【5】 何故こんな事になったのだと、グスは青い顔でいる隊の面々を見て、ため息と共に目を閉じると額を押さえた。 霧が更に深くなってきてこれはマズイと声を上げたら、シーグルから返事が返らなかった。すぐに停止を告げて点呼をとってもやはりシーグルから声は返らず、集まってみれば彼だけがいなかった。 「霧の谷、は魔法に溢れたところだった……よな。隊長だけが呼ばれのかな」 マニクの呟きはグスも考えていたことだ。そして恐らくほかの者達も。皆は半分冗談でシーグルなら谷にいける筈、なんて言っていたが、魔法があってそこに何かしらの『意志』が宿っているとすれば、彼なら呼ばれて当然と言えるくらい驚く事ではない。 キールが言うには魔法使いはシーグルにとって危険だという事であるし、魔法が関係なくてもお伽噺でよく言われる悪霊や精霊に魅入られるくらいの美貌の持主、美しい心の持ち主というのもあっているし、その身分から襲われる理由だってある――とにかくシーグルが狙われそうな理由ならいくらでも思いつくグスとしては自分の迂闊さを責める事しか出来なかった。 「くっそ、いっそ馬は谷の近くにおいてくりゃよかったな……」 馬がいない徒歩での移動だったら、少なくともシーグルが消えたら即分かった筈だった。彼の前後にいたアウドとランは馬の影とランプの光が見えていたから問題ないと思っていて、いざ近づいてみたら互いだったから青くなった、という事だから……少なくとも何か幻術が使われていた可能性がある。でなければランプの光の色をわざわざシーグルだけ変えていた意味がない。 「探すしかない、としてもどうやって探せばいいんだ」 「少なくとも声が届ない場所にいる訳だしな」 「それでも探し回るしないだろ」 「この霧の中アテもなく歩き回ってどうなるってんだ」 半分涙声になってるシェルサとマニクが言い合ってにらみ合う。すぐに他の連中が止めには入るが言ってる事は皆分かっているから宥めるにも言葉が出てこない。 シーグルがいないのが分かった直後には勿論彼の名を呼びながら来た道を戻ったから、ちょっと動いて分かる位置に彼がいる可能性は低く、これ以上は探すとなってもただ闇雲に探すだけではなく他の手も考える必要があった。 「とりあえず、文官殿に異常だけは知らせたが……やっぱり最初から無理矢理でも一緒に来てもらうべきだったな」 既に呼び出し石を使ってキールへ異常が起こった事自体は知らせているから、何かしらの手を打ってくれている可能性はある。とはいえそれをただ待つなんてのも出来る訳がないし、かといって何かいい手が思いつく訳でもない。 どうするべきか全然頭がまとまらなくて、グスは頭を押さえたまま考える事しか出来ない。 「おい、どうしたんだお前?」 シェルサの声でグスが薄目を開ければ、他の面々も立ち上がって木に繋いでいた馬に向かっていた。馬達は暴れているという程ではなかったが皆揃って同じ方向を向いて首を振ったり地面を蹴ったりしていて、シェルサの馬は手綱を持っていたら勝手に歩いて行こうとしたから驚いて引いた、という状況らしい。 「馬達がなんかに呼ばれてる……ような感じだな」 テスタが言いながら立ち上がってグスの傍にやってくる。 「馬だけが分かる何かがあるのかもしれねぇな……どうする?」 にやりと、笑って聞いてきた男に、グスは手を下すとため息をついて呟いた。 「行くしかないだろ。罠でもなんでも、何かありそうならよ」 呟いて、苦笑して、まさに藁でも縋る重いというやつだなと思いながら、グスは皆に馬の行きたい方について行くよう指示を出した。乗っていくのは危険だから流石に引いてはいくものの、幸いな事に各馬が途中から違う方へ向かいだすという事もなかったからはぐれる者もなく霧の先へ向う事が出来た。 そうして――。 「おい、霧が薄くなってきたんじゃねぇか?」 テスタに言われてグスも目を細めて前を見た。うっすらと遠くに木の影が見えて、グスは相方の親父騎士に、確かに、と返した。 だがそうして、ずっと先の木を見つめていたグスは、急に白い視界の中にひょこっと動く影を見つけて驚いた。思わず足を止めて剣に手を掛ければ、それが更に近づいてきて彼らの前に姿を現した。 「……シカ、か?」 おそるおそる近づいて行こうとすればシカは後ろを向いて逃げてしまう。だが奇妙な事にシカはそのまま走り去っていくのではなく視界から消えそうになったところで足を止め、こちらを確認するかのように振り向いた。 「追ってみよう」 まるでこちらを誘っているようなその様子を見てグスが歩きだせば、他の面々も文句を言わずにそれに続く。シカはやはりわざとこちらに追わせようとしているようで、一定距離近づけば逃げるもののすぐに立ち止まってこちらをみるのを繰り返す。 「見ろよ、確実に霧が薄くなってきてる」 言われればまだ霧の中ではあるものの周囲には木の影が並んでいるのがはっきりわかるようになっていて、遠くには切り立った崖のようなものも見えてくる。更には――グスは霧の先にソレが見えた途端、思わず走り出してしまった。 「隊長っ」 皆と違う、シーグルの持つランプの光の色。それが見えた事でグスだけでなく、続く他の面々もほぼ同時に走り出していた。 光を目指せば霧はどんどん晴れて、周囲がハッキリ姿を現す。 視界が開けて目に飛び込んできた風景に、彼らはこここそが『霧の谷』である事を理解したが、今はそれで騒いでいる場合ではなかった。 だが……そうして懸命に走ってランプの傍にたどり着いた彼らはその場でへたり込む事になる。ランプはただ木に下げられていただけで勿論シーグルの姿はなかった。 「やっぱり、アナタ達はあの人のトモダチなんだね」 だがそこで、知らない者の声が背後から聞こえて彼らは混乱する。 「誰だ?」 全員で周囲を見渡しても人の影は見当たらない。噂通りの美しい景色に感嘆の声を漏らす暇もなく、彼らは辺りを必死に見て探した。 「あの人って隊長の事か? おい、誰だ、姿を見せてくれ」 相手が悪霊でも精霊でも、シーグルの手がかりを教えてくれるなら構わない。その思いで探してまわれば、先ほど霧の中で見つけたシカがこちらに向かって歩いてくる。 「とても綺麗な人、アナタ達と同じ動物……ウマ、を連れていた」 近づいてきたシカはやはり一定距離を保って止まる。 じっとこちらを見つめてくる姿を凝視すれば、その口元が動いて先ほどと同じ声が聞こえて来た。 「アナタ達は、あの人を探してるんだね?」 言った後、少し首を傾げたシカを見てグスは口元をひきつらせた。 「おい、おいまさかよ……」 そうして、隣にいるテスタの呟きに返す。 「そのまさかだろうな、声の主はそこのシカだ」 それから即座に、グスはそのシカに向かって膝を折ると頭を下げた。 「何で喋れるんだなんて聞かねぇしどうでもいい、貴方があの人の事を知ってるなら居場所を教えてくれないか?」 シカはそこにまた首を傾げた後、数歩だけこちらに近づいてきた。 目を覚ますと、体を這っていた蔓達の気配がなくなっていてシーグルは安堵の息を吐いた。体の上には上掛けが掛けてあったがただ裸の体の上に掛けてあるだけで、天井は例の蔓達にびっしり覆われていた。どう見ても『あれは夢だった』なんて能天気な事が言える状況ではないのは確かだ。単に一時的にあの場所から離して貰えただけだろう。 「くそ……」 起き上がろうとしたシーグルは、酷く体が重くてそれだけに体力を相当使いそうなのに気づいて止めた。これで起き上がっても歩いて逃げるなんて出来る訳がない。ついでにいえば、今は大人しくても例の蔓に囲まれたこの場所で逃げるなんて無理だろうとも思う。となれば何が出来るだろうか、誰かに連絡をつけられる術はないか……考えてはみたが、装備も何も取り上げられたこの状態では思いつくものが何もない。やれる事といえば、体力の回復を待って出来るだけ動かない事くらいだ。 そうして大人しくまた目を閉じたシーグルだったが、人の気配を感じて目をすぐ開いた。 「あぁ……目を覚ましたか」 おそらくそうだろうと思ったが、やってきたのは例の魔法使いでシーグルは睨むしかない。 「なんだ、正気に戻ってるのか。意識トバしたのが早すぎたかな」 言いながらすぐ傍まできた魔法使いは、持ってきたトレイを置いて座り込んだ。 「あのまま放置するつもりだと思ったが?」 聞けば魔法使いは顔を顰めた。 「そしたら確実にあんた死ぬぞ。あいつも最初だから夢中で吸いまくっててヤバかったしな。いいか、こっちとしてもあんたに死なれたら困るんだ、いったろ、長い付き合いになる、ってさ」 彼の目的はこちらの体から魔力を吸い続ける事。つまり自分は魔力を吸うための家畜とされたようなものだろうとシーグルは思う。諦めて言う通りにする気はないが、殺す気はないというなら生きている限り助かる可能性はゼロではない。 「ただそんなにあっさり正気を取り戻したのは想定外だったな。こっちの計算だと、もっとラリってて体の疼きに悶えててくれてると思ってたんだが」 言いながら魔法使いが上掛けの上からこちらの体を撫でてくる。それに、あ、と思わず声を漏らしたのを見て魔法使いは笑う。 「あぁ体はやっぱりまだ抜けきってないんだな。だとすりゃあんたの意志が強いのか……慣れてるのか、かな。そらこの容姿だしなぁ」 にやにやと笑いながら言われてシーグルの顔が熱くなる。 「ま、次はもうちょっと調整するさ。あいつに吸うのを少し控えさせて、あんたを気持ち良くする方を優先させて……あんたには早く堕ちて貰いたいからな」 魔法使いは言いながら、傍に置いたトレイから何かを取り出した。 「さて、メシだ。自分で食べるのは厳しいんだろ、食わせてやる」 「いらない、この状況で食う気になれるか」 「困ったな、死なせる気がないんだから食ってもらわないと困るんだが。弱ってるあんたをあいつに吸わせる訳にもいかないしさ」 ならこのまま食べないのも一つの手かと思ったが、そもそもこちらも死ぬ気はないし、弱っていたらいざという時に動けない。ただ、本気で食べられる状態ではないから――しぶしぶながら言うしかない。 「ケルンの実はあるか? ないなら、俺の装備の中にある筈だ」 「あぁ……あれなら食うのか?」 「あぁ」 それで立ち上がった魔法使いに、シーグルは更に声を掛けた。 「お前のいう『あいつ』は、あの大きな柘榴石か?」 魔法使いはそれに一瞬、驚いた顔をしてから……喉をくくっと揺らして自嘲気味に笑った。 「あぁそうだ。あれがこの谷の魔法の源、俺が命を繋げてる相棒さ」 魔法使いはそれだけ言うと通路の先へと去って行った。 --------------------------------------------- エロは多分次回はあり。 |