嫌われ子供の子守歌





  【3】



 夜の街はそれでもまだ賑やかで、窓から見える大通りは明るく浮かび上がって見える。耳を澄ませばその喧噪さえ聞こえ、この街の豊かさを教えてくれる。
 外の空気を大きく吸い、肺を冷やすその感覚に少し頭痛がよくなったと思ったシーグルは、一息ついて窓とカーテンを閉めた。
 悪酔いする体質の為、明日の仕事を考えて酒は飲めないと言えば、領主であるバーグルセク卿は無理にシーグルに酒を勧めはしなかった。
 とはいえ酒の席であるから、その匂いだけでも少し頭が痛くなっていて、話をしたがる彼を言いくるめて部屋に行かせて貰うのには苦労をした。
 空気の入れ替えをして少し冷えた部屋の中で、シーグルは手入れの終わった装備を並べ、明日の準備を整える。

 バーグルセク卿から聞いた仕事の話は、騎士団の方であらかじめ聞いてきた話とほぼ同じ内容程度で、何か目新しい情報を手に入れる事は出来なかった。
 だからドラゴンの事に関しては、村での情報収集に期待するしかないか、とシーグルは思う。
 この町から、実際のドラゴンが出たという村までは馬でも1時間程掛かる。商人達が通るルートでもないから、あまり街の人間はその方向へ行く事もないという。そうであるなら、この街での情報収集は諦めたほうがいいだろうか。
 ベッドの上で考えながら、剣を抜いて装備の確認をする。
 錆止めの油は既に塗った後だから、わざわざ抜く必要はないのだが、剣を持っていると頭が集中して気分が落ち着く。
 ここでもう少し広い部屋だったら剣を振り回していたかもしれないが、とりあえず剣を持ってその重さを感じて、月光に光るその刃を見て、シーグルは考える。

 だが、そんなシーグルへ、予定外の来訪者を告げるノックの音が届いた。
 シーグルは剣を鞘に納め、それをそのまま手に持ってドアの方に近づいていく。
 実は冒険者時代、誰かの家に滞在させて貰った夜、こうして夜にノックが響いて、開ければ夜這いに来たこの家の者……という経験が何度かシーグルにはある。まさかバーグルセク卿がそんな事をする人物とは思えないから、一体誰だと剣を鞘のまま左手に持ち、すぐ抜ける状態でドアを開ける。
 そうすれば……予想していた場所よりも低い視点の場所に、その来訪者の姿があった。

「こんばんは、シーグル様、ですよね?」

 そこにいたのは子供だった。
 見たところではいいところ、13、4くらいに見える、まだいかにも子供といった外見の少年だった。

「君は……なぜここに?」

 聞けば少年はにこりと笑みを浮かべる。
 部屋のあまり明るくないランプの明かりを受けた少年の顔はどこか少女じみていて、声を聞かなければ性別を悩んだかもしれないとシーグルは思う。

「僕はネイクス・エリエン・バーグルセク。初めまして、シーグル様」
「あぁ――では君が……」

 つまり彼が、バーグルセク卿の言っていた彼の息子なのだろうか。そういえば、彼の髪の色はくすんだ金髪で、そこはバーグルセク卿と同じだ。

「シーグル様、聞いてた通り本当に綺麗な人だなぁ。特にその目の色はすごい綺麗、そんな濃い青色見たことないよ」

 そう言って抱きつかれて、シーグルは驚く。どうにか無理矢理にならない程度で彼の体を引き離して、両肩を掴んで顔をのぞき込めば、少年は寂しそうにシーグルを見上げた。

「その……失礼を承知で聞いてもいいだろうか、君の歳は?」

 バーグルセク卿の話だと、彼の息子はラークと同じ16歳の筈だった。だが目の前にいるこの少年は、16というには子供過ぎるように思えた。弟のラークと並んでも、十人が十人共ラークの方が年上だと言うだろう程はっきりと幼く見えた。
 聞かれた言葉に気分を悪くしたのか、少年は拗ねるように唇をとがらせる。

「うん、シーグル様の言いたい事は分かるよ。……でも、これでも僕は16歳なんだ」

 ならば彼が、本当に先ほどバーグルセク卿に言われた息子なのだ。
 納得は出来たが、なぜここにいるのだという疑問は拭えない。

「こんな時間に、なぜこんなところに?」

 だからシーグルがそう聞けば。

「勿論、シーグル様に会いたかったから」

 と満面の笑顔で返されて、シーグルは対応に困った。
 確かにバーグルセク卿に頼まれてはいたものの、子供が起きているにはあまり良いとは言えない時間だ。とはいえ、16歳というならそこまで子供扱いするのも反感を買うのではないか……等々、考えて迷っていたシーグルは、そのせいで少年の出方に対応し切れなかった。

「ねぇ、部屋に入ってもいい?」
「……あ、あぁ」

 だから、突然、部屋の中をのぞき込みながらそう言われて、シーグルは反射的に軽く体を引いてしまった。そうすればするりと、開けられた空間に滑り込むように少年は部屋の中に入ってきて、シーグルが声を出す間もなくベッドの上に勢いよく座ってしまった。

「へへ〜」

 ベッドのバウンドにはしゃぎながら足をばたつかせる姿は、本当に子供っぽい。そういえばバーグルセク卿も、息子は歳の割に子供っぽいと言っていたかと思い出す。

「大丈夫、シーグル様が明日は早くから仕事っていうのは分かってるから。だからちょっとだけ、僕と話をしてよ」

 一応こちらの事情を汲むくらいには大人らしい、と思って、シーグルは幾分か安心して彼の元に歩いていく。そうすれば少年は、嬉しそうにシーグルを手招きすると、ベッドの自分の隣へ座るようにそこを叩いた。

「シーグル様、父様から僕と話をしてやってほしいって言われたんでしょ? 父様はねー僕と直接話したくないらしくてさ、ちょっと人の良さそうな人にはそう言うんだよね」
「君の方は……父様と話したいと思わないのか?」
「うん、僕父様嫌いだし。醜いよね、お母様が出ていっても仕方ないよね、あれじゃ」

 自分の父をさらりと嫌いだという少年の言葉がシーグルには分からない。子供特有の強がりのようなものかと思っても、自分の父親を『醜い』と言った時の彼の侮蔑の表情は本気でうすら寒いものを感じる。

「ネイクス、父様の事をそんな風に言うものじゃない。君の父様は、君の事をとても心配してらっしゃる。俺に君と話してほしいと言ったのだって、君を心配しての事なんだ」

 言われた少年はころころと、笑顔だけなら子供らしく笑った。

「んー、心配かぁ、まぁ心配はしてるのかな。でもさ、自分で話そうとせずに人に頼るのは僕の事が怖いからなんだって、シーグル様は知ってる?」

 笑い声が止まれば、少年の顔も変わる。外見とは不釣り合いな冷たい瞳で、少年はシーグルをうっとりと見つめる。

「それは、どういう事なんだ?」

 思わず息を飲んだシーグルに、また少年は無邪気に表情を崩してにこりと笑う。

「んー、その前に僕の母様の話をしようか。母様はすっごい美人でね、そしてかなり優秀な魔法使いだったんだ。……で、僕もその血を受け継いでね、魔力は生まれつき普通じゃないってくらい高いんだ。そういう事でね、僕、昔から魔法を普通に使ってたから、父様は僕の事怖いんだ」
「しかし魔法というのは、ちゃんと習わないといくら魔力が高くても使えないと聞いたんだが」

 シーグルがすかさず疑問を口に出せば、少年は子供らしい拗ねた顔をして足をばたつかせる。

「だーかーらー。僕には母様がいたもの。僕くらい魔力があると、使えない状態で放っておくほうが危ないからって、基本的な術の使い方は小さい頃に教えてもらったんだ」

 それならば、彼が幼い頃から魔法が使えたというのは分かる。だがそれで、ただ魔法が使えただけで父親に恐れられるというのは分からない。
 シーグルにとって、ただ魔法使いというのなら怖いというイメージはない。魔女であったエルマは確かに恐ろしい人物だったが、一般的に魔法を使うだけなら別段珍しい事でもないし、そもそもいくら母親とはいえ、子供にそこまで大きな術を教えた筈もない。

「母様は本当に綺麗な人でね、僕は母様が大好きだった」

 うっとりと夢見るように話す少年の顔は、外見通りの幼く無邪気な少年の印象を受ける。なにより母親の事を思い出して心が暖かくなる感覚は、シーグルには共感出来るものだった。

「あ、でもシーグル様もすごい綺麗、母様とは違うタイプの綺麗だよね。母様が大輪の薔薇なら、シーグル様は月とかお星様みたい」

 少年を見ていたら急に顔を向けられて、正直シーグルは驚いた。

「綺麗と言われてもな……厄介ごとが増えるだけでいいことはない」

 思い出せば、綺麗と言う言葉には大抵下心が入っていて、その所為でシーグルはいつもロクな目にあってこなかった。

「ふーん、じゃぁシーグル様は自分のその綺麗な容姿が嫌いなの?」
「いや、俺は父にそっくりだそうだから……それは、嬉しいと思う。嫌いではない」

『シーグルは父様にそっくりね』

 母親はシーグルの顔をじっと見つめると、よくそう言って抱きしめた。本当に嬉しそうだった彼女は、それだけ父の事を好きだったのだろうと、当時のシーグルはこの容姿に生まれたことを喜んでいた。
 けれども。
 母が好きだったこの髪、シルバスピナ家に引き取られた理由がこの髪の所為だと知った時、シーグルはこの髪の色を憎んだこともあった。それでも、母が本当に嬉しそうにこの髪を撫でていたことを思い出せば、この髪に生まれなければ良かったとは言えなかった。
 後になって、母がどうしてそんなに、シーグルのこの誰が見ても父の子にしか見えない容姿が嬉しかったのかという理由が分かれば尚更。

「へぇ、じゃぁシーグル様の父様は綺麗な人だったんだね、いいなぁ」

 思考の中に沈んでいこうとしていた意識が、その声で現実に戻る。
 本当に羨ましそうに言う少年の姿に、シーグルは苦笑してため息をつくと、彼の頭を撫でてやった。

「父の方が、もっとちゃんと騎士らしい立派な姿をしていたさ。君は、何故そんなに外見に拘るんだ?」

 少年は撫でられて嬉しそうに目を細めると、俯いて小さな声で呟く。

「じゃぁ、シーグル様の方がやっぱり綺麗なんだね。その細い姿はとっても…………もの」
「何て……?」

 余りにも小さい声で聞き取れなかったシーグルが聞き返せば、少年は顔を上げて満面の笑みを浮かべた。

「ううん、なんでもないよ。あ、あんまり遅くなるとシーグル様明日の仕事に差し障るよね、僕ももう寝るよ」

 そう言って、座っていたベッドから少年は元気よく飛び降りる。

「あぁ、そうだな。その方がいい」

 内心ほっとして、シーグルも彼に笑みを返してやる。
 特に問題があるとまでは思えないのに、何故かシーグルはこの少年と話すのに必要以上に神経的に疲れていた。

「今夜は本当に楽しかった。父様にも僕がすごい喜んでたって言っておくといいよ」
「そうしよう、けれどネイクス、お父様をそんな嫌うものじゃない。たとえ君の事を恐れていたとしても、あの方は君の幸せを誰よりも願っている筈だから」
「えー、そうでもないと思うけどなぁ。……あぁでも、今回だけは父様には感謝してるかな。シーグル様に僕と話してくれって言ってくれてさ」

 跳ねるように歩いていく少年を見送る為に、シーグルも彼を追うようにドアに向かって歩いていく。
 並べばシーグルの肩程しかない少年は、本当に歳の割には幼く見えた。

「部屋まで送っていこうか?」
「ふふーん、いくら子供でも自分の家だし大丈夫、部屋には一人で帰れるよ」
「そうか、ならおやすみ」
「おやすみなさい、シーグル様」

 そういって顔を近づけてきた少年に、シーグルは顔を下げて頬を出してやる。けれど、少年は手を伸ばしてシーグルの顔を押さえると、その唇に唇を重ねた。
 虚をつかれたシーグルは、驚きのまま一瞬呆然とし、口の中に少年の舌が入ってくるに至って正気に戻る。
 すぐに少年の体をはがしたものの、唇を拭ってシーグルは俯く。

「ネイクス……悪い、冗談はよせ」
「ふふふ、じゃぁね、今度こそ本当におやすみなさい」

 少年は楽しそうに笑って走って行ってしまったが、シーグルは口を押さえたまま立って、すぐには動けないでいた。
 子供の無邪気な冗談としても、許した覚えもない他人に口づけられれば、吐き気がする程の嫌悪感が体中を駆け巡る。しかも舌の感触がした時には、全身の肌が粟だっているのさえ感じた。
 もう少しで、あの少年を何も考えず突き飛ばしてしまうところだった、どうにかそれだけは抑えられて良かったとシーグルは思う。

「子供の前だと隙だらけですな、貴方は」

 声に顔を上げれば、ネイクスの行った方向と反対の廊下から、グスが歩いてくるのが見えた。

「見てたのか」

 驚きつつも、動揺を押さえつけて、シーグルは口から手を離し背を伸ばす。

「見てましたよ。言っときますが偶然ですからね。本来はちょっと明日の話をしにきただけなんですから」

 シーグルもこの古参騎士がわざわざ覗きにきたとは思っていない。だから偶然というその言葉は本当だと思うものの、それにしてもまずいところを見られたと思って心の動揺を隠せない。
 そんなシーグルの様子もすべてお見通しなのか、中年の男は大仰に肩を落としてため息をつくと、シーグルの肩に手をおいた。

「全く、貴方は本当に、普段隙を見せない分、心を許した相手には隙を見せすぎなんですよ」
「あんな子供だ、構えろという方が……」

 言い返しはしても、シーグルの声は弱い。
 グスはそのシーグルの顔に、顔を近づけてまで睨みつけると、強い口調で言った。

「いんや、貴方は分かってない。あの坊やは実は結構くわせ者だと俺は思うんですがね。……少なくとも、父親のバーグルセク卿よりもね」

 シーグルは反射的に眉を寄せる。

「何処から見てたんだ」
「さぁてね、まぁ、中を覗いてたんじゃないんですから、少なくともドアが開いてからな事は確かですよ」

 それだけでそこまで言い切るのはどうなんだ、と思って顔を顰めるシーグルに、グスはそれ以上に顔を顰めて睨みつけてくる。

「ま、貴方より少なくとも歳の分はいろんなガキを見てきてるんでね、ここはこっちの話を聞いといてください。あのガキはなんか危ねぇ、話すのさえ悪いたぁいいませんが、十分注意しといてください」

 子供だ、とは思っても、グスの真剣な忠告を無碍にする気もシーグルにはない。

「わかった、そこまで言うなら気をつけよう」

 それに確かにシーグルも、彼と二人で話していた時に違和感というか、何か不気味なものを感じていたのは確かではあったので。


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いかにもあやしげなキャラが出てきましたが、いかにもな展開になります。
シーグルさん、最近平和すぎてちょっとうかつ過ぎるようです。グスじゃなくても困りますわな。



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