【7】 当初のシーグルの予定では。 競技会が終わってから一度、自分の隊の様子を見に行き、夜の式典の準備も兼ねて館へ帰る、という事になっていた。 ところが、急遽夜の式典前にチュリアン卿と試合をする事になってしまって、準備の為に一度館に帰るのはまだしも、隊のところに顔を出すなんて暇はどこにもなくなってしまった。 とはいえ、その場でいきなり試合という事にはならずに済んで、それだけにはシーグルは内心ほっと胸を撫で下ろしたのだが。観客の盛り上がりから言えばはその場ですぐ勝負、という流れになっていたのを、チュリアン卿自身が、シーグルの装備が試合用でないため準備が必要だと言ってくれて、その為の時間を取ることになったのだ。観客席からは不満の声が上がったものの、理由が理由であるから仕方ないとは主席大神官も認めてくれて、本式典の前に改めて試合を行うという事で話が纏まった。 ただやはり、本番の式典の進行に影響を極力与えない為、試合は馬上槍試合のみ、3本勝負という事になった。剣の試合は決着までどれくらい掛かるか予想できないというのもあるし、やはり競技会の華は槍試合である為仕方ない。 表彰式終了後、試合についての大まかな説明だけを受けたシーグルは、改めての事前打ち合わせ前に、とりあえず準備を済ませるために館に帰る事にした。 だが、説明の神官達から解放されて、預けていた馬を取りにいく前に、シーグルをまっていたらしい馬車から声を掛けられ、またシーグルの予定には変更が入る事になった。 「急いで下さい、早くっ。屋敷に送りますからっ。馬はこちらでちゃんとお届けしますっ」 いかにも不審な様子の馬車に素直にシーグルが乗り込む事になったのは、そこから声を掛けてきたのがキールだったからだった。 「まったく、次から次へと、面倒な事になりましたねぇ」 シーグルが馬車に乗ると、キールがいるのはいいとして、意外な人物も乗っていたのに気づいて驚く。 「ふむ、確かに体調が悪いようだね」 「ウォルキア・ウッド様?」 長いゆったりとしたローブに、魔法使いらしい長い杖。見た目は若々しいのに、妙に声が落ち着いた彼は、子供の頃から医者に掛かる事が多かったシーグルの掛かり付けの治療師の一人、魔法使いウォルキア・ウッドだった。 「まーったく、不可抗力とは聞いてますけどねぇ、何で貴方はそんなにあっさり捕まりますかねぇ」 嫌味たっぷりに自分の文官に言われて、シーグルは驚いていた表情を少し拗ねたようにしてキールをみる。 「……何処から、何を聞いたんだ」 「昨夜のことですよ。盛大に喘いでお楽しみだったそうですねぇ」 その言い方には、反論する気力もなく絶句する。 「小言はまた改めて。ともかく今は、その兜の下の青い顔をどうにかしてください。まぁた何も食べていないんでしょ」 「……食べる気がしなかったんだ」 「わかってますよ、だからこの方がいらっしゃるんですから」 そういってキールが身を引けば、やっと治療師ウォルキア・ウッドと顔をあわせる事ができた。 「まったく君は、また食べないでいるのかね」 「すみません」 言葉は叱っているようなのに穏やかな魔法使いの声に、シーグルは子供の頃からのくせのように謝ってしまう。 治療師はシーグルの顔に手を伸ばす。 シーグルは兜を剥いだ。 「どれ、顔をよく見せてごらん。……まぁ、まずい類の薬を使われた形跡はないね。せいぜい効果の短い媚薬や部分麻痺の薬かな。なら後は体力の回復と、治療、だけど……」 それでちょっと言いにくそうに言葉を濁した後、魔法使いは苦笑して、シーグルの手にいくつかの瓶と紙の包みを渡した。 「まず、これとこれは屋敷へいったらすぐに飲むように。いつもの栄養剤だ、分かるだろ。それでこっちだが、これはその……患部にだね、塗ってくれればいいから」 それでシーグルも、思わず顔を赤くする。 「患部、ですか」 「うん、だから自分で後でやりなさい。人にしてもらうのは嫌だろ?」 「わかり、ました……」 シーグルは赤くなったまま、視線を下に向ける。 相手が苦笑しているのが気配でわかる。 「後は少し、その顔色をどうにか見せるように術を掛けてあげよう。ただしこっちは見た目だけだからね、それで安心してはいけないよ」 「ありがとうございます」 そちらの心遣いは素直に嬉しかった。流石にこのまま屋敷に帰ったら、兄が心配して大騒ぎになる。さらにこれから一試合あると言えば、どれだけ必死に止められるか想像に難くない。 「先程の質問への回答ですがねぇ、どこから聞いたかってのは、昨日の事情を知ってる方からっていやぁ誰だから分かりますねぇ? まぁ今回はあっちに感謝しててください。私と、ウォルキア・ウッド様に連絡して段取りを付けてくれたのはあっちの方ですからねぇ」 キールが言えば、彼の隣に座っているウォルキア・ウッドは、にこりと優しい笑みを浮かべた。 「うちの不良弟子から連絡が来たからね、正直驚いたよ」 「不良弟子?」 シーグルが聞き返せば、治療師の魔法使いは、少しお茶目にウィンクをしてみせる。 「サーフェスは形式上破門扱いになっている、私の弟子なんだよ」 それにはシーグルも驚く。 「弟子、ですか?」 「うん、とても優秀で……天才と言ってもいいくらいだったんだけどね……ある不幸な出来事の所為で破門せざる得ない状況になったんだ。……ただ今はあの男のところにいるからね、まぁ、処分対象にならずに済んで良かったよ」 やはりあの医者の青年も深い事情があるらしい。おそらく彼も、セイネリアと個別に契約をしているうちの一人なのだろう。 それにしても、世間というのは狭いものだと思わずにはいられない。治療師ウォルキア・ウッドと言えば、その方面では相当の有名人だ。ただ考えれば弟子もたくさんいる訳で、それなら不自然な事でもないのかと思いはするが。 何処か困惑した顔をするシーグルに、更に治療師の魔法使いは悪戯を思いついた楽しそうな笑みを浮かべると、術の準備をしながらさらりと言葉付け足す。 「ちなみに、君の弟のラークも、直ではないが私の弟子だよ。正確に言うと、私の弟子の弟子だが」 それには驚いた顔のまま固まってしまったシーグルに、キールが呆れた顔をして呟く。 「医者である植物系統の魔法使いとしては、今はウォルキア・ウッド様が最高位ですからねぇ。その系統の魔法使いで高位の方は他に3、4人はいますけど、弟子の数はウォルキア・ウッド様が一番多いでしょうねぇ。ですから、確立的に考えればはそこまですごい偶然ってぇ話じゃないと思いますよぉ」 「そうだったんですか……」 驚き過ぎて気が抜けたような返事を返したシーグルに、ウォルキア・ウッドの楽しそうな笑い声が掛けられた。 中央広場前にあるセルゲネッテ卿の屋敷は、聖夜祭の時には、位の高い者達の為の休憩所や衣装直しの為の場所として使用される。 今、その一室にシーグルはいた。 本式典の参加者の為の着替えをする場所は別に用意されてはいるが、流石にシーグルの地位では、他の者と同じ場所という訳にはいかないからだった。 「それじゃぁさっさと、準備しちゃいましょうかねぇ」 「だからキール、なんでお前はここにいるんだ」 ウォルキア・ウッドが一緒に屋敷にまでついてきてくれて、シーグルの体調について説明をしてくれた所為で、兄弟達に何かしら言われる事もなく、速やかに屋敷での用事は済ます事が出来た。どうやら、リシェのシルバスピナ家の方にも急ぎで連絡が行っていたらしく、既に競技用の鎧の別パーツが届いていたのには驚いたが、その辺りは魔法使いやら神殿関係の連絡網の優秀さを再確認出来たというところだ。 となれば後は試合の打ち合わせと、それから着替えやらの準備となる訳だが、何故か今回はその手伝い役として、キールがずっとついてくる事になってしまった。へたに神官に手伝われるよりはいいと思うものの、着替えはあまり見られたくない理由がシーグルにはあるのだ。 実をいえば内容が騎士の試合という事で、神殿側から、手伝いに騎士団から従者代わりに誰か連れてくればよいのではと言われていた。のだが、今のシーグルは部下に体を見せられない理由がある。そして、その理由をキールなら分かっているからこそ、彼が付くことに了承せざる得なかったという事情がある。 「だって貴方、後は私がいるから大丈夫ってぇ、他の人達追い出したんですからねぇ、そりゃぁ私はここにいますぉ」 「いやだから……着替えは見られたくないんだ。理由は……分かると思うが」 「いえいえ〜、貴方を一人にすると何が起こるか分かりませんので〜」 「着替えだけする部屋で何が起こるというんだっ」 「だって貴方、昨夜は水星宮でエライ目にあってるんですからねぇ〜こんなとこじゃ油断出来ないでしょ〜」 そう言われると、反論出来ない。 ならばせめてと、シーグルは妥協案をのんびり口調の文官に言う。 「なら分かった、部屋を出ないでいいから、そっちにいってこちらを見ないでいてくれ」 「いえいえ、手伝いますぉ?」 気楽に言ってくるキールに、シーグルはいい加減嫌になって、言い難いながらもその理由を告げた。 「……着替え前に……薬を、塗るんだ」 それにも当然のように、キールの声が返る。 「勿論、それも手伝ってさしあげます♪」 --------------------------------------------- キールさんは、自分の地位を活用して、実はこっそり役得しまくりな人だったりします。 次回はチュリアン卿とのやりとりになります。そっち長すぎたのでここで切ることにしたのでした……。。 |