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<ティーダの章> 【３】 それからは、お茶を入れ終ったカロも話に参加して、メイヤ側の普段生活の話と、こちらの師弟側の話を互いに喋りあって過ごした。特に立場が似ている所為かカロとメイヤは共感する事が多く、互いの師の愚痴をこぼして何度も頷きあった。途中からは、老魔法使いは弟子二人の愚痴り合いへの野次馬のような状態で、時々主張というか茶々を入れるだけの役目に回った。 昼が過ぎたのに気付いて、大急ぎでカロが食事の支度を始め、それをメイヤも手伝って、料理中も互いの苦労話に花を咲かせた。食事をしながらも尽きない話を続けて、小さな魔法使いの家はずっと笑いが絶えなかった。 だが流石に、食後のお茶を飲み終ったところで、メイヤは彼らに別れを告げて帰る事を告げる。 一泊くらい泊まればいいのに、と言われたメイヤは『放っておくと折角掃除してある部屋が酷いことになりますし、師匠がまた食べないでだらだら寝てしまいますから』と言って辞退した。 「ま、それじゃぁ仕方ねぇな。あの人ちゃんとしてりゃー綺麗なのに、ゴミに埋もれても平気で寝てるからな……」 そう老人が言ったのを聞いて、メイヤは気がつく。 ついついカロと互いの師匠の話で盛り上がってしまったが、そもそもレテットもティーダの弟子であったのだから、メイヤと同じ境遇にいて、メイヤとは一番同じ気持ちを共感出来るのではないだろうか。 「やっぱり師匠は昔からだらしなかったんですね……本当に、ちゃんとして黙ってれば妖精みたいに綺麗なんですけどねぇ……」 「まったくなぁ……ところで」 そこまでいうと老魔法使いは、カロに離れてるように向うへいけと手で追い払う仕草をして見せ、逆にメイヤには耳を貸すように手招きをした。 カロが溜め息をつきながらもそれに従うのを見て、メイヤも魔法使いの傍による。 そうすれば――。 「で、お前さん、あの人と寝たのか？」 唐突にとんでもないことを聞かれて、メイヤは固まる。 シシシ、と歯の隙間から空気が漏れるような笑い声を上げた老人は、言いながら固まったメイヤの頬を指で突付いた。 「隠したってよ、お前があの人に惚れてる事なんざ分かるってぇ。そんでまぁ、あの人押しに弱いしよ、お世辞にも身持ちが固いとは言えねぇし、若いときゃ結構ノリで寝てたりもしたし……」 言っている事は酷い事ばかりなのだが、それに納得出来てしまうところが悲しい。 だが、こんな事を聞いて来て、しかも師に対してそんな風に思ってるのだという事は、もしかして――メイヤはあまり返事を聞きたくもなかったが、思いついてしまった事を聞いてみる事にする。 「もしかして、レトさんも、師匠と……」 老人は即答する。 「おう、寝たぞ。勿論あの人のことが好きだったからだ。――お前さんなら分かるだろ、あんな綺麗で……なのにあの性格はなぁ……まだ見た目通りのつんけんした性格でもしてたら、崇拝だけで手ぇ出そうなんて思わないんだろうが……ありゃーなんというか手が届く気がしちまうってか、放って置けなくて手ぇ出しちまうっていうかよ」 まぁ、気持ちは分かるけど、とメイヤは溜め息と共に思う。 彼の意見には全面的に賛成してしまうものの、それでもメイヤはティーダにはもう少し見た目との落差を減らして欲しいと思うのだ。 それにやはり、予想はしていても、昔の彼が割と軽く人と寝ていたというのを知るのはショックが大きい。 しかもただでさえ心のダメージを隠せないメイヤに、老人はにさらなる追い打ちをかけてくる。 「しっかしあれだな、弟子皆穴兄弟ってぇやつか、師匠さんは見た目だけじゃなく中身も相変わらず若いねぇ」 「いやさすがにその言い方は……」 あまりにも身も蓋もない老魔法使いの言いように、メイヤはがっくりとうなだれた。しかも、自分は正確にはまだその穴にはお世話になっていないですが、と思った途端余計に落ち込む。 さらにはその時の場面まで思い出せば、ちょっと男として尋常でないダメージに視界まで曇っていくようだった。 「なんだ、それくらいでがっくりしてたらあの人の弟子なんか務まらねぇだろ」 「えぇまぁそうですけどね」 レテットもメイヤの落ち込みが、自分のあからさますぎる発言だけにない事を雰囲気で感じ取ったのか、この老人にしては珍しい真剣な顔で聞いてくる。 「……なんかまだ問題あるのか？ 俺で分かることなら相談のってやるぞ？」 メイヤは悩む。 だが、ここまであけすけなこの老人なら、こういう相談はかえって適任者ではないだろうか。そう思ったからこそ、思い切って口を開く決心が固まる。 「実はですね――……」 一人離れていたカロは、やたらと落ち込んで真剣な顔のメイヤと、にやにやとどうみても性質のよくない笑みの師匠が何を話しているか、無性に気にはなったものの真剣すぎるメイヤに免じて乱入する事はやめる事にした。 陽が傾き出せば、暗くなるのはすぐ。 特に森の中は高い木々に囲まれてただでさえ薄暗い。太陽が真上にある時でさえ、木の枝々、生い茂る葉達に遮られている光は、太陽が低くなれば途切れる事なく生える木々に遮られて、森の中をほとんど照らしてはくれない。 ただ、この森に於いて、夜だからといって困る事はメイヤには殆どないと言っていい。 帰り道は、木を２回叩けば、行きのように方向を示す別の木が光って教えてくれる。 森に住む動物達にはそこまで危険なものがいない事も、今のメイヤなら知っている。 トントン、トントン、と進みながら木を叩いていく音だけが、静かな夕暮れの森に響く。たまに動物の住処だった木を叩いてしまい、驚いて巣穴から顔を出すリスや木ネズミに謝りながら、メイヤは軽い足取りで暗い森の中を歩いていた。 そうして、何の疑問も持たずに木の示すままに歩いていて、ふと、今自分が向かっているのが森の中の師の住まいではないと思ったのは何時だったか。 暗い森の中、目に見える風景だけではそんな事を判断出来る筈がない。 だから、メイヤが違和感を感じたのは、あたりの空気というか肌に感じる感覚だった。 メイヤは足を止める。 意識してその違和感の元を探っても、ソレが何かは分からない。 ただ、感じるそれは決して悪意のあるものではなく、むしろ柔らかいとか優しいとか、悪い気配ではない事だけは確かだと思えた。 だから、すぐにメイヤはまた木を叩き、木が示す通りの道を歩きだす。 どうせ木の導きがなければ迷う可能性が高い。それくらいなら、木が導くままに行ってみればいいのだ。この道案内の魔法は、ティーダが森に掛けたもの。ならば間違っていたとしても悪い結果にはならない筈だった。 目の前に広がるのは、どこまでもずっと続く木々の柱。 この風景で道を覚えるのは困難な為、行きと比較する為の距離感の代わりは歩いている時間となる。それもあまりアテにはならないが、目安程度にはなるだろう。 老魔法使い達と別れてからの時間を考えると、そろそろ家についていてもおかしくはない、と思える時間から更に少し。これじゃ夕飯は作れるかどうか怪しいと、メイヤが現状の危険よりもそちらが気になりだしたところで、どうやら終着点らしき場所が見えた。 最初メイヤは、森を抜けてしまったのかと思った。 ……木の間に見えた場所は、木のないひらけた場所だったので。 だが、そうではないという事は、その場所についてみれば分かる。 ぽっかりと、まるで森の中に穴があいたように木達のないその中心点には、メイヤがみたこともない巨木が一本だけ立っていた。 その巨木の周囲にだけ木がない理由もすぐに判明する。 巨木は、その大きさにふさわしい立派な根を周囲に張り、あまりにもその根がみっしりと敷き詰められている所為で、他の木が育つ隙間がないのだ。 まるで根の絨毯、というよりも入り組んだ根は倒木が折り重なってでもいるような状態であったが、それでもメイヤはその木の本体の近くにまで行ってみる事にする。 これだけの巨木になれば、太い根は一般的な大木程の太さがあり、それが重なっていれば足でまたぐというレベルではない。よじ登ってやっと越せるそれをいくつか通り、時には盛り上がった根の下を通って、どうにかメイヤは木の本体にたどり着いた。 そして。 「師匠？」 そこに見つけた師の姿に、メイヤは呆然と立ちすくむ。最初、薄暗い中だから見間違いではないかと思ったメイヤだったが、声に反応するかのように、彼の周囲が僅かに光って姿をはっきりとメイヤの瞳に映すに至ってそれは確定に変わった。 「師匠、何でここに」 声を掛けても返事はない。 どうやら彼は眠っているらしい、という事は、急いで駆けつけて彼に触れて分かった事であるが。 思わずメイヤは安堵に肩を落とす。 倒れている影がティーダと分かった瞬間、メイヤは彼に何かあった――まさかとは思うが死んでいるのではないかと思ったからだ。 「寝てる、だけなのかな」 それでもこの状況が理解出来ないメイヤには、不安ばかりが降り積もる。 すぐにでも揺り起こしたい衝動に駆られても、まず起こしていいものかが分からない。 見上げれば、周りに木がない分、周囲すべてを包み込むように広がった枝が空を完全に隠していて、月明かりが細い隙間から僅かに差し込んでいるのだけが見えた。 いつの間にか少し風がでてきていたのか、さわさわと枝と葉の擦れる音が風にあわせて鳴っている。 このままだと師が風邪をひくのではないか、と考えたメイヤは彼を起こす事を決めた。 「師匠、起きてください」 声だけではやはり起きない。でもそれはまだ不自然な事ではない、彼は元から寝起きがよくない。 「師匠っ、起きてくださいってば」 だから体に触れて、揺らして実力行使で起こそうとする。 けれど、彼に触れた途端。 触れた手から暖かい何かが流れ込んできて、驚いて手を離す事も出来ずにいればその流れが体全体を包んで行く。 ――これは、魔法だ。 まだ魔法使いとして未熟なメイヤでも、その流れ込んでくるものが魔力の流れだというのが分かる。 体が湯の中にでも浸かっているようにじんわりと暖かくなる。生まれる前の場所のようにあまりにも心地よい感覚に、自然と体から力が抜けていくのが分かる。 メイヤは、自分で知覚出来ない程自然に倒れ込んだ。 けれど、意識さえその感覚に飲み込まれそうになったところで、唐突に、頭の中にみたことのない風景が浮かび上がってくる――。 多くの兵士が眼下に犇めく風景は、おそらく戦場。 きらびやかな装飾品に彩られた高い天井の部屋、赤い絨毯が真っ直ぐのびてその両側に整列する豪奢な甲冑の兵士達――これは、城の中だろうか。 ここではない森の中、立派な屋敷や、おそらく騎士団と思われる場所、それに魔法ギルドのあの建物の中もあった。 それはただの風景の羅列で、関連した繋がりを持つものではなくそれぞれがバラバラに浮かび上がっては消えるだけのものだった。 けれども、それらすべての中には、たった一つ共通する事がある。たった一人だけ、いつでもその風景の中にいる人物がいる。 少しくすんだ金髪の、優しい笑顔の青年。 時系列さえバラバラなその風景の中、青年は時には少年であったり、自分の父くらいの年齢でもあった。 ただ、多くの風景で見られた甲冑に包まれたその姿に、この風景がティーダの記憶で、その青年がレテットの言っていた幼なじみの騎士だという事をメイヤは理解する。 青年はいつでも笑っていた。 大きな背を向けて顔だけを振り向かせ、見上げるこちらを見下ろすように。 音も、言葉もない風景だけの記憶。 でも、それで十分だった。 ティーダがどれだけその青年を好きで大切だったのか、理解するにはそれだけで十分だった。 「――……ったく、予定外だったな」 声に引かれて、意識が急激に現実へ戻る。 メイヤが目を開くと、杖が放つ青白い光の中、不機嫌そうに顔を顰めたティーダの姿が見えた。 「師匠っ」 メイヤは急いで起きあがる。 ティーダは彼が滅多に見せない険しい表情をして、長い黒髪を乱暴に掻いた。 「怒りはしねぇ、俺の落ち度だからな。――けど、今お前が見たもんは忘れてくれ……お願いだ」 それだけ硬い声と表情の彼に、メイヤが否定を返す事など出来る筈がなかった。 それでも顔の方は本音がでていたらしく、彼は黙って下を向く若い弟子に苦しそうに笑い掛けた。 「最初から俺のとこに案内するんじゃなく、小屋の方へ案内するようにしときゃ良かったな。……それに、お前はてっきり一晩泊まってくるかと思ってたから」 表情を硬くするメイヤを宥めるように、ティーダの声は優しい。 けれども、その綺麗な緑色の瞳は辛そうで、メイヤは彼に聞くべき何をも言葉に出来なくて、ただ唇を噛みしめる事しか出来ない。 「……帰るか」 ティーダの手が、そっとメイヤの頭に置かれる。 メイヤは結局、それに、はい、以外の言葉を返す事が出来なかった。 --------------------------------------------- レトさんとメイヤのシモネタ談議の成果はまたあとで。 ティーダさんの過去は、今回は匂わせる程度……ですが、分かる方は分かっているかと……。 |