<成長編・2> 【1】 「えーと、久しぶりすぎてどうだったか忘れたな」 第一声はそう言ったものの、こめかみあたりをトントンと指で叩いて、古い記憶をどうにか思い出して。杖を構え、詠唱を初めてしまえば、声は淀みなく迷いなく術を完成させていく。 お膳立ての術を終え、最後にキーワードを唱えて杖から固定の術を引き出せば、目的は果たされ、彼の目の前にてのひら大の小さな空間の歪みが出来た。 「サック・リーア、ちぃっと出てきてくれ、仕事を頼みたい」 長い黒髪の魔法使い――ティーダがその歪みに向けて声を掛ける。と、同時に、目の前にあった歪みから、ぬっと手が伸びてくる。それからすぐ、歪みは広がり人の大きさ程になって、それから弾けて空間はまた安定を取り戻した。ただし、その場には、先ほどまでいなかった筈の青年の姿があったが。 「久しぶりだなぁティーダ、どんくらいぶりだよ、こっちに呼んでくれたのは」 にこりと笑った青年は、金髪に意志の強そうな緑色の瞳で、ただ少し異様なのは、彼の額には黒い石が埋め込まれていることだった。 「あんまおまえに会いたくなかったからな」 言えばソレは肩を竦めて少し悲しそうにティーダをみる。 「その顔でそういう表情すんじゃねぇっ。ったく、だからお前に会いたくなかったんだよ」 ぐしゃぐしゃと長い黒髪を手で乱暴に掻いて、ティーダは舌打ちをする。その様子にクスクスとソレはさも楽しそうに笑った。 「あー……用事ってのは単純で、ただの使いだ。手紙渡して返事を貰ってくるってだけのな」 「なら別に、俺じゃなくても良かったんじゃないか。外と繋がってる弟子……クノームとかいうのがいたろーに。だってあんた、俺の顔見たくなかったんだろ、本当は」 ソレがやはり悲しそうにそういえば、今度はティーダも表情を曇らせる。小さくため息をついてから、ティーダは静かな声で告げた。 「仕方ねぇだろ、あいつじゃないのに頼みたかったんだから。それにまぁ……少しはお前の顔見てもいいって気になったんだよ」 明らかに自嘲の笑みを浮かべるティーダに、ソレは苦笑する。 「それなら良かった。俺達使い魔は、こっちの世界にくる時に姿を作らなきゃならないからな。あんたの記憶からとったこの姿をあんたが嫌だって言うモンだから、俺としちゃ困るしかなかった訳でね」 金髪の青年の顔が、悲しそうな、それでも嬉しそうな、けぶるような笑みを浮かべる。そんな表情はあまりにも『彼』らしくて、ティーダの心はやはり痛んだ。 「ったく、勝手にンな姿で固定するのが悪ィんだよ。ちゃんと許可とってから決めろ」 「無茶いわんでくれよ、記憶から一番好意的な奴の姿取るのがお約束なんだ」 そのせいで、折角使い魔の契約をしたのに、この魔物をティーダは殆ど呼んだ事がない。『彼』の顔を思い出すのが嫌で、見たくなくて。だから呼ばなかったこの使い魔を、だが今なら見ても大丈夫だと思ったのだ。 ティーダは『彼』と同じ顔をした魔物に笑い掛けた。 「ま、これから暫く、ちょいちょい頼むかもだ」 「それはこちらとしても望むところだ、我が主」 それは、クノームとしても少々計算外の事だった。 メイヤをこちらの仕事に誘ったものの、ティーダの為とは言ってもある意味彼を裏切るにも近い内容であるから、あの馬鹿真面目な弟弟子ならおそらく相当に悩むだろうと思っていた。断られても仕方ない、というつもりの誘いでもあったのだ。 だが、そんな予想に反して、次にティーダに土産を持っていった時に、あの弟弟子はあっさりと言ってきた。 ――例の話、俺、やります。 クノームの予定では、この日は帰り際、メイヤには様子伺い程度に言葉を掛けて、彼の心の傾き具合を見ていければいいと思っていた程度だった。なので、いきなり結論を告げられて肩透かしをくらった、というのが正直な気分だった。 ただ、メイヤの性格的に、その言葉が一時の迷いや勢いからではなく、ちゃんと考えてからの結論であるという事はクノームもわかっていた。聞き返したり、気が変わらない内に、なんて焦る必要はない。 だからその時はすんなり帰り、3日後準備をしてから、書庫の整理をするからメイヤに手伝って欲しい、という理由をつけて彼を迎えにいったのだった。 「とりあえず、最後に一応確認だ、ティーダは確実にお前がこんな仕事やるのは喜ばねぇ、それでもいいんだな?」 「はい、分かってます」 そこでそう答えられれば、もう、クノームにも迷いはない。……実際のところ、決めてしまえば全く迷った様子を見せないメイヤと違って、本当はクノームの方がどこかでまだ迷いが残ってはいたのだ。 ――ティーダに知られたら、怒るだろうな。 それはもう、ほぼ確実に。 とはいえ、メイヤが選んだのだ、クノームが今更どうこういうべきではない。だが、では早速具体的な話に進もうかと思ったクノームは、そこでメイヤ自身に止められる。 「覚悟は出来ています、が、仕事をする上で3つ条件があります、聞いてもらえますか?」 クノームは僅かに眉を顰め、少し考えてから深く椅子に座りなおした。 「いいぞ、いってみろ」 その返事に合わせ、逆にメイヤは、深く座ったせいで少し顔が遠のいたクノームを追いかけるように軽く身を乗り出した。 「まず一つ、貴方を疑う訳ではありませんが、俺の判断で師匠の為ではない、と思ったらその仕事はしません」 クノームは言葉を聞いた直後は少しだけ驚いて、それからにやりと笑みを浮かべる。 「まぁ、いいだろう。お前はそーゆー奴だよな」 それは元々クノームとしてもわかっていた事ではあるので、彼に宣言されたとしてもやはりな、という程度のことでしかなかった。メイヤの性格を分かっているからこそ、このクソ真面目で頑固な弟弟子が大人しく従う単なる駒になってくれるとは思っていなかった。 「2つめは、仕事のせいでこちらに来る機会も増えると思いますので、貴方の書斎の本を見る許可を下さい。俺は師匠の事も、魔法使いの事も知らな過ぎます。もっとちゃんと知りたいんです」 「それは構わないが……残念ながら、あそこの本はギルドに登録されてるからな。お前さんが知りたいと思うような重要な内容は、魔法使いじゃないと読めない仕掛けが掛かってるぞ」 魔法使いは、一般人が知らない、世界の重要な秘密を知っている。それは単なる噂ではなく真実だった。しかも、人々の噂以上に、魔法使いだけが知っている秘密は多く、どれもが世界を知る上で重要なものばかりだ。魔法を使うというその能力以上に、それを知っているという事が一般人と魔法使いを大きく隔てているといってもいい。 魔法ギルドにとって、魔法使い見習いはまだ一般人の扱いであって、正式にはギルドの構成員でさえない。魔法使いと見なされなくては、同じ秘密を共有する事は許されない。 「それは……知っています」 それでもメイヤの口調には、落ち込んだ様子はない。 だが、その彼の様子も意外であれば、次に彼が言った言葉はもっとクノームを驚かせた。 「ですから3つめの条件は、俺を、魔法使いにしてください」 クノームはその言葉を聞いたまま、文字通り固まった。人間、自分があまりに理解出来ない事に遭遇すると、思考が真っ白になるというのは本当だったのか、と訳の分からない事に感心しそうになる。そして直後。 「ってぇ、何言ってるんだお前。いくら俺がそれなりにギルドで地位あるっていってもなぁ、魔法使いを決める程の権限なんかある訳がないだろっ」 クノームにとっての爆弾発言をしてくれた青年は、にこりとなんでもないように笑う。 「それは当然でしょう。別に俺は、貴方の権限で魔法使いにしてくれとは言ってませんよ。俺、魔法使いになるって本気で決めたんです。ですから、俺が魔法使いになる為にはどうすればいいか、俺にいろいろ教えてください。そして協力出来る部分で協力して下さい。貴方は俺にアドバイスをくれる、俺はそれに向かって努力します」 それでクノームは事態を理解して肩の力を抜いた。抜いたと同時に、大きくため息をついて背もたれに頭を預けた。 「なんだ、そういう事か。焦ったじゃねーか」 まぁ考えてみれば、この真面目過ぎる青年が、ズルして他人頼りで目的を果たそうと言い出す筈がない。言葉通りに受け取った自分の方がおかしいと思うくらいだ。 ――だがこれは、少し面白いんじゃないか。 考えて、クノームは口の片端を上げる。 メイヤが魔法使い見習いになったのは、どう考えてもティーダの傍にいるためだった。彼自身、本当に魔法使いになりたいのかと聞かれれば、正直分からないところだったのではないかと思われる。 その彼が、自ら、魔法使いになりたいと言ったのだ。 理由は例によってティーダの為だとしても、彼が明確に『魔法使いになる』というその事自体を目指した意味は大きい。 彼の性格、その魔法に対する特性を考えても、自分とはまったく逆の、そして他に類がないタイプの魔法使いになれる可能性がある。 「いいよ、お前が本気で魔法使いになるってんなら協力してやる。ただ勿論、相当きついのは分かってるよな」 「はい、それは勿論分かってます」 メイヤの瞳は真っ直ぐとクノームを見返してくる。いつの間にか、見下ろす視点だった彼の顔は、逆にちらの方が僅かに視線を上げるくらいになってしまった。ついこの間までは少年だった彼の顔は今では立派な男の顔で、前よりも更に強くなった瞳をしっかり向けてくる。 「じゃ、ついてきな。これからの説明と共にいろいろ教えてやるよ」 クノームが立ち上がればメイヤも立ち上がる。 「はい、よろしくお願いします」 そうしてクノームは、彼を連れては初めて、部屋の隅にある階段へと出る扉に向かった。 --------------------------------------------- 久しぶりに連載再開、って事でやっと今回からメイヤのお仕事編まで話が進みます。 |