記憶の遁走曲




  【5】



「隊長殿、貴方の腕は噂にて聞いております。出来るならぜひ、私と一度お手合わせ願いたいのですが」

 訓練が始まってすぐ、長い金髪の青年が目の前にやってきて、シーグルは少し驚いたものの、すぐに笑顔で彼に了承の返事を返そうとした、のだが。

「あぁ、それはぜひ……」
「あー、リーメリより俺のが強いんで、今回は俺と手合せ願えませんでしょうか」

 そう言って割り込んできたのは、柔らかい栗色の髪の、へらっとした軽そうな笑顔を浮かべた青年。

「ウルダっ」

 すごい形相で睨みつけるリーメリに、ウルダと呼ばれた青年は、怒る相手の金髪の頭を上から押さえつけるように数度ぽんぽんと軽く叩いた。

「リーメリ、そんな頭に血ィ上った状態でやって意味あるかぁ? ま、俺の方が強いのは確かだからさ、俺が負けたら納得できんだろ」

 それで下がったリーメリに代わり、ウルダが前に出る。
 シーグルとしては、先に言ってきたリーメリを優先すべきかと思っていたのだが、本人が納得して下がったのなら仕方ない。本音を言えば、両方共の腕を見てみたいところなのだが、どうにも事情もありそうなので、こちらからは特に何も言わない事にした。
 ウルダが剣を抜き、シーグルに向けて剣を立てて礼をする。

「ウルダーツ・ロメサです。よろしくお願いいたします、シーグル・シルバスピナ隊長殿。貴方の事は父から聞いております、時期リシェ領主の貴方に直接お会いできて光栄です」

 聞いて、シーグルの口元に笑みが浮かんだ。

「こちらこそよろしく、ウルダーツ。あぁ、やはりロメサというのはあのロメサ家の事だったのか」
「はい、そうです。常々父からは、騎士になるなら将来貴方の役に立てと言われていますので、今、貴方の部下になったと知ればさぞ喜ぶことでしょう」

 シルバスピナ領であるリシェには、首都周辺の大商人がこぞって拠点を構えている。ロメサ家といえば、リシェの商人組合の中でも重鎮で、かなりの発言権を持っている有名な家だ。考えれば、大商人の息子、というならリシェに関わる者である事は珍しくない訳か、とシーグルは今更ながらに思う。

「よければまた、じっくり今後の事など相談に乗って頂ければと思います。ですがまずは、こちらの方でただの金持ちのドラ息子ではない証明をして見せましょう」

 言って、やっと剣を構えたウルダに向けて、シーグルも構えを取る。やっと始まるのか、と二人の話にやきもきしていたらしいギャラリーも息を飲み、雑談のざわめきが消えた。
 それから間もなく、すぐに踏み込んでくるウルダのその姿勢を見て、シーグルは気を引き締めて集中に入る。

――これは、ちゃんと正式に騎士として型を習った動きだ。

 それがシーグルにわからない筈はない。だから、彼の動きもすぐに予想出来る。
 伸びてくる剣に合わせ、一見すれ違うようにシーグルが剣を伸ばす。見ている者達には、そのまま相打ちになるかに見えたそれは、だがシーグルが上手く剣の根本で絡めて弾き、そのまま体で押し込んでいく。騎士の戦いにおいて、剣で相手を斬る事は重視するべき事ではない。なにせ鎧同士であれば、斬るのを狙うのはバカバカしいし、生き残る事が勝つ事である、使えるものはなんでも使って相手を倒す事が重要だった。
 だからこそ、金属に覆われた体それ自身も武器となる。体当たりも常套手段だ。
 だが、本気になっていたからこそそう体が動いたシーグルだったが、相手にぶつかった感触で、はたと思い出して体を急いで止めた。

「すまない、そういえばこの格好は公平ではないな」

 止めたとはいえ、シーグルの体当たりを受けたウルダは、咳き込みながらもどうにか足を踏ん張って止め、軽く手を上げる。

「いえ、どうせ実践じゃ公平なんていってられませんから。こちらの油断ですよ」

 シーグルがしまったという顔をして、攻撃を中断したのには理由がある。
 冬期は、一般兵というか一般騎士団員は鉄製の鎧を身に着けたりはしない。その分いろいろ防寒具で厚着をしてはいるが、フル装備の甲冑の人間の体当たりを受けるのは厳しい。対してシーグルの鎧は魔法が通っている特別製で、一定の温度以上にも以下にもならない為、冬でも問題なく装備出来る。だから今まで、何も考えずずっといつも通りに装備していたのだが、考えればこういう場面では不公平過ぎる。
 冒険者時代から、余りにも普段からずっと着用しているものだからこそ、シーグル自身に自覚が薄かったのは否めない。明日からは冬期では鎧装備は止めようとシーグルは思った。

「だが今は手合せだ。きちんと公平な状況でやるべきだった。大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫です。どっちにしろ、今のはこっちの負けですね」

 咳が収まったウルダは、やはり軽い笑顔でシーグルに返す。

「いや、今のはなしだ、やりなおそう」
「……まぁ、そういってもらえるなら、再戦は望むところです」

 言って体制を整えて、再び構えたウルダに、シーグルも意識を集中しなおす。
 今度は、ウルダが剣を伸ばすのを見てから剣を受け、剣でそのまま押す。体制的に、自分が不利だと悟ったウルダが、剣を逸らしながら身を引き、一度距離を取りなおした。
 ウルダの動作も流れるように速く、休む事なくすぐに次の剣が繰り出される。だがシーグルはまたそれを受けて弾き、今度はその弾かれた力を利用してまたウルダが距離を取る、そしてまたすぐに、次の手を仕掛けてくる、それもまた、シーグルの剣が受ける。

「さすが、全部読まれてますね」

 4度目に剣を受けられて、合わせた剣と剣を見つめて、ウルダは笑って言ってくる。

「だが、お前もこちらに剣を出させない」

 ウルダの笑みが、にやりと少し意味合いの違う笑みに変わる。今度は、シーグルの方が、剣を外して距離を取った。直後に、ぐんっと、ウルダが体ごと剣を押す。勿論、その時には既に目の前にシーグルはいない。

「気づかれましたか」
「上手いな、だまされるところだった」

 シーグルは我知らず、笑顔で彼に返す。
 単純な事だが、ウルダは前の3回、シーグルと剣を合わせた時に、わざと腕に力を入れるのを加減していた。だから、4回目にシーグルと綺麗に正面から剣が合わさった時、シーグルは彼の押す力の予想を低く見てしまっていた。本当は、ウルダは腕力ではシーグルよりも上だったのに、同等かシーグルよりも僅かに弱く見せかけていた。
 その力加減が絶妙すぎて、うっかりシーグルは騙されそうになった。騙されたからこそ、剣が合わさった後、こちらから押して倒せると踏んでしまった。だが、それでも反撃が来る前に気づいたのは、あまりにも合わせた剣が動かなかったからだ。腕だけではなく体、特に下半身の安定と押さえる腕のブレなさが、シーグルにそれを気づかせた。だから、引くことが出来た。

「騙したりの駆け引きも商売人の基本ですからね」

 シーグルはそれにもまた、くすりと笑みを漏らす。
 そうして今度は、シーグルの方から踏み込む。
 当然ウルダは受ける為に剣を構えるが、シーグルの速さもまた、先ほどよりもずっと速く、ウルダの予想を裏切る。
 速さを見誤った時点で勝負は終わる。次の瞬間には、シーグルの剣は真っ直ぐウルダの胸元寸前で止まっていた。

「参りました。ありがとうございます」

 手を上げて降参のポーズをしてみせたウルダに、シーグルは剣を収める。

「成程、貴方の方は剣速で騙してくれた訳ですね」
「騙すというより、常時トップスピードを出せないだけだ」
「そうですね、言われてみれば」

 笑うウルダに、シーグルも笑う。
 妙に楽しそうな二人を見て、ほかの連中といえば、実は少しだけ茫然としていた。と、いうのも、二人の実力を見て、レベルの高さに驚いていたものが多かったというのもあるし、妙に二人が仲が良さそうに話し出して、周囲は声の掛けようがなくなってしまったというのもある。

「それよりウルダーツ、いい腕だな。正式に騎士に習ったのだろう? それもかなり昔からだ」
「えぇまぁ、ガキの時から護衛についてた騎士からですね」
「そうか、道理でいい動きだ、後期にいるだけでその腕を低く見られるのが勿体ないな」

 いい勝負に高揚しているのか、いつも落ち着いているシーグルが、目に見えて若者らしく興奮した様子を見せている。最初の茫然時間を過ぎれば、いわゆるジジィ組の面々は、そんな若者らしい二人の様子に孫を見るように目を細め、ローンじぃさんなどは拍手をして騒ぎ出した。
 ただやはり、それでも不機嫌そうなのはリーメリで、彼は傍にウルダが戻っても尚、不機嫌そうにずっと顔を顰めていた。
 そして。

「どうかしましたか、隊長?」

 ジジィ組の者の話を聞いていたシーグルが、ふと振り返ってどこかを見ていた。

「……いや、何でもない」

 すぐにシーグルはそう返して顔を戻したものの、その表情が少し不安そうである事がグスにとっては気にかかる。

「何か、気になる事があるなら、調べますがね?」

 だからこっそりそう耳打ちしたのだが、それでもシーグルは軽く笑みを浮かべるだけだった。

「いや、本当に何でもないんだ。気にしないでくれ」

 けれども、憂うように息をついたシーグルの横顔に、グスは嫌な予感がして仕方なかった。









 その日の訓練時間の終了後、グスはシーグルの執務室へと歩いていた。
 今日一日は隊の方にいられる予定だったシーグルだったが、午後の訓練の後半はキールが呼びにやってきて、結局途中で抜ける事になってしまった。だから、抜けた後の報告をするつもりでいたのだが、目的の部屋につく前に、グスはシーグルの姿を見つけて足を止めた。

「なんだ、話があるなら、このまま執務室に来てくればいい」

 近づいて声を掛けようとしたグスは、だがシーグルが誰かと話しているらしいと気づいて、反射的に隠れてその姿をのぞき込んだ。

「いえ、そのですね、人のいない場所でゆっくりと、ですね。……いろいろ内密にしたいような話があるので」

 どうやら、話している相手はウルダで、その様子とそれだけの会話で、グスは彼がどういう意図でシーグルに話しかけているのかピンと来てしまっていた。

「キールがいるのが気になるのか? 彼は言うなといえば誰にも言わない。どうしてもというなら、その話題の時だけ部屋の外に出て貰ってもいいが」
「いやその……あぁ出来れば剣の指南とかも受けたいと思っていますし、あの部屋の中で暴れる訳にはいきませんから」
「そういう事なら朝早く来てくれ。時間外でわざわざ一人について教える事は公平でないが、俺自身の訓練時間に来ただけならいくらでも相手は出来る」
「それは……訓練場では人がくるではないですか」
「俺が来るくらいの時間なら、ほかに誰もいないが」

 話の噛み合っていない様子に、グスは声を上げて笑い出してしまいそうなのを懸命に堪えていた。ありゃ隊長全く分かってないんだろうなぁ、なんて思いながら、手で口を押えて、吹き出しそうなのを必死に抑える。
 それにしても、とグスは思う。
 あそこまで鈍感で、いかにもその手の事にウブそうに見える彼を見ていると、かつてあのセイネリアのオンナと呼ばれていたとは到底信じられない。相手がセイネリアであるというなら、あの青年がそちらの方面で無事とは思えないが、それでもあんなシーグルを様子を見ているとそれも笑い飛ばしたくなる。

――それとも、まさか部下がその手の意図で自分に話しかけてくるとは思ってないのかね。

 それもあり得るか、と思うとそれはちょっと笑えなかった。こちらを信用してくれるのは嬉しい反面、あの青年の立場と容姿を考えれば、信用しすぎるのも困ると思う。
 やがて、ウルダは話の通じないシーグルの様子に諦めたのか、力なく礼をして去っていく。状況がよく分かっていないシーグルは、どうにも複雑そうな顔をしていて、すぐに執務室へ行くこともせずに立ち止まったままだった。
 それじゃ、ちょっとアドバイスしときますかね、とグスは肩の力を抜いて、廊下で考え込んだままのシーグルに近づいていった。

「隊長、その、申し訳ないとは思うのですが、今の話をちぃっと聞いてしまいましてね」
「グスか。いや、多分問題ないだろう。俺も、結局彼が何をしたいのか分からなかったんだ」

 その返事を聞いて、がっくりすると同時に、少しばかりウルダがかわいそうにさえ思えてくる。

「えーと隊長、ウルダはですね、貴方を誘っていたのだと思いますよ」
「何に誘うんだ?」

 すかさずそう聞かれると、苦笑を通り越して力が抜ける。

「ですから、そのままです。町で男が女性に声かけるのと同じ意味ですよ」

 言われて、シーグルの表情が固まる。いくらお堅い彼でも、流石にその意味は分かったらしく、暫く茫然としていたシーグルの顔は、思い切り不機嫌そうに顰められていく。

「そういう事か……」
「はい、そういう事です。貴方はもう少しご自分の容姿がどういう状況を呼ぶか理解してください」
「だが、まさか上官にそんな意図で話しかけてくると思わないだろ」

 ため息をついて、抗議の目で見てくるシーグルは、実は結構艶めかしかったりする。ちゃんと自覚してくださいと、グスの方がため息を付きたくなったが、自覚ない相手に口で言っただけでどうにかなるとも思えない。しかもこの色気じゃ、やっぱりあの男に手は付けられたんだろうな……なんて事まで考えてしまって、なんで俺がテスタ(エロ親父)みたいな事考えてなきゃならないんだと、グスは軽く自己嫌悪に陥りそうになった。
 だからその分、返すため息が深くなる。

「まぁそりゃぁ……ちゃんと自分を弁えてる奴なら馬鹿なマネはしませんがね、金持ちのぼっちゃんはそういうの気にしないんでしょう」

 その理由は彼でも一応納得できたらしく、そうか、と呟いて、シーグルは顰めていた眉を幾分か和らげた。というか、その顔だって、ちょっと危ないです、とは流石にグスも言えなかったが、頭が痛くなった。
 こういう話題なら、テスタの方が上手く言うんだろうなと思ったりもするが、今はいない人間を頼る訳にもいかない。いる人間でどうにかするしかないだろう。

「とにかく、こんなとこで立ち話も何ですし、さっさと部屋の方にいきませんかね? 俺も丁度、隊長がいなくなってからの隊の報告をしにいくところでしたし」

 だから、この手の注意はあの文官にもさせておくべきかと、グスがそう提案すれば、シーグルも了承を返して自分の執務室へ向かう。
 そして、グスの意図通り、シーグルはこの後、グスとキールの両方から、もう少し用心をしろと、親からの小言のように注意を畳みかけられる事になった。




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どっかずれたシーグルさんの話。
警戒心がないというより、一度信用すると信用しすぎるのが悪いところ。



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