【2】 祭初日という事で、混雑している大通りは、馬に乗って通るのははっきりいって通行の邪魔になる。一応、通行人は馬や馬車用に道の真中を開ける事にはなっているが、そもそもその馬車も多い為、混雑の緩和がまったくされない。しかも、大聖夜の式典当日になれば許可のない馬車や荷車は通行禁止となる為、大荷物を運び込むものは今日明日中にしなくてはならないと、荷台や荷車が普段の倍は通っている。はっきり言って、今大通りを馬でいくのは余程事情を知らないよそ者くらいだといっていい。 だからシーグルは裏通りの、人通りが多くもなく、それなりに道幅がある場所を通って館へ向かう。一応あまり治安のよくない場所も通るものの、さすがに余程の相手でなければ身を守れるし、いざとなれば馬でつっきって逃げればいい。通った事もない道ではないし、いつもよりは人通りがあるくらいだし、それに問題があるとは思えなかった。 そう、だから、見えている風景がいつからか、嘘の風景に変わっているなんて、シーグルもすぐに気づく事が出来なかった。 それでも、何かおかしいとシーグルが気づいたのは、見える人通りの割に、感覚的に人の気配がしないと思ったからだった。 馬上にいる為、すぐ近くで人の横を通る訳でもないから、最初はそこまで頭が回らなかった。だが、いくつめかの角を曲がった時、通行人がすぐ傍を通って、あやうく馬でひっかけそうになった事から異変に気づいた。 馬はデリケートな生き物だ。いくら曲がり角を曲がったばかりといっても、人がいれば避けたがる。それがそのまま進もうとしたのだから、本当に今の人物は存在していたのだろうか、と。 シーグルは別に馬を走らせてまでいたわけではない。つまり勢いの所為で馬が気づけなかったという訳ではない。 ふと、馬をとめて辺りを見回せば、不気味な程に静まり返った風景に、肌がぞわりと総毛立つ。 後ろを見れば、先ほどすれ違った筈の人の影もない。 シーグルが気づいた事で、向こうも小細工をやめたという事だろう。 「さすがに、そうそうひっかかりませんか」 くすくすと楽しげな笑みが聞こえて、シーグルは急いで声のする方、正面に向き直った。 「何者だ?」 言えば、声の主は着ている長いローブの端をつまみ、見かけだけなら優雅にお辞儀をしてみせる。 気配を感じさせずに目の前にいる男に、シーグルは手を腰の剣に掛けた。 「失礼、シーグル・シルバスピナ様。少々貴方を邪魔のいないところでじっくり見たかっただけですので、そんな警戒しないで下さいませ。危害を加える気はありません、少なくとも、今は」 長いくすんだ金髪を後ろで緩く纏め、茶色の瞳という容姿は大切な友人を思い出させて、シーグルは少しだけ嫌そうな顔をする。 杖は本人の背よりも大きく、若々しい姿と落ち着き払った態度は妙に違和感がある。どうみても、それなりに名のある、つまり力がある魔法使いだと思うが、名乗らないからには言いたくないだけの理由があるのだろう。 「分かった、今は、そちらの言い分を信用しよう」 言えば魔法使いは、またくすくすと楽しげに笑う。 「いやいや、それであっさり信じるのもよくないですよ。魔法使いはすべて疑うくらいが貴方にはちょうどいい。そして、こんな寂しい道を一人で行くのはおやめなさい。少なくとも、祭りの間だけでもね」 魔法使いの雰囲気に少なくとも敵意はない。とはいっても味方と思えるような分かりやすい人物でもなくて、シーグルは警戒を強くする。 「それは忠告としてうけとっておけばいいのか?」 「えぇそうですね。忠告です。あぁ、後、魔法使いじゃないからといっても、神殿の印以外の入れ墨を体に入れている者にもご注意を。十中八九、魔女の手先ですから」 「そういう者を前にも見たことがある」 「でしょうね。あの魔女は調子に乗りすぎていましたから。いい気味でした」 笑う魔法使いは、更に唇を歪め、今度はくくくと肩を揺らしてみせる。 不気味な相手ではあるが、少なくとも、彼の忠告は本物ではあるらしいとシーグルは判断して、腰にかけていた手を離した。 「忠告は感謝しておく。だが俺も急いでいるんだ、そろそろ話は終わりにしてくれないだろうか」 まだ笑っていた魔法使いは、やっとその笑みをやめた。 「そうですね、これは失礼、では、また」 そういって、一瞬、姿を消した魔法使いにシーグルは安堵しかけたが、即座に目の前に現れたふわりとした影に、思わず短剣を抜き斬りつける。 けれども、斬ったという手応えは手に返らない。 ただ、影はふわりと空中で膨らんで、シーグルの視界を覆ったかと思うと、次の瞬間には相手の顔が目の前にあって、唇に相手の唇が押し付けられていた。 シーグルは再び剣で目の前を払うが、やはり手ごたえは何もなく、耳元に笑い声だけを残して魔法使いの姿は掻き消えた。 主の動揺が伝わった馬が、軽く暴れる。 反射的にシーグルがそれをなだめ、それから辺りを見回しても、もちろん、あの魔法使いの姿はどこにもなかった。 午後の仕事は、街中の方の警備の手伝いであった。 ただし、街の混雑ぶりは承知しているので、勿論、手伝い要員の予備隊は、隊長のシーグル以外は徒歩となる。と、いうのは皆承諾しているものの、シーグルの後ろに乗っている人物の姿には、抗議交じりの複雑な目が向けられていた。 「おい、何でキールがここいんだ?」 「どうしてもついてくって言ったらしいですよ」 「いや、ついてくのはいい。何で隊長の後ろに乗ってんだよ。こういう時馬乗るのは隊長だけって決ってんだろ」 「隊長の後ろ……いいなぁ」 と、他の者がこそこそと言っているのはシーグルも分かってはいたが、体力のない魔法使いを歩かせる気ですか、と言われたら乗せない訳にはいかなかったという事情がある。いっそ、キールだけ乗せて自分は降りようかと思ったくらいだったが、それは全力で周りの者に止められて、結果、ただでさえ一人だけ馬で目立つところに、二人乗りなんて事をするはめになったのである。 「キール、そこまで騒がなくても、皆も一緒のところなら、流石に大丈夫だと思うんだが」 「いーえ、貴方は放っておくと何時一人になるか分かりません」 どうやら、先程屋敷に帰る時、一人で帰って途中魔法使いに会ったという事に、相当キールは怒っているらしかった。 なにせ、こうなった原因は、昼が終って騎士団へ帰った途端、キールがすごい剣幕でシーグルにつっかかって、一騒動あった事に他ならない。 『シーグル様ぁ、あれだけ言ったのに知らない魔法使いについていきましたねぇ?』 キールは、執務室に入っただけで気付いたらしく、唐突に立ち上がって、シーグルに向けてずかずかと歩いてきた。 『人を子供みたいに言わないでくれ。ついていったんじゃない。……だが、油断していたのは認める』 『全くぅぅあれだけ言ったのにですからねぇ。魔法使いの残り香がきっちりついてますから分かるんですよ!』 『香り、があるのか?』 『相手さんはわざと残していったんでしょうけどねぇ、雑魚共が手を出さないようにってぇね。……まぁ、今回はそれだけで良かったですけど、性質の悪い連中だったらまた隊の皆総出で心配して探し歩く事になりますよ』 それには流石にシーグルも反論の言葉を失う。なにせ、ついこの間、油断して拉致されて、隊の者全員とキールで探し回ってもらった上、無理矢理寝たきり生活をさせられたばかりであったのだから。 『まったく仕方ないですねぇ、午後からの仕事は私もついていきます。えぇ、文句は言わせませんよ〜貴方の自業自得ですからねぇ』 そういうやりとりがあった所為で、今に至る訳なのだが。 実は、キールを連れて行く上で隊の者ともやはり一騒ぎあって、実際の仕事に入る前に、シーグルはやけに精神的に疲れてしまった。 「しかし、そもそも何故そんなに魔法使いが集まっているんだ。彼らが祭りに集まる目的は何なんだ」 魔法使いというものは、いろいろと独自の掟やら秘密がある、というのはシーグルも知っている。だから、彼が聞いた事に答えられないと返すのにも腹を立てる気はない。 だが、このくらいならある程度は話していいのではないか、というアタリをつけている理由もあった。 「昼に、魔法使い見習いの弟に聞いてみたんだが、とにかく、聖夜祭の夜は魔力が高まるから、魔法使いは首都に集まるという事しか知らないといっていたんだが」 ラークがいうには、見習いが知ってもいいレベルの話は、一般人が知っても問題ない筈だという事だった。 キールが背で溜め息をついたのが分かる。 それから彼は、シーグルの背に掴まりながら顔を前に出して、声を少し顰めていってくる。 「しっかたないですねぇ。まぁ、その通り、聖夜祭の夜ってのは一年で一番魔力が高まる時ですからね。そういう時にいろいろ企む連中が多いんで、とりあえず首都に集まらせて、やばい事をさせないように見張るんですよ」 シーグルもまた、少しだけ声を潜めて聞き返す。 二人だけが一緒の馬に乗っている為、大声でもなければ、会話は他の隊員達には聞こえない筈だった。……何か話している、というのは分かるだろうが。 「何故首都なんだ。祭りの混乱で見張るどころじゃないと思うんだが」 「まぁそりゃ〜魔法使いの集まりっていや、本来ならクストノームなんですがね、あそこは集めても逃げ道がいろいろあってまずいんですよ。その点、こっちは祭りの日は街の警備自体も固いですしね、町中は導師の塔がいろいろ監視の術を入れてるんで見張りやすいんですよ」 なるほど、と一応は納得するものの、シーグルにも多少思うところがある。 「……監視する、という目的で集めている割には、監視しきれてないんじゃないのか」 そうでなければ、シーグルが危険だと騒がれる筈がない。 「まぁ、そうなんですけどね。一応偉いさんが集まってるんで、大きな事が何かあってもすぐ対処出来る、ってくらいですかねぇ」 「その為に、小さい事には目を瞑るのか」 不機嫌にいったシーグルの言葉に、キールは笑う。 「それはありますねぇ、確かに」 けれど彼はすぐに笑うのをやめて、声のトーンを少し落とす。 「ただ、貴方の件は、『小さい事』でもないんですよ。でなきゃ、私がこうしてついてなんかいませんて……」 後半の台詞は声が小さすぎてほとんど聞き取れなかったシーグルは、顔を顰めて聞き返そうとした、のだが。 「ほら、たとえばですねぇ。あそこで緑色のフードをかぶってる人物が見えますか?」 唐突に聞かれた事に、話をうやむやにされた気がしながらも、シーグルはキールの言う方向に顔を向けた。 つまり、彼が話せるのは、ここまでという事なのだろう。 「あぁ、見えるな」 フードの人物が顔をあげてシーグルと目が会う。 そうすればその人物は軽く手を振ってきて、シーグルはどうすべきか悩んだ後、キールの様子をちらとだけみた。 「あの人も魔法使いですよ。で、十中八九、貴方を見る為にあそこにいたんだと思いますよ」 シーグルはもう一度件の人物を見て、兜の下で嫌そうに顔を顰めた。 「あの人だけじゃなくて、さっきから何人も貴方を見に来た魔法使いを見かけましたよ」 「……まるで見せ物だ」 何故そんなに魔法使いが自分に興味を持っているかは聞いても教えて貰えない為、ただ不気味な視線を耐えるしかない。 ただ確かに、ここまで言われればシーグルも危機感が実感として伝わって来る。 「分かった、魔法使いには十分注意すればいいんだな」 「そういう事です」 --------------------------------------------- お祭り中のシーグルさんでした。今回はちょっかい出してきた人がいた程度の話ですが、次回はとうとう行動に出る人達が出てきます。 エロはおそらく4かな。 |