカッコしてるだけだろ、この坊やがしっかりしてるなんてないない」

 同時に、どん、と豪快な音をたてて、テーブルの上に料理が盛られた皿が乗る。
 昇ろうとしていた気分を引きずり落とされて、ウィアは恨みがましい目で発言者の方を見上げた。

「メリ、客の話をきいてんなよ」

 見上げた体勢の所為か、大きな胸に遮られてメリの顔は半分程しか見えないが、嫌味な程の営業スマイルで彼女はウィアを見下ろしていた。

「ごめんねー、いやなんかあんたら二人のテーブルだけ空気が違っちゃってさー。むさい連中の中でここだけお花畑しちゃってるし、なんか気になるじゃない?」

 いわれてウィアが周囲をじろりと見渡せば、さっと視線を外す人間が数名。どうやら微妙に注目されていたらしいと気付いて、ウィアは溜め息をついた。

「まぁ、別に聞かれて困るような話しちゃいねーけどさ……」

 回りに牽制の視線を投げながら文句を呟くウィアの前に、メリは手にもったトレイからジョッキを2つ置く。それから、苦虫を噛み潰したようにしぶい顔をしているウィアをみてクスリと笑うと、フェゼントに向き直った。

「まぁ、お子様のクセにカッコつけだけど、ウィアは悪いヤツじゃないよ。ただまぁ、何も知らないコをだまくらかすような事はしないけど、気を許しすぎるのはだめよ、貴方も男の子なんだししっかりね!」

 一応メリとしてはフォローのつもりだった言葉は、『男の子』という単語でフェゼントに追い討ちを掛けたらしい。困った笑みを浮かべてメリに生返事を返しているフェゼントを見て、ウィアは眉を顰めた。確かにメリはフェゼントよりも年上だが、二十歳になる男に向かって男の子はないだろと。
 その時調度、カウンターからメリを呼ぶ声がして、彼女が去って行ってくれたのは不幸中の幸いともいえた。とはいえ、すっかり話の腰を折られて、彼女が去って行った後、ウィアとフェゼントは気まずそう顔を見合わせる。けれども、お互い視線があうと、何故だか笑みが漏れてしまって、軽い緊張はすぐに消し飛んでしまった。

「まぁ料理きたしさ、冷めないうちに食べちゃおうぜ」
「そうですね」

 お互いににこにこと笑って、料理に手をつける。
 それから、ウィアがジョッキを掲げて、こう付け加えた。

「それじゃまぁ、フェズと俺が知り合った記念ってことで、乾杯」

 フェゼントもそれに笑って、ジョッキを掲げると、ウィアのものと軽くあわせた。






 その後は、互いの出身地の話や、冒険者としてどんな仕事をしてきたのか等、他愛ない話に花が咲いて、極自然に会話が続いた。

 フェゼントは現在、首都から近い港町リシェに住んでいて、普段はリシェの事務局で全てを済ませていて、首都はまず来る事がないという事だった。ただ今回、かなり長期で山の方へ篭っていた後リシェの事務局に行ったら、冒険者登録の更新が必要だといわれたらしい。

「更新……って必要だっけ?」

 ウィアは冒険者になってから三年程になるが、更新をしてくれといわれた事はない。フェゼントは苦笑して……そして心なしか少しだけ辛そうに俯いてそれに答えた。

「本当は騎士に成った時に変更手続きが必要だったそうなんですが、私はすぐに出かけて行ってしまったので……それで、更新手続きをしなくてはならなくなったんです」

 確かに、冒険者登録に変更があった場合は手続きをしなくてはならなかったという覚えがウィアにも微かにあった。

 フェゼントがいうには、騎士になってすぐに変更手続きをすれば問題なかったのだが、手続きが遅れた為に本部で更新というか再登録に近いことをしなくてはならなくなったらしい。ウィアの場合は、準神官の資格を取った後に冒険者登録をしたから、そういう手続きをした覚えがなかったのだろう。

 そういう理由で首都にやってきたフェゼントだったが、首都に来たのは騎士試験の時と今回で2回目だという事だった。
 ついでにいうと、更新手続きに時間がかかった所為で評価に並ぶのが昼すぎになっただけで、フェゼントが首都についたのは午前中の早い時間だったらしい。確かに外が白むくらいの時間に出れば、徒歩でもリシェから首都まではそれくらいにはつく。
 ただ、もしもフェゼントの更新手続きが時間がかからなかったり、ウィアがいつも通りの時間に本部に来ていたならば、会えなかった可能性が高い。そう考えると、本当に自分達は運命の糸で結ばれているんではないかとウィアは思って、ますます気分が盛り上がる。

 テーブルをはさんで正面から見る、フェゼントの顔はやっぱりウィアの好みで、空色の瞳は少女のように大きくて優しそうで、おっとりとしたこの性格ならばいくら騎士とはいえウィアでも押し倒す事が出来そうに見えた。いや、いくらウィアでも即そこまでコトに及ぼうとは思ってないのだが、フェゼント相手なら主導権をとってイイ仲になるのはそこまで難しい事ではないいように思えた。
 まずは出来るだけ仲良くなって、お互いに連絡を取り合えるところにまでなって、仕事とか誘いながらそのうちに……等等、ウィアの妄想は膨らむばかりで、顔が笑顔というよりもずっとにやけっぱなしであった。

 一方、フェゼントの方は方で、ウィアの明るい茶の瞳がくるくる回るように動いて表情を変える様を目を細めて見入っていた。実はにやけているだけのウィアの様子にも、子供のような笑顔を浮かべている程度にしか見えていなかったので、別段不審に思う事もなかった。

 栗色の髪をポニーテールにした小柄な神官と、それよりも明るく金髪に近い茶色の髪をゆるく後ろで纏めている長髪の小柄な騎士が、二人で楽しそうに話している姿は、酒場の一角というよりも少女のお茶会のような雰囲気に見える。ちらちらと二人を見ている人々は、そんな二人に思わずほほえましい気分になって顔がにやける始末だった。

 しかし、そんな男のくせに可愛らしい二人が酒場にいれば、こっそりと見ているだけで済まない連中もやはりいるのだ。

「おじょーちゃん、二人だけで飲んでるんじゃ寂しいんじゃねぇ?」

 いい感じに酔いの回った男が、話に夢中になっていた二人に声を掛けてくる。

「はぁ? なんだと」

 お嬢ちゃん、という言葉に反射的に敵意丸出しで返事をしたウィアは、ぎっと男を睨みつけた。

「あぁ、ごめんなぁ、ぼうやだよなぁ。折角の可愛い子が二人だけで飲んでるんじゃ勿体ないだろ。俺たちと一緒に飲んでくれたら奢ってあげるぜ」

 なんでこの手の連中は揃って同じセリフをいうのか。わざとお嬢ちゃんと言い間違うあたりなんか、そういう定型文がどこかで出回っているのかという程だ。そんな風に考えながらもうんざりした視線を男に向けて、ウィアは唇の端をぴくぴくと引きつらせた。
 ここでもう一度言っておくが、ウィアは気が短い方だ。
 にやにやと崩れまくった赤ら顔と目線が合い、その男の手が肩に触れたと思った時には、ウィアの腕は伸びていた。
 湧き上がる声と、物が落ちる音。
 男の体が、見事に後ろで見ていた仲間の男達の方へと、傍の椅子と共に倒れる。
 目を丸くしてウィアを見るフェゼント。そしてウィアは、思い切り男を殴った後の右拳を突き出した体勢で、大きく息を吸うと怒鳴りつけた。

「きたねぇ手で触んじゃねぇよ、この酔っ払い。人に声掛けるなら礼儀ってもんを知りやがれ。そんなんだから女に相手にされなくて、男に声掛けるハメになんだよ、この腐れチ○ポ野郎」

 可愛い顔の、しかも慈悲の神に仕える神官の青年が汚い言葉を吐き出す光景は、周りを少なからず驚かせた。殴られた当人の男でさえ、怒るより先に、呆然としてウィアの顔を見返したぐらいだった。もちろん、周りのギャラリー達も驚いて、喧騒に湧いていた店内が一瞬静かになる。

「お嬢ちゃんじゃない証拠に、もうちょっと、痛い目にあわせてやってもいいんだぜ」

 言いながら拳を鳴らすウィアを見て、正気に返った男がよろめきながらも立ちあがる。

「しつけの悪ィガキは、力ずくで黙らせてやらねぇとなぁ」

 言って男もウィアに見せつけるように拳を鳴らした。
 どうみても喧嘩が始まる気配に、我に返った回りの者達も一斉にはやし立てる。先程までの沈黙から、今度は普段の喧騒以上に酒場の中が騒がしくなる。冒険者なんて連中は、結局こういう喧嘩沙汰が大好きなのだ。
 だが、すっかり臨戦体勢を整えているウィアの背中に声が響いた。

「喧嘩はだめです、ウィア」

 誰の声かすぐに分かったウィアは、ちらりと振り向いて言いかえそうと口を開け、そのまま目を見開く事になった。
 ウィアを止めようとして立ち上がったフェゼントが、その場で急に倒れてしまったのだ。

「えぇええ? フェズ?」

 喧嘩相手のことも忘れて、ウィアはフェゼントの元に駆けつける。
 周りの者達も、また風向きが変わった場の雰囲気に、ざわめきつつもウィアとフェゼントの方に視線を向ける。今まさに喧嘩を始めようとしていた男の方も、拳を握ったその体勢のままで、微妙な顔をして二人の様子を見ることしか出来なかった。

「喧嘩はだめ……です、てば」
「フェズ? どうした? 大丈夫?」

 上体を支えるように抱えると、フェゼントは焦点の定まらない目で必死にウィアを睨みつけてくる。

「怪我をしたら……あふな……い、です。なぐったのはウィアなんですから、あやまっ……て」

 しかも言葉も呂律が怪しく、顔も真っ赤に染まっている。そんな状況を何と言うのか、ウィアは思い切り心当たりがあった。

「あー、フェズ、落ち着いて水飲もう、ほら、立てるか?」
「だいじょーぶ、です」

 そう言って立ち上がろうとした彼は、そのままよろけてまた倒れる。
 ウィアが皆の注目の中、くったりと今度は倒れたまま動かなくなったフェゼントの顔に顔を近づける。それから、軽く様子を見た後、一言呟いた。

「フェズ、寝てる?」

 確かにフェゼントは、赤い顔のまま目を瞑って、僅かな寝息を立てて眠っていた。

「もしかしてフェズって、ものっすごい酒弱い……のかな」

 困った顔のままほっとしてがっくりと項垂れるウィアを見て、まわりからももほっとしたような、がっかりしたような溜め息が漏れる。
 ただこの状況で、一番困っている男はウィアではなかった。

「おい、どうすんだ」

 後ろを向いている相手を殴る訳にもいかず、待たされているかたちになっている男が、しびれを切らしてウィアに言う。それでウィアも思い出したように男に顔を向けると、一瞬顔を顰めた後に溜め息を吐いた。

「あー……悪ぃけど喧嘩はやめやめ。それどこじゃなくなったしさ」

 とはいえ、男もここまできてそういう訳にもいかなかった。

「ふざけんな、喧嘩をふっかけてきたのはそっちだろっ」
「だってさー、仕方ないじゃん。俺喧嘩よりもフェズのが大事だしさ」

 それでもまだ顔を赤くして男は言い返そうとしたが、それは別の声で遮られる事になる。
 パンパンと乾いた音が場を仕切った。

「はいはい、騒ぎはおしまい。皆さっさと自分の席に戻るっ。ほら、あんたもよっ、いう事聞かないとウチの店出入り禁止にするからね」

 メリが手を叩いて回りを散開させる。
 それから拳の行き先に戸惑っていた男の肩を叩いて自分の席に戻らせると、ウィアの傍に座りこんだ。

「なぁに、そのコ酔っ払ったの?」

 メリが聞けば、ウィアは苦笑いをして返す。

「ぽいかな。どーも酒弱かったみたいでさ」

 メリも眉間に皺を寄せて、屈託ない顔で寝息を立てているフェゼントの顔を見る。まー可愛い顔しちゃって、と思わず呟いてしまうくらいに、ただでさえ童顔のフェゼントは子供っぽく見えた。自然とメリも呆れつつ笑みを浮かべてしまう。

「そんな訳で、メリ、ちょっと頼みがあるんだけど」

 ウィアの声に、メリは視線をフェゼントからウィアへと移した。

「なぁに?」

 視線があったウィアは、気まずそうな笑みを浮かべている。

「上さ、部屋空いてる……かな?」

 メリは溜め息を吐いた。

「良かったわね、一部屋だけ空いてるわよ」

 微妙に嬉しそうに見えるウィアに悪い予感もしたが、それは考えないようにして。状況的にはそれしかないと、彼女も分かってはいたので、止める理由が思いつかなかったというのもある。
 もちろん、彼女の悪い予感は間違ってなかった訳だが。
 





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