嫌われ子供の子守歌




  【16】



 空は青く、窓から見える風景だけならどこまでも平和に見えるその眺めが、ここ数日シーグルが見れる外の景色の全てだった。
 だからこそ、いつまでこうしていればいいのだろう、とそんな空だけしか見えない窓を眺めて、シーグルはため息をつくしかなかった。
 薬物とキールの治療(?)によって完全に意識をとばしたシーグルが次に目が覚めたのは、前の部屋とは別の、今の部屋のこのベッドの中だった。
 キールの説明によると、あの部屋は山の傍にある別荘の全く同じ間取りの部屋と繋がっていて、好きな時に切り替える事が出来るようになっていたらしい。あの時いたのはだから実際は別荘の方の部屋で、シーグルが部屋に帰ってきたときから切り替わっていたのだという。街の館の方からは繋がりの切り替えをする事は出来なかったが、別荘の部屋からは楽に切り替えられた……という事で、帰りはあの部屋を街の館の方に繋げてあっさり帰れたそうだ。
 ただし、あんな仕掛けのある部屋にシーグルを寝かせておくわけにもいかなかったというのと、ベッドの方が相当酷い状態だったので、シーグルは別の部屋に移された、という事であった。

「隊長、バーグルセク卿です」

 隊の中で一番の大男が、仕切の向こうから姿を現す。

「あぁ、こちらに通してくれ」

 この部屋も前の部屋と似た2部屋を区切った作りにはなっていて、廊下に出る扉がある部屋の方ではランがずっと待機していた。
 彼は前回の件の所為か、前以上にシーグルの傍を離れようとしなかった。とはいえ、起きあがって部屋の中を歩く事もきつかった直後のシーグルは、彼がいないと通常生活にも支障が出る状態であった為、それに文句を言える筈もなかった。

「お体の加減はどうでしょうか?」

 ランの姿が消えてから程なくして、おそるおそるといった面もちで、大きな体を縮こませたこの館の主が顔を見せた。

「ベッドの上からで失礼します。前よりはかなり良くなってきましたし、明日には知り合いの治療師が来てくれる事になっています。バーグルセク卿には長く世話になってしまって申し訳ありません」

 シーグルがベッドの上で頭を下げれば、バーグルセク卿は焦って顔を青くし、勢いで首を振った。

「い、いえいえいえ、そもそも貴方がそんな事になったのはこちらの所為ですので……本当に、申し訳ありませんでした。あの子が、まさか、そんな恐ろしい事をしていたなんて……」

 表情を強ばらせた彼は、噛み締めるように言いながら下を向く。だがシーグルは、彼の言う言葉の意味にひっかかりを覚えて仕方なかった。
 だから、はっきりと聞く事にする。

「バーグルセク卿、部外者として聞く権利がないのを承知で聞いていいでしょうか?」

 シーグルの言葉を受けたバーグルセク卿は、ますます青くした顔を急いであげた。

「貴方は、ネイクスを、ご子息を嫌っていますか?」

 シーグルに何を言われるのかと戦々恐々としていた男は、その言葉に一瞬気が抜けたように呆然としたものの、口を開き掛けてから閉じ、表情を引き締めてシーグルの顔を強く見返した。

「いえ……これだけ皆に迷惑を掛け、とんでもない事をしでかしても……それでも、私も親です、実の息子を嫌う事など出来ません」
「では、彼の力を恐ろしいと思った事は?」

 すかさず返された次の問いには、彼は表情を苦しげに歪ませて、わずかに目を伏せた。

「思った事は……あります。あの子の力は私には未知のものすぎて……その、ぞっと、した事があります。だからこそ、あの子に何も言えなくなってしまった。そうしている内に、言うべき言葉さえわからなくなってしまった」

 バーグルセク卿は両手で顔を覆う。
 じっと彼が落ち着くまで声を掛けるのを待つつもりだったシーグルは、ふと後ろにいたランに肩を叩かれた。見上げれば、じっと見下ろしてくるその瞳に、彼が言いたい事があるのだと分かって、シーグルは頷く。そうすれば彼は一歩前に出て、バーグルセク卿の近くにいく。

「掛ける言葉が分からないなら、触れてやればいい」

 低い騎士の声に、バーグルセク卿が顔をあげる。

「撫でて、抱きしめてやれば、子供は安心する」

 この隊唯一の既婚者の男には息子がいる。普段は無口なその彼がいう言葉には、父親としての重みがある。
 バーグルセク卿は背の高い騎士を見上げた顔を、しばらくは放心したように呆けさせ、それからくしゃりと表情を顰めて目頭を押さえた。

「……あの子は、今更、私の手を受け入れてくれるでしょうか?」
「拒まれても、諦めなければ」
「そう、ですな、そう……」

 目頭を押さえたまま、バーグルセク卿の声は嗚咽に変わる。顔を真っ赤にして、鼻を啜りながら、唇を半開きでわななかせる男の姿を、シーグルは今度は醜いとは思わなかった。きっと、父親は醜いと、そう言っていたネイクスも今の彼を醜いとは思わないだろうと思う。

「魔法ギルドの方の調査が終わって、彼自身が今後の身の振り方を決めたら、一度こちらへ帰ってくる事が出来る筈だと聞いています。その時には、彼を抱きしめてやってください」

 シーグルが言えば、まともな言葉にならない涙声でバーグルセク卿は、はい、と返した。
 シーグルは安堵すると共に、心の内が暖かくなるのを感じていた。

 ネイクスが一度こちらに帰ってこれるように、キールに頼んだのはシーグルだった。きっと、バーグルセク卿は息子を愛していると、そう信じたシーグルがキールに頼んだのだ。
 彼は、夢うつつで操られていた状況でさえ、ネイクスの事をシーグルに相談した。それは、意識の深いところでずっと彼が息子を心配していたのだという証拠だろう。

 目が覚めてどうにか薬が抜けてから、シーグルは、キールとグスから今回の事件の内訳と事の顛末を聞いた。
 ドラゴン騒ぎはやはりあのエネルダンという魔法使いの仕業だったらしい。いや、正確にはあのドラゴン騒ぎはネイクスの所為だが、ドラゴンの所為にしてあの山を通る者や討伐隊を殺したのがエネルダンの仕業だった。
 彼は館に呼ばれてネイクスのその類まれな力をみて、彼の力を利用する事を考えた。
 魔法使いが人から生命力を奪う場合、一人づつ奪う事は難しくないが、ネイクスが言っていたように、街の大勢の人間から少しづつ奪うというのは、大がかりな準備でもしないと制御が相当に困難――まず無理と言えるレベルの――事らしい。だが、ネイクスにはその制御力があった。初歩の魔法をひらすら繰り返し練習し、無形のものを正確に、自由に操る事が出来たネイクスは、元の魔力の高さもあって普通なら困難すぎて諦めるそれが可能だった。
 エンルダンはネイクスを利用すれば、自分の命をその姿のまま生きながらえさせる事が可能だと思って、彼に協力するふりをした。……ただ、いくら街の人間全員から奪ったとしても、誰にも気づかれず一人一人から取れる量はさほど多いものではなく、まだ若いネイクスの成長を止める程度なら十分でも、既に見た目通りの年齢をはずれていた魔法使いの老いを止めるには足りなかった。
 だから、煙で作ったドラゴンの影で旅人をからかって遊んでいたネイクスのその騒ぎを利用して、こっそり旅人を襲って補充していたのだ。あの別荘周囲を調べたら、生命力の吸い殻ともいうべき干からびた死体の山が見つかったらしい。
 あの別荘は、元から母親がネイクスの為に立てさせたものらしく、息子が気兼ねなく魔法を使えるようにと、わざと使用していないふりをさせて、ネイクスだけにあの部屋の仕掛けを教え、あそこで魔法の使い方を教えたりしていたらしい。
 母親は母親なりに、いなくなる前に、子供の内から魔法が使えてしまった我が子の事を考えていったのだとシーグルは思う。
 だから、きっと、母親もネイクスの事を愛してる。いつか、彼が立派な魔法使いになって母親を見つけたら、きっと彼の不安は拭えるだろうと思う。

「大丈夫ですか?」

 バーグルセク卿を見送る為に、立ち上がって扉のある部屋の方まで来ていたシーグルを、ランが支えながら心配そうに聞いてくる。

「大丈夫だ、言ったろう、もう、部屋の中を歩くくらいなら問題ない。そろそろお前について貰わなくて……」
「だめです」

 もちろんバーグルセク卿はベッドのままでいいとシーグルに言ったのだが、もう大分良くなったので、と言って自ら立ち上がったのはシーグルだ。
 過保護気味の護衛役の男は、表情だけで思い切り抗議をしていたのだが、いい加減シーグルもこの寝たきり状態は辛くなってきていたのだ。なにせ、こうして寝ているとどんどん体が鈍って、強くなりたいと願うシーグルにとってどれくらい時間を無駄にしたのかと考えるだけで気が滅入ってくる。
 過保護な護衛も、卿の前ならあからさまに止めに入らないだろうというシーグルの思惑があったというのもある。

「……まったく……ですね」

 呟くようなランの言葉がうまく聞き取れなくて、シーグルは彼を見て首を傾げる。
 そうすれば、無口な男はため息をついて、少しだけ気まずそうに目をそらしながら言い直した。

「子供ですね、と」

 シーグルは目を丸くして、けれどもそれは直後に苦笑に変わって、それから次第に穏やかな微笑みとなる。ふと目を窓の空に向ければ、幸せだった懐かしい日々が頭の中に蘇って、それを今は辛いと感じずただ懐かしいと感じる事を嬉しく思う。

「……俺は、落ち着きのない子供だったんだ。いわゆる、やんちゃな子供という奴だな」
「想像できません」

 無口な男が即答で返してきた事に、シーグルは思わずくすりと軽く吹き出した。

「兄はおとなしかったから、その分俺がやんちゃで、いつも父に作って貰った木の剣を振り回してた」

 それには、関心したかのような、ほう、という返事が返る。

「そういえば、メルセンも剣が欲しいと」
「メルセン、というのはお前の子の名か?」

 ランがこくりと頷く。

「お前の子は、騎士である父親が誇らしいんだ。だから自分も騎士になりたいんだろう。俺もそうだったからな」
「……隊長も?」
「あぁ」

 騎士である強い父が誇らしかった、大好きだった。だから自分も騎士になるんだと、幼い頃からそれが目標だった。
 家族と離れてからは、特に。騎士になる為、父が通ったであろう道を通る事が、父と繋がっているような気持ちになれたから。今度は立派な騎士になって、祖父に認められる事が、シーグルの唯一の目標であったから。
 だからシーグルは、どんなにきつい訓練も、辛いと思った事はなかった。
 

「ランは、……子供が大事か?」

 ふと、口からでた言葉に、シーグルは何を聞いているのだと自嘲したくなったが、返された無骨な大男のこれ以上なく優しい笑みに、そんな気持ちはすぐに消えた。

「俺の、宝です」

 父は、どうだったのだろう、と。
 唯一の隊の妻帯者であり、一人の子供の父親である部下の優しい笑みに、思わずそんな事を思う。
 強くて、優しい父がシーグルの自慢だった。いつも母親と子供に優しい笑みを向けていたのが、シーグルの記憶の中の父だった。
 けれども、父の遺体を運んできた騎士団の者達は言っていた。笑う事もなく、いつもで自分の身代わりにしてしまった息子に謝っていたと。
 家族の元にいる為、代わりの跡取りとしてシーグルを差し出した父は、どんな気持ちでいたのだろう。

「父は駆け落ちして家をでて……祖父は、父が家に帰る代わりに俺を渡せと言ったんだ」

 ただ大好きなだけだった父親。けれどもあの家に引き取られてから、その父に負の感情を持たなかったとは言えない。誰もが辛いこの状況が、すべて父が原因だと、そう思った事もあった。

「……辛い、ですね」

 ランは表情を曇らせて、深いため息をつく。

「子供が苦しむくらいなら、自分が身代わりになりたいと、そう、願うのが……父親です」

 シーグルの父が、それでも自分の代わりにシーグルを差し出したのは、他の家族の為だった。他の兄弟や妻の為に、彼は息子の一人を差し出すしかなかった。

「仕方ない、父には俺の他にも子供がまだ2人いて、母もいた。家族全てを捨てるくらいなら、俺を手放すしかない」
「だから、辛い決断だったかと」
「そうだな……父は、笑わなくなった、そうだ」

 あの、いつでも穏やかな笑みを浮かべていた父親が笑わなくなるほど、きっと、それは苦しい事だったのだろうと思う。

「どうせ手放したんだ、俺など忘れて、家族と幸せになってくれていれば良かったのにと、俺は思ったものだがな」

 遠くを見ていたシーグルは、そこで頭に大きな手が乗せられて、驚いて部下に振り返った。
 優しい笑みを浮かべた男は、太く低い声で、それでもこれ以上なく優しい響きでシーグルに言う。

「それは、違う。大切な子を身代わりにして、忘れて笑う事の方が辛い。子を思い出して苦しんでいた方が、まだ救われる……」

 大きな手は暖かく、シーグルに幼い日の父親の手を思い出させる。
 顔を伏せて、目頭が熱くなるのを堪えて、シーグルは口元に笑みを作った。


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このシーンのためにランさんには今回ちょっとがんばってもらったのでした。
次がラスト、帰ってからの後日談です。この話でちょっとしんみりした後のギャグですけど。


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