【3】 魔法使いには気をつけろ。 そして、一人にはなるな。 それが、キールに言われた事で、さすがにある程度実感していたシーグルは、以後、それを守って気をつけていたのだ。 だが、ことはシーグルの想定外で起こった。 あの後、祭りの一日目は問題なく過ぎ、二日目も問題なく仕事に忙しいだけで過ぎはした。そう、後者には昼間の仕事時間については、という前提がつく訳だが。問題は夜で、明日の夜の式典に向けて来国した国外からの賓客らの為、その日は夜会が開かれる事になっていて、そうなれば当然、まだ代理がつくが旧貴族の当主としてシーグルは出席しなければならなかった。 それでも、ちゃんとシーグルは注意していた。 一人にならない為に、会場から逃げ出す事もせず、話しかけてくる者達にも嫌々対応して、我慢の限界に挑戦していたといってもいい。 ただ、流石にシーグルもいい加減逃げ出したくなっていたところで、他の若い旧貴族の子息達に声を掛けられ、お疲れのようでしたら少し別室で休憩しませんか、と言われてそれを了承してしまった、というのが問題だった。 一つには、最近の貴族の子息にしては、言葉使いも態度もしっかりしていて、なかなか話がわかりそうな者達に見えたというのがある。それに、前々から、少しは同年代の貴族の知り合いを作るべきだ、と言われていたのもあった。 それで彼らが、騎士として訓練をしなかった自分を恥じ、騎士としての話を聞きたいなどとも言われれば、シーグルだって断ろうとは思えなかった。 相手は5人、彼らに誘われた場所も別に遠い離れでもなく、メイン会場である広間脇にいくつかある小部屋の一つだった。この会場の警備は厳重で、もちろん警備側には魔法使いだっている筈だ。 だからシーグルも大丈夫だと判断した。 けれども、小部屋に入った途端、シーグルはすぐに後悔をする事になった。 部屋自体は、この手のパーティ用の広間脇の部屋としてはよくある作りで、ソファといくつかの椅子に小さなテーブルがある、休憩室や衣装直しの部屋らしいさほど大きくもない部屋だった。 ただ、そのソファには既に一人の女が座っていた。 一見すれば、パーティ参加者と思われる豪奢なドレス姿の女は、だが手には魔法使いの印である杖を持っていた。 そして何よりもシーグルにこの部屋へ入った事を後悔させたのは、彼女の表情とその持つ雰囲気だった。 彼女の目はこの部屋に入っているときからずっと、シーグルだけをみていた。その目と、纏う女の雰囲気は、エルマが自分をみていた時と瓜二つだった。 つまり彼女は、魔法使い、というだけでなく、性質の悪い方の魔法使い――へたをすると魔女、なのだと直感は告げていた。 「はじめまして。シーグル・アゼル・リア・シルバスピナ様」 優雅な礼に返すより早く、ドアを振り返ったシーグルの前に、ここに連れてきた貴族の若者達が立ちふさがる。 「あらぁ、シルバスピナの若様は、レディに挨拶も返さないのかしら」 芝居かかった声でそういわれて、シーグルは忌々しげに女を振り返る。 「どうやってこんなところに入り込んだ」 「失礼ねぇ、ちゃんとそこの坊やの一人にエスコートして貰ってよ」 見た目だけなら若い貴婦人らしくころころと笑う女は、だがシーグルの瞳がそれで少しも和む事なく睨んでいるのをみて、諦めたように肩をあげるとため息をついた。 「折角初対面のご挨拶くらい、ここに似つかわしく優雅にしようと思ったのに、あっさり警戒されちゃうなんて。この格好も無駄だったかしら」 口をとがらせて彼女が言えば、後ろの者の一人が前にでる。 「いいえ、我々は貴方のそんな姿をみられただけで幸せです。本当に貴方はお美しい」 「ふふ、ありがと」 確かに、見た目だけなら女は相当の美人といって差し支えなかった。ただし、シーグルは彼女が見た目通りの年齢ではないだろうことも、へたをすれば顔さえ作って元の顔でさえない事も分かっていたので、彼女を賞賛する気など欠片さえわかなかったが。 「全く、綺麗なくせに、愛想なんてまるっきりないのね、貴方」 「生憎、こちらにとって害になる者にまで愛想を振りまく余裕はない」 言いながら、シーグルは部屋の中を見渡す。 ドアまでの距離はそこまでない。いくら5人といってもロクに鍛えていない貴族のドラ息子連中など、振り切って逃げる事は可能だと思えた。 「まぁいいわ。騙す必要もないならまだるっこしい事はなしよ。早速味見といきたいところね」 一応は貴婦人に見えていた女が、その言葉とともに表情を変える。 粘つく瞳を取り繕いもせず、唇の端を思い切りつり上げて、彼女は魔女独特の狂気じみた笑みを顔に浮かべた。 女の様子を伺いながらも、シーグルはドアと自分の距離をはかる。間にいる者達の動きを頭で予想して、体を構える。 「さぁ、パーティーを始めましょう」 女が言うと同時に、シーグルはドアに向かって走った。 当然ながら、予想通りに貴族の若者達はシーグルを捕まえようと掴みかかってくる。それらをかわし、目的地へとたどり着いたシーグルは急いでドアを開けようとした。 けれども、ドアはあかない。 どれだけ取っ手を動かそうとしてもまったく動かず、おまけにどれだけ乱暴に扱ってもガチャガチャという音さえ立てない。 「そういうのには、魔法的に細工してあるに決まってるじゃない。なにせ、そっちではパーティしてるんですもの。声も漏れないようにちゃんと準備済みよ」 馬鹿にした笑みを浮かべる女を見て、ならば何故微かとはいえ会場の楽の音が聞こえるのだろうとシーグルは思う。 それから、窓を見て、それが僅かに開いている事に気付いて、シーグルは今度は窓に向かって走った。 「はやく、止めなさいっ」 ここは3階、だが3階とはいっても一般的な家でいえばゆうに4階くらいの高さはある。だからまさか窓から飛び降りるとは思ってはいなかったのだろう。 胸にあるリパの聖石に手をあて、窓を思い切り開け放つと、シーグルは迷う事なく窓の外へ飛び降りた。 「神よ、光を我が盾に……」 同時に『盾』の呪文を唱えて。 「やめなさいっ、死にたいのっ」 女のヒステリックな声を遠くに聞いて、術を唱え終わったシーグルはくるだろう衝撃に備える。 風の音が耳を通りすぎ、地面がすぐ目の前に迫った瞬間、見えない弾力のある壁にぶつかって、シーグルは地面からはね飛ばされた。流石に、どんなとばされ方をするか全く予想ができなかった分、綺麗に着地は出来はしない。けれども、どうにか受け身は間に合ったらしく、シーグルは地面に転がった後、すぐ立ち上がる事ができた。 「運もよかったな……」 シーグルがはね飛ばされた場所は、丁度芝生の上だった。見れば、直接落ちた筈の場所には大きな窪みというかへこみが出来ていて、衝撃はほとんど地面の方が受け取ってくれたのかと納得する。考えれば、『盾』は攻撃の衝撃をこちらに返さず向こうに返すのだから、この結果もなるほど理に叶っているかと思う。 体の状態を確認して、シーグルは一度額の冷や汗を拭う。 『盾』の術がこんな事に使えるというのは、ついこの間、ウィアとラークから大イノシシを倒した話を聞くまではシーグルも思いつかなかった。 これは、あの二人に感謝しておくべきだな、と得意げなウィアの顔を思い出して苦笑すると、シーグルはすぐにその場から離れるべく走り出した。 元から魔法使いにとってならば、あそこから降りる事は難しい事ではない。折角逃げ出せたのだから、できるだけ急いでここから離れなくてはならない。特に、ここは丁度表門からも中庭からも離れていて、ぱっと見、辺りに人影がない。不可抗力とはいえ、これではキールとの約束を破った事になる。 シーグルが目指しているのは中庭だった。あそこならかなりの人がいるはずだし、広間からもよく見える。背の高い植木に邪魔をされてはいても、方向はあっている筈だし、後は明かりを目指していけばたどりつく。 シーグルは自分の方向感覚に自信があったし、それで間違いない筈であった。 けれども、どれほど走ったのか。 走っても走っても、明かりがまったく近づかない事に気付いたシーグルは、足を止めて辺りを伺う。 「やはり、他にもいたか……」 こんな事をするのは、魔法使いに違いない。 だが、振り向いても先ほどの女や貴族のぼんくら息子共の姿は見えず、逃げてきた部屋の窓はもう見えない。もし、また敵があの女ならば、足を止めた時点で姿を見せる筈だし、自分を迷わせるならあの場所へ戻るように誘導するだろう。 だから、これは別の手の者だ。 シーグルは目を閉じて、辺りの気配を探る。 幻術の類なら、目を閉じた方が辺りを正しく認識できる。ついでに、この風景を見させている相手の気配が探れれば。 「あーあ、もう、気付いちゃったかぁ」 やけに脳天気な声が聞こえて、シーグルはその声の方を向いて、目をゆっくりと開けた。 「もうちょっといけば準備してた場所についたんだけどなぁ」 やはり、見た目だけなら若く見える、魔法使いの青年が、残念そうに近づいてくる。 「お前も魔法使いか、何故、そんなに魔法使い連中は俺を狙うんだ」 シーグルは反射的に剣に手をかけようとして自分が丸腰な事を思い出すと、代わりにリパの聖石のある胸に手を置く。シーグルが敵意むき出しで身構える姿に気づくと、魔法使いは少し笑って足を止めた。 「ふぅん、やっぱり何も知らないんだなぁ。ま、ギルドの規約に縛られた連中にゃ言えないよなぁ。あのね、君の体にはね、黒の剣の力が流れてきちゃってるのさ」 「黒の剣?」 どうしてそこでその名がでてくるのか、シーグルには分からなかった。黒の剣の主はセイネリアで、シーグルは剣に触れた事さえない。直に見た事だって一度しかない。 「そ、黒の剣。あの剣の力は、魔法使いなら誰でも喉から手がでる程欲しい。でも剣に触れれば破滅だし、ならばといって主のあの男は付け入る手段がない。だから、あの剣の力を一番簡単に、安全に手に入れる方法が君なんだよ」 楽しそうに青年が説明する言葉が、シーグルには理解できなかった。どう考えても、黒の剣の力が自分に関わりなどある筈がないのだ。 「何かの間違いだ。俺はあの剣とは何の関わりもない」 魔法使いの青年は笑う。 「関係も理由もどうでもいいのさ。君の中にあの剣の力の欠片が流れてきてるっていう現実だけが問題なんだから」 魔法使いは笑う。 それから杖を高く掲げ、その口が呪文を唱える。 ……途端、辺りの風景が変化していく。まるで、薄い布のカーテンで幾重にも周りを囲っていたその布が消えていくように、少しづつ少しづつ、部分的に風景がぼやけて他の風景と重なり、やがて完全に風景が切り替わる。 そこは、夜会のあった水星宮の庭ではなく、どこかの開けた草原の中だった。 「幻覚、じゃないのか」 シーグルが思わず呟けば、魔法使いは笑う。 「僕の専門は幻術じゃなく、空間操作だよ。さっきまで見てた風景は、君の周りに空間の膜をつくってあの庭を映して見せてただけでね、走る君の行く手に空間の歪みをつくってここにまで運んできたのさ」 さすがにこの事態はまずい、とシーグルも理解する。 目の前に知らない魔法使いがいて、おまけに人目もまったくない。 さらに言えば、状況は刻一刻と悪化していた。 「うん、彼らもやっと追いついたみたいだ。予定場所よりちょっとずれちゃったからなぁ。でも今ちょっとお話してたからね、間に合ったらしいね」 開けた広い草原の中では、近づいてくる人の群がよく見える。人数は10前後といったところか。 リパの夜、満月直前ともなれば月は明るく、見える人物達の姿は夜とは思えないくらいにははっきり見える。危機感だけが積み重なっていく中、シーグルはごくりと喉を鳴らした。 やがて、魔法使いの青年の元に、その人物達がやってきて集まる。 「それじゃ、皆、騎士様を楽しませてあげてね」 高く空に向けて手をあげた魔法使いの手の甲には、エルマの時のように、今度は蝶の形の入れ墨が見えた。 --------------------------------------------- えぇ、次はエロです。流れ通り予想通りの展開です。 |