【8】 深夜。 なんとも嫌な寝苦しさを感じて、ランは目を醒ました。 とにかく、暑い。 装備をつけたまま寝ているのだから、体が軋むとか痛いとかで目を醒ますのはわかるが、この時期夜は肌寒くなる事はあっても暑いというのは少しおかしい。肌に感じる空気は少しひやりとして、これで暑いとはどうしたことかとランは思う。 仕方なく、シーグルがくれた上掛けを剥がし、汗を拭う。 襟に手をつっこみ、引っ張って無理矢理首もとを緩める。 確かに、鎖帷子の下に着ている鎧下は綿がところどころ入っていて、これで寝るのは暑苦しくはある。それでも若手ではあるまいし、この格好のまま寝るのだって今まで何度かあった彼が、これだけ寝苦しいと感じるのは不思議だった。 喉が乾いた。 そう思った彼は、腰にある水袋に手をのばす。 そこからこくりと一口だけ水を入れて、そうして今度は上掛けを先ほどよりも軽く、足から下へ掛ける程度にしてまた目を閉じた。 ゆっくりと睡魔が近づいてくる。 こういう場面での睡眠は、元より深いものではない。 何かあったらすぐ反応出来るように、体は休んでも精神は深く沈んではいない。 暑い。 ランは寝ながら再び汗を拭う。 暑い、寝苦しい、暑い、暑い。 それでも体は睡眠を欲し、意識を眠りへと落としていく。この状況で寝れる筈などないと思うのに、何故か深く、泥沼に落ちていくようにどろりとした眠りへと彼の意識は飲み込まれていく。 そうして、寝苦しそうに顔を顰めていたその眉がピクリと揺れ、きつく閉じられていた瞳が開く。 隊の中でも頭一つ近く皆から飛び抜ける大男は、その大きな体をゆっくりと立ち上がらせた。 明かりを落とされた部屋の中は暗く、僅かに入る月明かりでかろうじて家具の輪郭が浮かび上がる程度だ。けれども彼は、その暗さを全く気にする事なく、障害物に当たる事もなく、真っ直ぐとシーグルが寝ている寝室の方へと歩いていく。 彼には今、この部屋が見えていなかった。 彼の瞳に映っているのは暗いこの部屋、けれども彼が見ているのは現実のこの部屋ではなく、意識の中の風景だった。そこは暗くもなく、なま暖かい空気と甘い匂いの入り交じった特殊な空間で、彼が進む先には目的の人物がいる筈だった。 この、体を包む熱を向けるべき相手。 獣のように、奪って、犯して、めちゃくちゃにしたいという激しい欲求が、今、彼の頭の中を埋め尽くしていた。 どくり、と血が波打つ度に、姿が見える、声が聞こえる。 銀髪の美しい青年が、その白い裸体を惜しげもなく曝し、快楽に悶える姿が。荒い息の中、甘い声をあげて、せつなく喘ぐ声が。 ――思うままに奪えばいい、欲望を突き立ててしまえばいい。 誰かの声に突き動かされ、彼は歩く。 寝室は扉で区切られてはおらず、壁の敷居を越えた彼の前には、客用のベッドに静かに眠っているその人物の姿がある。 彼にはベッドも、部屋も見えていない。 彼に見えるのは眠っているその人物だけ。 もうすぐ、手に入る。もうすぐ、思うまま貪れる。 喉からせり上がる欲の塊を飲み込んで、はぁはぁとまるで獣のように荒い息を感じて。 熱の吐き出し口を求めた彼の手が、その銀の髪に伸びる。 けれども。 「――……っぁ」 彼の手はそこで止まる。 彼の瞳に映るのは、眠る銀髪の青年の姿。 いつも気を張って凛とした姿を崩さない彼の眠る顔は、その普段の顔からは驚くほど幼くなる。体を少し丸めて、軽く握り込むようにした手を顔のそばに置くその姿は、子供の眠る姿そのものだった。 大男の体が、ベッドから後ろへとのけぞるように離れる。 シーグルへ伸ばしかけていた自分の手をもう片方の手で押さえて、ランはよろけながらそのまま壁へと倒れ込むように背をつけた。 体の熱は消えていない、頭に浮かぶあり得ないシーグルの姿も、耳の傍で囁かれたように聞こえる甘い喘ぎ声もまだ消えていない。 それでも、今の彼にはちゃんと意識があった。 荒い息のまま、頭を壁に当て、両手をきつく握りしめて、彼はその感覚を押し殺す。 「っぁ、はぁ――……どうにか……」 どうにか、抑えられた。 目を閉じ、壁に重い体を預けて、ランは荒い息を吐く。 自分は一体何をしようとしていたのか、どうしてそんな事を考えたのか、自分で自分が信じられなくて、ランは荒く息をしながら歯を噛みしめて体の熱を押さえ込む。 シーグルを綺麗だと思った事はある。 テスタのように、そういう対象として見たことがまったくないとも言わない。時折酷く艶めいた表情を見せる彼に、どきりとした事がない訳じゃない。 けれどもそれは一瞬の事で、行動にしたいと思うほどのものではない筈だった。 ランにとってのシーグルは、そんな欲の対象としてよりも、普段の彼から想像できない子供のような部分ばかりが印象深い。誰よりも騎士らしい若い青年の、時折見せる子供じみた表情に、小さな自分の息子を重ねて暖かい気持ちになるのが常だった。 そんな彼を守りたいと思いこそすれ、欲をつきたてたいと行動を起こすなど、自分にはあり得ない筈だった。 それでも、と。 ランは目を閉じ、やっとすこし息が落ち着いてきた息を感じながら、小さく呟いた。 「メルセン……お前のおかげで助かった」 最愛の息子を思いだし、ランは呟く。 どうにか正気に戻れたのは、眠るシーグルの姿が自分の息子の寝顔に重なったからだった。 休暇から団に戻る時、ランは泣かれない為に、息子が眠っている間に家を出ることが多い。いかないでとずっと服の裾を持たれながら眠られたこともある。 いつも、いつも、別れを告げてきた幼い息子の寝顔と、眠るシーグルの姿は驚く程よく似ていた。熱に浮かされた頭の中に、息子の寝顔が映って、ランは正気を取り戻す事ができた。 「ラン? どうかしたのか」 聞こえた声に、びくりと彼の表情が強張る。 こんな状況では、さすがにシーグルも気配に気づいて起きたのか、眠気を残さずに開かれた青い瞳がじっとランの顔を見つめてくる。その表情は驚いてはいたものの、自分を全く疑っていない事は確かだった。 「……気分が悪くて……外に出てきます」 ランが言えば、シーグルは心配そうに眉を寄せてベッドから起きあがろうとする。 「隊長はそのままで。……俺は、大丈夫」 上掛けを剥ぎ、夜着のまま立ち上がろうとしたシーグルを手を振って制し、ランは背を壁に付けたまま、彼から目をそらして離れていく。 「大丈夫、です。ただ……俺が、出た後は鍵掛けて……ください」 普段なら首もとまで隠されている格好ばかりの彼の、その細い喉元や、夜着から見えた腕や素足だけでも、今のランには目の毒だった。 頭はどうにか正気を保てても、体の熱はまだあの青年を欲しがっている。それがわかっているから、彼の顔さえ見る事が出来ない。 シーグルから離れると、ランは逃げるようにその部屋を出る。 自分が信用できない今、シーグルの傍にいる訳にはいかなかった。ランは冷たい外気を求めて、建物の外にまで出ていった。 「ちぇー、なんだよ正気戻っちゃったのかー。あの大男に犯されまくる可愛そうなシーグル様が見たかったのにさー」 座った椅子からぶらぶらと足をばたつかせて、少年はつまらなそうに悪態をつく。 その後ろから、少年の頭を軽く抱くように自分の胸に寄りかからせた青年は、手に持った杖で鏡の中に映る暗い部屋を指した。 「まぁそれは残念だけどね。お楽しみはちゃんと本番まで残しておこう。彼の痴態はやはりこんな鏡越しじゃなくナマで見なきゃって事だね」 なでられた頭にうっとりとした表情をし、少年は青年の胸に寄りかかりながら言う。 「うん、まぁ、どっちにしろ計画通りだからいいけどさっ」 「うんうん、これであのデカ男君は、自分から離れてくれたね」 文句をいいながらも、少年が本当にふてくされている訳ではないというのは、口元の笑みに歪んだ唇が教えてくれる。 魔法使いの青年は、うっとりと気持ちよさそうに頭をなでられれている少年の髪の毛に唇を落とし、囁く。 「それじゃ、ここで最後の仕掛けだ。存分に楽しむといい」 くすくすという、二人の笑い声が部屋を不気味に満たしていた。 --------------------------------------------- ランさん危機一髪? エロ展開にならずガッカリした方は、次回が一応エロ入ってくるので許して下さい。 |