愛しさと悔しさの不協和音




  【6】




 昼食は、一般団員は食堂で、そして役職付きの者達は自分の執務室でとるのが普通であった。とはいえ、役職付きの者達の中でも、大抵の者は団員達より少しいい程度のものが部屋に運ばれるというだけで、そこまで贅沢をしているという訳ではない。ただ一部の金持ち、というより金があるのだと誇示したい者は、わざわざ自分の家から食事を運ばせて、昼から宴会まがいの事をしている事もあった。

 そしてシーグルといえば……一応は後者に入る。

 とはいっても勿論昼から宴会をしているなどという事はなく、ただ単に昼食は基本、屋敷の方から誰かが持ってくる事になっているだけであった。肝心の食事内容といえば、質素という訳ではないが、思い切り量が少なく、それで足りるのかとまず大抵の者が驚くような内容なのだが。
 一応、家からの食事がない場合は、申請すれば他の貴族騎士同様、部屋に食事が運ばれる事にはなっているのだが、シーグルはその場合、食べないかケルンの実で終わらせてしまう。……というか、シーグルがそうするだろう事が分かっている為、フェゼントが出来る限り食事を作って持っていく、もしくは持って行ってもらっているのだった。勿論、シーグルは兄が作ったものを破棄など出来る筈もないから、家からの食事は食べる、食べるが……食事を部屋で済ませられるのをいい事に、更には量が少ないからすぐ終わるのもあって、終わればすぐにまた仕事をしているのが常だった。

 と、そんな訳でシーグルは、昼の休み時間といっても基本は部屋に篭り切りである、という事は、ロウもよく分かっていた。
 だが、分かっていても、愛しい親友と二人きりで話を出来そうなのがその時間しかないのだから仕方がない。
 というのも、今までは、大抵その日の訓練が終わった後、シーグルが部屋にいくまでを捕まえれば良かったのが、最近はあのアウドという男が、夕礼からシーグルが部屋に入るまでずっと、後ろをついて歩いているからだった。
 後は、昼に部屋へ帰る時の彼を捕まえるくらいしか思いつかないが、シーグルは最近昼前から事務仕事につきっきりで、午前中に訓練の方に出ている事がない。朝礼からの帰りはロウも自分の隊の方にいっている為、彼に声を掛けにいく事は出来ず、後はもう、昼休みに彼が部屋から出てくるのを待つしかない、という状態だった。
 ちなみに、昼休みに彼の部屋の前で待ち続ける、という事を始めて今日で3日目。昨日も一昨日も、シーグルは昼の休憩時間中に部屋から出てくる事はなかった。
 だが今日、やっとその彼の執念は報われようとしていた。

「シーグルっ」

 部屋から出てきてすぐ、声を掛けられた銀髪の青年は、振り向いて、何か思いつめたような必死の形相の友人を見ると、僅かに顔を顰めた。とはいえシーグルも、ロウが真剣な顔をしている時程考えている事は大したことはない――もとい、馬鹿馬鹿しい内容である、という事が多数である事は承知していた為、表情はすぐ平時のものへと戻ったが。

「どうしたんだ、ロウ?」
「あ、あのさっ、話があるんだけど、ちょっといいかな?」

 そこでシーグルは少しだけ考える。

「……そうだな、今これを提出に行くところだったから、その後ならいい」
「おうっ、んじゃ訓練場の東隅にある切り株ンとこで待ってるな」
「分かった」

 無事目的の人物と約束を取り付けたロウは、シーグルと別れると、早速訓練場へと歩き出す。だが、いつもなら彼と会うというだけで跳ねる程軽くなる足取りは、今日はどこか重く、表情は笑みというよりも思いつめて考え込む物になっていた。






 昼の訓練場には、まばらではあるが人はそれなりにいて、自主訓練をしている者もいるが、大抵の者は座りこんで話をしていた。
 ロウが指定した場所は、実はシーグルが朝早くきて一人でいるときによく剣を振っている場所で、前はたまに昼もいた為、自然とその場所はシーグルの為に空けておくのが他の者達の間でも習慣になっていた。
 だから予想通り、今日もその場所の周辺で何かしているような者はいなくて、こっそりロウは安堵した。
 場所が場所である為、シーグルがくるまで剣を振っている事にしたロウだったが、少しの時間が経ち、待ち望んでいた人の気配を感じると、剣を下して振り返った。

「がんばってるじゃないか」
「まぁな」

 笑うシーグルの顔を見れば、顔が赤くなるのは仕方がない。
 けれども口から出る言葉で、ロウは自分自身を引き締める。

「強く、なれなきゃ何も始まらないからな」

 シーグルより強く、彼が自分を頼ってくれるくらいに強くならなくては、近くにいる資格さえない。
 ぐっとロウが剣を握る手に力を入れれば、シーグルが隣に来て、彼もまた剣を抜いた。

「折角ここにいるんだ、話はやりながらでもいいだろうか」
「あ……あぁ、まぁ」

 真剣な話がある……のだが、彼の事であるからちゃんと聞きはしてくれるだろう、と思って、隣で剣を振り始めたシーグルの姿をロウはぼうっと眺める。
 剣を振るシーグルの姿は何度見ても綺麗で、惚れているいないは置いておいても、同じ道を目指す者として見惚れてしまう。
 少しも揺れず、ぶれずに真っ直ぐ伸ばされる剣、素早い切り替えしに、剣先の軌道の無駄のなさ、どれをとってもロウには完璧にしか見えなくて、隙になりそうな物が見つけられない。この細い体と腕で、どうやって重い剣をこんな綺麗に振る事が出来るんだろうと、考えれば考える程不思議で仕方がなかった。

「それで、話とはなんだ?」

 シーグルの声で、はたとロウは意識を戻す。
 ロウは焦って姿勢を正すと、迷った末に、自分も剣を振るのを再開しながら話し始めた。

「なぁ、お前ってさ……その……エーウィズ村出てから、じーさんの家に連れて行かれて、そっからずっと騎士になる為の勉強と訓練してさ……で、14歳でちゃんと試験受けて騎士になったんだよな?」
「あぁ、そうだ」

 シーグルがその頃の話をする時は、声の調子が暗くなる。それはつまり、その頃が彼にとって辛い時期だったのだろうとロウは思っている。

 シーグルと再会した後、時折時間をとってもらって、ロウはその頃の話をいろいろ聞いていた。いつも大まかにまとめた内容ばかりであまり詳しくは教えてくれなかったものの、ある程度は彼の歩いてきた道は分かっているつもりだった。特に、あれだけ仲の良かった兄弟との確執や、それが解消された今についての話からすれば、彼が相当に精神的につらい立場だったのは想像できる。ただその話も、どうやって和解したのかと話を振れば、詳しい事は教えてくれなかったのだが。

――考えれば俺は、結局何も知らないんだ。

 聞いた話はどれも外枠のような部分ばかりで、彼の内面が分かる話は殆ど聞いていない。恐らくそれは、彼がわざとそう話しているのだろうと思っていたから、ロウもあまり突っ込んだ事を聞いたりはしたことがなかった。
 だが、言い換えれば、彼が中身を説明しなかった部分が一番、彼の言いたくない話だという事でもある。
 そう、たとえば……。

「それで、じーさんとの約束通り、20歳まで冒険者の仕事を好きにやっていいって言われたんだろ?」
「あぁ」
「そういや俺、お前が冒険者時代の話を聞いた事がなかったよな」

 シーグルはそこで黙る。
 黙って剣だけを振るから、暫くの間、足の踏み込みの音や、剣が空気を斬る音だけが二人の間にただ響く。

「そっから3年で上級冒険者様だろ、すごいよな、お前。どんな仕事してきたんだよ」

 だからわざと明るくそう続ければ、シーグルも僅かに緊張を解いたのが空気で分かる。

「運が良かったんだ、冒険者になって割とすぐに、腕のいい男と知り合ってパーティーを組めた」
「へぇ」
「俺は貴族の名の所為で信用はあったから、その男のお蔭でパーティーとしての実力の方も認められて、難度が高くて割のいい仕事をたくさんこなす事が出来た」
「なるほどね……」

 もしかして、その腕のいい男がセイネリアだろうか。
 今にも聞いてしまうそうなその言葉を、ロウは我慢して飲み込んだ。

「その腕のいい男ってのは、今でも付き合いがあるのか?」

 だから代わりにそう聞けば、シーグルは特に動揺する事もなく、剣を振っているまま答える。

「いや、実家に帰るとかで、パーティー登録を解除した後は一度も会っていない。気のいい男だったから、ある日ふらっと帰って来て声を掛けられる可能性はあるが」

 ならばその男はセイネリアではないのだろう、とロウは思わず胸をなでおろす。シーグルと一緒に仕事を長くしていた、というその部分には軽い嫉妬を覚えそうになるものの、シーグルの口調からは怪しい関係は一切ない事は分かるので、感情はすぐに切り替えられる。

「冒険者時代は結構パーティとか組んでたのか? ちょっと意外だったな」
「そうか? ……あぁいや、そうだな、確かに意外かもしれない」

 少し自嘲めいたその声に、まるで自分が責めたようで少しだけロウは胸が痛んだ。

「冒険者になってすぐ、さっきの男とは別に、リパ神官の友人が出来たんだ。彼は知り合いが多かったし、彼とさっきの男と3人で組んでる事が多かったから、大きい仕事を受ける時に面子を集めやすかった」

 それでロウは、先の話も合わせて深く納得できた。
 既に治癒が出来る神官を確保してあり、腕にも信用出来る人間がいるパーティーからなら、まともな冒険者なら誘われればまず喜んで仲間に入る。更に将来領主になる貴族の青年がいるなら、ここでいいところを見せておけば有効なツテが出来る、上手くいけば騎士の知り合いを紹介してもらって、騎士試験の資格を取れるかもしれない――とまで思うだろう。そこまで考えれば、シーグルと仕事をしたがるものはたくさんいただろうと想像するのは容易かった。……内心少し寂しいようなくやしいような気がするのは仕方ないが。

「そっか、なら騎士団に入るまでは、結構楽しくやってこれたんだな、お前は」

 それでこの話に関しては軽く流そうとしたロウの意図に反して、直後にシーグルの表情が更に沈む。

「……いや、途中からはパーティーは殆ど組まなくなった」

 それは、沈むというよりも自嘲と後悔に苛まれているのだと気づいたロウは、返す言葉が思いつかなくて口を閉じる。だが、そんな彼の様子をすぐに察したシーグルは、逆にロウの顔を見て、無理矢理だろうが、軽く笑ってみせた。

「まぁ、その頃になればもう、上級冒険者として認められていた分、仕事はいくらでも貰えたし、困らなかったからな」

 笑みはいかにも無理矢理作ったものに見えて、見ていられなくて、ロウは目を下に向けた。
 冒険者でいる間に、何かがシーグルに起こったのは確定だろう。そして起こった後、シーグルは人と組まなくなった。その原因が、おそらくロウが一番聞きたい男の話だと想像できても、ロウはそこで聞く事を迷った。
 それでも、今日聞かなければ。そう決意してきたのだと自分を叱咤する。

「なんで、組まなくなったんだ? ……その、何か、原因があるのか?」

 出来るだけ自然に言おうとした声は、けれども、失敗してしまったようだった。
 ロウの声に含まれた緊張と微妙な違和感を感じとったのか、シーグルの剣を振る音が止んだ。
 剣を持つ彼の腕が下がる。それだけではなく、彼は剣を鞘に納めると、ロウの方に真っ直ぐ向き直った。

「ロウ、お前は何が聞きたいんだ?」

 シーグルの顔には表情らしい表情がなかった。けれども代わりに、瞳だけが強く、探るようにロウの目を覗き込んでくる。
 ロウももう、カタチだけでも剣を振っている事など出来なくて、シーグルの方に向き直ると、目を瞑って思い切って声を絞りだした。

「セイネリア・クロッセスって奴の話を……そいつの、所為なのか?」

 シーグルはロウの顔をから視線を外し、一度大きく息を吐く。
 それから黙った彼を見ていられなくて、ロウは目を瞑ったまま、彼が何かを言うのを待った。それでも、本来からこらえ性のないロウは、結局シーグルが話し始めるより先に恐る恐る薄く目を開けてしまったのだが。
 シーグルの、濃い、はっきりとした青の瞳とまともに目が合う。

「そうだな、確かにパーティーを組まなくなったのは、あいつが原因ではある。だがお前が聞きたいのはそういう事ではないんだろ?」

 目があってから彼が口を開いたのを見て、ロウは、シーグルはただ黙っていたのではなく、自分が目を開けるのを待っていたのではないかと思った。

「お前が……そいつの情人だった、て……」

 観念してそこまで言えば、思いの他、落ち着いたシーグルの声が返ってくる。

「あぁ、噂になっていたみたいだからな、お前が知っていても不思議じゃない」

 声だけでなく、表情も、態度も落ち着き払っていて、その年齢以上に大人びた彼の態度にロウは焦りを覚えた。

「本当なのかよ、どういう事なんだ?」

 焦ったせいで、声がうわずるのを抑えられない。それが自分で自分の神経を逆撫でて、余計に感情の制御が出来なくなる。

「お前とそいつは本当にそういう関係だったのか? ……お前は、そいつの事どう思ってるんだ?」

 言い切って、ロウが真っ直ぐシーグルの顔を見つめれば、彼は自嘲とも苦笑ともつかぬ微妙な表情を浮かべた後、やはり真っ直ぐ見返してきた。

「そういう関係か、と言われれば、そうだとも違うとも言える。俺があいつのことをどう思ってるかについては……正直、俺も分からないんだ」

 シーグルの瞳は嘘もごまかしもないと確信出来て、だから彼は、今正直に話してくれているのだろうとはロウも思う。思うけれども……否定して欲しいという願いが打ち砕かれた事で、ロウは昂ぶりすぎた感情をどうにもできなくなっていた。

「なんだよ……それっ。違うなら違うって言えばいいじゃないか、そうだとも言えるってどういう事だよっ」

 持っていた剣を落として、シーグルの腕を掴み、ロウは彼の体を揺さぶる。
 けれどもシーグルはやはり落ち着いた空気を纏ったままで、困ったようにロウを見つめるだけだった。

「お前の質問に対する答えとしては納得できないのは分かってる。けれど、それ以上は言えないんだ。ただ……情人かは別として、あいつと寝ていたのは確かだ。それは、無理矢理あいつに犯された事もあれば、同意の上で抱かれた事もある」

 ロウは声にならないまま、空気だけを喉から悲鳴のように吐き出した。
 シーグルの様子から、実際の体の関係があったのだというのは察していても、ハッキリ本人の口からは聞きたくなかった。しかも、同意でもあったというのなら、シーグルはセイネリアという男を自ら受け入れた事があるという事になる。焦がれても焦がれても、自分との関係は絶対に許してくれないくせに、彼は――それ以上は頭の中が赤くなって、もう何も考えたくなくて、ロウはその場に座り込んだ。

「あいつは、俺を愛していると言ったんだ。……だが俺は、それに返すべき言葉をまだ、自分の中で見つけられていない」

 静かな声でそう言った彼の顔を見上げれば、それは無表情に近いものだったのに、何故か今にも泣きそうにも見えた。



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そんな訳で次回は話の決着と、ロウに追い討ちを掛けにくるキールさんの話。



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