<ティーダの章> 【4】 メイヤの前には、魔法に浮かび上がる道がある。 前を歩くのは、長いローブに身を包んだ黒い髪の綺麗な魔法使い。 彼の背を追って道を進めば、やがて辿りつくのは魔法使いの住む木に守れた家。 まるで、小さな頃、ここへ迷い込んだあの時のようだと、メイヤは前を行く魔法使いを追いながら思う。あの時はいくら走っても追いつけはしなくて、かといって今、やはりどれだけ急いでも彼に追いついて共に歩く事は出来ない。 家についても、メイヤは師にまだ何も言えなかった。 ティーダも何も言わず、ただ、その瞳の中にはあの時とおなじ、今でも消えない寂しさが濃く浮かんでいた。 ――あの時から、何か変える事は出来たのだろうか。 あの人の寂しさを、自分は本当に少しでも和らげる事が出来たのだろうか。 まだ、メイヤが弟子になってからそこまで長い月日は流れていない。だから焦るなと思ってはいても、そんな彼の姿を見ていると不安になる。 自分よりずっと長く生きているという彼、自分では想像出来ない彼の深い寂しさをどうにかしてあげたいなんて、とんだ思い上がりだという心の声がある。 ……けれど、何処までも沈んでいこうとするメイヤの心を引き止めたのは、あの、老魔法使いの言葉だった。 『あぁ大丈夫だ、きっと出来てるさ、自信持ちな』 思い出した彼の言葉に、メイヤは自分を叱咤する。 ティーダの寂しさをどうにかする事は、自分には不可能なのかもしれない。けれど、無駄だからと何もしないのと、どうにかしようとして出来る限りの行動を起こすのでは、例え結果が同じだとしても、残るものは違うのだ。 日常の小さな笑顔、小さなやりとり、それらが積み重なって、いつか彼の中で彼を支える記憶の一つになれればいい。今効果が出る事を望むのではなく、後々……彼が過去を振り返って笑顔を思い出す事が出来ればそれでいいと、そう、思って弟子になった筈だった。 そして自分も――何もせずに思い悩むくらいなら、出来る限りの行動をして――あの時ああすれば良かったのだ、なんて後悔をしたくないから。 だから、顔を上げて、笑顔を作って、誰よりも好きな彼にいつも通り話し掛けよう。 メイヤは、大きく息を吸って、出来るだけ明るい声を張り上げた。 「あぁっ、すいません師匠。今から急いで夕飯の支度をしますね」 「お、おう」 驚いて目を見開いたティーダはまだ意識の切り替えが出来ないらしくて、だからメイヤはいつも通り、少しだけ顔を顰めて言葉を付け足す。 「いっときますけどね、夕飯食べるまではお酒はだめですよ。ちゃぁんと守って下さるなら、つまみに何かつけますから」 メイヤの意図に気付いたティーダが、苦笑ともつかない笑みを唇に乗せる。 「わかったよ」 彼もまたいつも通り、少し不満そうに肩を竦めてみせる。 メイヤはそれを確認すると、急いで夕飯作りに取り掛かる為、彼の前から立ち去った。 自分には、彼の心の傷を掘り起こしてそれを癒せる程の力はない。 彼の心の傷は彼が癒すもの、自分はただそれを手伝いたいだけだ。 だから、彼が自分の傷に向き合うまでは、自分は直接それに触れてはいけない。 触れなくても、今は自分が出来る事だけをすればいい。 「全く、強いなぁあいつは」 なんて言葉を消えた少年の背に掛けてしまってから、ティーダは苦笑を溜め息で振り払う。 長く生きている所為か、何処までも後ろ向きな自分には何処までも前向きなメイヤの姿が眩しい――そう、思ったティーダは、口元に笑みを浮かべて目を細める。 だからつられて一歩だけ、まだ間に合うならと踏み出してしまうのだ。 遠い昔、悲しくて辛くて、思い出したくなかったから、ティーダは自分を心配する弟子を離して二度と会わないと彼に言った。 それからはずっと、辛いことを忘れる事しか考えてなかった。 忘れる事だけが、苦しみを終らせる手段だと思っていた。 けれどいざ忘れてしまえば、それもまた辛いという事を今のティーダは思い知ってしまった。 恐らく、間違っているのは自分なのだろう、と。 長く生きてきたこの期間は、全く意味のない、ただ生きているだけの時間だったのではないかと最近思う。 『兄弟』は何も答えず、ただ感謝の気持ちを伝えてくれただけだったが。 重要な話をしよう、と食事が終って一息ついたところで、ティーダが突然真剣な顔で、茶の準備をしようとしていたメイヤを呼んだ。 メイヤは困惑する。 食事中は、ほぼ普通通りだった。 いつも通り、行儀の悪い師匠に小言を言って、それを嫌味で返されて。だからメイヤはもう大丈夫だと思ったのだ。 正直なことを言えば、聞きたい事はたくさんある。けれども、それは今聞くべきではないからと言い聞かせて切り替えられたと思ったところで、師の方からそんな事を言われればどういう顔を返せばいいのかが分からない。 「そんな硬くならなくていいぞ。この機会にな、あの木の事を教えておこうと思っただけだからな」 それでメイヤは安堵する。 いや、本当は少し落胆していたのかもしれないが。 「あの木はな、始まりの木って言われててな、この森の最初の木であってこの森の中心。そしてこの森の全ての木と繋がってる」 あれだけ大きい木であるから何か特殊なものではあるとは思っていたが、それなら納得だとメイヤは思う。 けれど、メイヤが驚いたのはそれに続けられた師の言葉だった。 「でだ、俺はあの木と繋がってる」 「え?」 メイヤが驚くのは想定内だったのだろう、ティーダはにっと笑みを返す。 「あの木はな、この森の持つ魔力っていうか生命力かな、あれを少しづつ吸い上げて自分の魔力にしてる。で、それと繋がってる俺は、その魔力のおこぼれを貰って……まぁ早い話、この体を若いまま維持してられるんだよ。森から出られないってのはそれが理由だ」 「そう……だったんですか……」 話が、想像さえしていなかった事だった所為でメイヤは呆然とする。 けれども確かに考えれば、その理由なら、今までのティーダの行動の制約や思わせぶりな言動が綺麗に繋がる。 「森自体と繋がってるのも同然だからな、この森の中の事なら何でも知覚出来る。お前さんの道案内をしたあの魔法だってな、そういう理由なら簡単に出来るってのも納得出来んだろ?」 今度はメイヤは頷くことで返事を返した。 神妙な面持ちのメイヤに、ティーダはその外見ではなく、実際の彼の生きた年月に相応しい落ち着いた眼差しを向ける。 「ついでに勉強だ。魔法使いってのは大抵寿命を延ばす為に何かしらするってのは前に言ったな」 「はい」 あまりに真剣な様子のメイヤにくすりと鼻を鳴らし、今度は少し茶化す気になったのか、ティーダは先生らしく、よろしい、と咳払いをしてみせた。 「でだ、それには大きく分けて二つの方法がある。一つは単純に、こうして体そのものの寿命を延ばす方法な。ただこれは単純にいえば力技でな、体に足りない生命力を魔力や余所からの生命力で補って、老いを強引に引き止めてるんだ。んでもう一つは……あぁ、悪ィな、こっちは見習いのお前にゃまだ教えられない。ただ、前者とは全く違う視点の延命……てのとはまた違うけど、死なない為の方法になる。まぁ、ここまで言や分かると思うけど、俺の場合は――」 メイヤはティーダの言葉が終る前に発言する。 「前者で、森からの魔力を取り込む事で体を維持させてるんですね」 ティーダの軽い口調とは対照的に、声も表情も、メイヤのものは硬い。 弟子のその様子に、ティーダは苦笑するしかなかった。 「そういうこった。クノームくらい規格外の魔力もってりゃ自力で体の維持を出来るんだが、生憎そういう芸当が出来る奴はまずいない。だから前者を選ぶなら、外から魔力……もしくは生命力を補充する事になる。……クストノームでお前を襲った魔法使いだけどな、そいつも原理は俺と同じなんだ。他者から生命力を奪って自分に取り込む。実は自らの生命維持には、同じ人間の魔力か生命力吸うのが一番手っ取り早くて効率がいい。……とはいっても、ちょっと疲れたとか肌を綺麗になんてのとは違って、老いを止めるってレベルに必要な力はハンパなくてな、月に2,3人食うか、百人規模から定期的に力を吸い上げなきゃならない」 「食う……って?」 物騒なティーダの表現に思わず聞き返したものの、メイヤも返ってくる返事には大方予想がついてはいた。 「人間一人、すっからかんになるまでそいつの生命力を自分に取り込む事さ。もちろん食われた相手は死ぬしかない」 「そんな事……」 許されない、と呟いて。だが実際にその方法で生き長らえるものがいるのだという事は、御伽噺に出てくる魔女の記述で予想出来る。 この国において、魔女、とは女性の魔法使いを示す言葉ではない。魔法によって人々に害を成す者の事を魔女と呼ぶのだ。……恐らく、わざわざこんな言葉が出来る程、かつては自分の寿命を長らえる為に人を襲う魔法使いがいたのだろう。 「勿論、そんなのを好きにやらせちゃマズイからな。だから魔法ギルドではそれを禁止して、そんな事した奴を魔女認定して封印するか始末する」 それは当然だ。現状の、魔法使いとそれ以外の人間との共存関係を崩さない為には、魔法使い側でルールを作る必要がある。 今まで、魔法使い、という者に関して、メイヤが感じていた認識は単に『魔法が使えるだけの人間』であった。何処かの神殿に所属し、大抵のものが小さな魔法を使える現状では、神殿に頼らないで魔法を使うだけの者をそこまで特別に見る事なんてない。 だが魔法使い、というのは生き方や考え方に関して、そもそも一般人と違うというのが今の言葉で分かる。 まだ魔法使いとしての認識の浅いメイヤには、どうして魔法使い達がそこまで己の寿命を延ばす事に拘るのかが分からない。 分からない、が、そんなに生き長らえたいなら、人じゃないところから力を貰えばいいのだ、この、師匠のように――。 「……だったら、貴方みたいに森と契約すればいいじゃないですか」 けれど、言ってはみても、それが出来るようならそもそも皆している、という事はメイヤも分かっている事ではあった。 「言ったろ、俺は運が良かったんだって。繋いだままずっと力を吸う対象は単体じゃないと難しいんだよ。しかも人間じゃないものから貰うのは効率が悪い。植物なんて人間からは遠い生命力、自力で体の維持に必要な分だけ貰おうとするのはまず無理だ。俺の場合は繋がってるのは始まり木だけで、あいつが森中の力を集めてるから楽に体を維持できてるだけなんだよ。 ……だから大抵の場合、魔女になる覚悟じゃなきゃ、前者を選べるのは極少数の運がいい奴だけだ。俺の場合は木だけど、同じように辺りの生命力を吸いあげて成長してるようなモノとか、信仰されてるモノとか、とてつもない魔力が込められたアイテムとかでもいい。後はクノームみたいに自力の魔力によるかだな。なんで大抵は――お前にゃまだ話せないって言った別の手段を取る」 皆が取る手段、というなら、その手段は少なくとも何者かを犠牲にするようなものではないのだろう。けれどもそれを知りたいとはメイヤは特には思わない。そもそもメイヤはそこまでして生き延びようとする、魔法使い達の気持ちがわからないのだ。 黙って下を向く弟子の頭に、ティーダは軽く叩くように手を置いた。 「まぁ、お前も魔法使い目指すなら覚えておけ。魔法使いなら大抵皆選ばなきゃならない」 「俺は、そもそもそこまでして長生きしたいとは思いません」 メイヤの声には抗議めいた響きがある。 「そうだな、お前はそう思うかもしれない。でも、自分が何かを作り上げて、それが自分が死んだら終わりだって思った時、もしそれを残す手段があったら手を出したくなるだろ? ……まぁ、俺達はそうして手段を知ってるからこそ悪あがきしちまう訳さ」 「俺には分かりません」 「うん、お前はまだ理解出来なくていい。……いや、最後まで理解出来なくてもいいんだ」 ティーダの手がメイヤの頭を強く撫でる。 メイヤは、その掌の優しさと暖かさを感じながら目を閉じた。 --------------------------------------------- 師匠の秘密の一つを公開。 この世界の魔法使いさん達は結構いろいろ世界の秘密っぽいのを知ってます。 |