魔法使い達の古い事情
<成長編・1>





  【5】





 ったく、と軽く舌打ちして、ティーダはむくりと起きあがると、ぐしゃぐしゃに乱れてしまった長い黒髪をかきあげて、顔からどかした。

「っとにお前は、薬が効きにくいのな」

 言ってから、疲れたように、立てた膝の上に顔をがくりと落とす。
 隙を見て、メイヤのお茶の中にこっそり眠り薬を入れておいたのだが、効いたのは彼本人が安心して眠ろうとしてからとか、薬の意味があまりないんじゃないかと思うくらいだ。
 とはいえ、元より眠らせるのが目的ではなく、寝てる間に起きない事が目的ではある。
 ティーダは上掛けから抜け出すと、その上掛けを丁寧にメイヤに掛け直してやってからベッドを降り、脱ぎ散らかしてあった自分のローブを身に纏う。それから軽く背伸びをして、ふぅ、と声を出して一息ついた。
 暫く、気が抜けたように天井を眺める。そうして、思い切って部屋を出ようとしてから思いとどまって、彼から離れる前にその寝顔を覗きこんだ。

「ったく、幸せそうに眠りやがって。こーしてっとまだガキなんだけどなぁ」

 寝顔のメイヤはまだ少年の面影が残っていて、ティーダを少しだけ安心させてくれる。まぁ、こうして情事の後寝た時は、抱きついてきたりして子供らしからぬ重さに困りはするのだが。
 見ているとにやけてしまう自分に気づいて、それに苦笑してから、ティーダはくるりと彼に背を向けて部屋から出て行く。

「さてっ……と」

 暖炉の部屋に帰ったティーダは、がさがさと、メイヤが帰ってきてから寄せておいた資料を引っ張りだして床に並べた。おそらく、メイヤからしてみれば、並べてる、ではなく、散らかしてる、状態なのだろうが、夢の中の人物は文句を言ってくることもない。
 ティーダは森から出られない。
 外との繋がりといえば、弟子であるクノームとメイヤ頼りだ。とはいっても、メイヤはお使い程度でほぼこの森から出ないため、外の情報収集は基本的にクノームからだけになる。一応、判定者の一員ならここへ来れるが、余程の用事でもない限り、歓迎されないと分かっててくる奴はまずいない。
 だから、クノームはここへくる度に、最近の情勢について話してくれる事はもちろん、外の様子が分かるような資料を持ってきてくれるのだが、やはり人づてというのには仕方がない部分がある。

「やっぱあのヤロ、意図して抜いてやがるな」

 ギルド関係の報告書だけでも、ティーダも判定者の一人として受け取れるものの全部はきていない。しかも、ただ単に抜けがあるというのではなく、内容を選別して抜いているのも容易に予想出来る。なにせ、ティーダにとって都合が悪い、もしくは関係ある内容が、余りにもなさすぎるのだから。

「あいつも頭良さそうに見えて馬鹿だからなぁ。企んでもいつも底が浅いんだよな」

 ここまで綺麗にこちらの関連事が抜けていれば、そのほうが疑われる事は分かるだろ、と呟いて、それから苦笑して考え込む。
 さて、どうしたものか。
 実際、唯一の外とのパイプであるクノームに頼れないとなると、これ以上の情報収集に関しては絶望的だといっていい。一応、こちらからも、直接ギルドの方に連絡をとる手段はあるものの、今更そんな事をしたら、何があったと向こうが大騒ぎになる事は想像に難くない。それにそもそも、こちらを厄介者にしか思ってない向こうが、こちらの思う通りの情報をくれる保証はクノームから以上にない。

「かといって、メイヤに頼むのもな……」

 ギルドの方には、昔の知り合いでもまだ生きている者がいる筈だった。彼らのところにメイヤを使いに出す、という選択肢もない事はない。
 だが、このところ妙にいろいろ感づいても何も言わないメイヤには、これ以上ヘタな事を知られたくないという思いがティーダにはあった。大人になってしまった彼は、何を知っても尚自分の側にいてくれるだろう、とは思う。けれども、自分を見るその瞳の色に、これ以上余計な色は入れて欲しくなかった。

「ったく、ガキのままだったら良かったのに」

 言ってしまってから、自分の発言の馬鹿さ加減に、我ながら呆れる。
 自分は、怖いのかもしれない。
 ずっと留まっている自分は、みじかな人間が、追いついて、追い抜いて、自分を置いていってしまうその事を実感する度に心が冷えていく。まだ子供だと思っていた少年が、いつの間にか青年になって、やがては老い、自分を置いていくのだと、それを考えると苦しくなる。今側にいる彼が、すぐにいなくなってしまうのだと自分に言い聞かせる度に、心が重く沈んでいく。
 そうして、遠くないいつか、おそらく自分はまた離れる事でその苦しさから逃げようとするのだ、とティーダは思う。レトの時のように。






 さわさわと、風に揺られて葉のこすれあう音が柔らかく耳を満たす。風はやさしく肌を撫でるように心地よく、強めの日差しは揺れる葉達に遮られてこちらには届かない。こういう気持ちのいい木陰で木に寄りかかって、静かに本を読む時間というのは最高だ……と普段からいっているティーダにとっては、今は至福の時間であった。
 そう、そこに、その時間をぶち壊す馬鹿者達がくるまでは。

「なぁ、ティーダぁ、いつまであんな貴族のドラ息子様につきあってんだよ。貴族様なんてなぁ俺たちの事を人間とも思ってねぇんだ、都合いい時だけ遊んだらぽいだぜ。俺達とつるんだ方が、最終的にはいい目にあえると思うがね」

 どうしてこうも、頭の悪い奴に限って、わざわざ偉そうにごたくを並べようとするのか。へんに説得理由などつけず、俺たちとつるもうぜ、の一言だけのほうがまだ頭の悪さが隠せるのに……などと考えながら、ティーダは読んでいた本をパタリとわざわざ音を出して閉じた。

「まぁ、お前のいう貴族様のイメージがどうかは知らねぇけどな。あいつの場合、貴族とはいっても三男坊で、そうなっとお前が思うようなお偉い貴族さまよろしくやりたくても出来ねぇんだよ。貴族の跡取り以外ってのはな、成人したらほぼ無一文で家追い出されて路頭に迷う事だって珍しくねぇ、結構シビアな立場なんだぞ」
 
 言ってから悪意を込めて睨んでやれば、やっと向こうもこちらが怒っている事に気づいたらしく、自信満々だった笑顔を強ばらせた。

「だ、だがよぉ、あいつは騎士様になるって話じゃねぇか。どっちにしろ、お前とつるんでるのなんて今だけだぜ」

 騎士、という言葉だけで思考停止して、金がないのに騎士をする苦労も分からないようなごろつきの妄想につき合うのもバカバカしい。
 さて今度はどう返してやるかと思いながら口を開きかけたティーダは、男が実力行使とばかりにしゃがんで手をのばしてくるに至って、説明や嫌味よりもまず怒鳴りつけた。

「何処触ってやがる、この野郎っ」
「なぁ、ティーダ。あいつとヤってんだろ、あんな貴族のふにゃ野郎よりも、俺のが……」

 いいながら相手の手が腰をまさぐってくるに至って、ティーダは本格的に制裁を加えてやる事にする。立っておけば股間を蹴ってやれたのに、と呟きながらも脇にあった杖で思い切り頭を殴りつけようと……したその杖は、だが男の手に掴まれた。

「魔法使い見習い様が、この状態から逃げられると思ってんのかよ」

 けれども、そうしてティーダの服の胸元から、手を入れようとした男の動きは直後に止まる。

「貴族のふにゃ野郎で悪かったな、ヘンタイ野郎」

 男の喉元につきつけられた剣と共に、聞き慣れた第三者の声が聞こえる。更に剣が伸ばされれば、それを避けて男の体がティーダから離れて行く。

「それにな、騎士になってからもティーダには俺の文官としてつき合って貰おうと思ってるんだ、残念ながらお前達とつるんでる暇はこいつにない」

 笑顔で言ってはいるが、彼が相当に怒っている事はいくら相手が馬鹿でも気配で分かるだろう。さらには、その笑みを急に消して、彼は相手を睨みつけると思いきり凄みを聞かせた声で言い放つ。

「分かったら失せろ、お前がこいつに関わる必要は一生ない」

 準騎士にそう言われて剣を向けられても尚いきがれる程、この馬鹿の度胸が座っている筈もない。言われた男は舌打ちをするのがやっとで、すぐに離れて逃げていく。

――ヤバイ、俺今顔がにやけてるかも。
 
 思わず手で口元を隠してから、ティーダはできるだけ怒った声を出して言う。

「おっせーよ、馬鹿。お前が約束の時間におくれっから、あーゆー大馬鹿にひっかかるんだからな」

 そうすれば彼は、すぐ横に膝をついてしゃがみ込み、ティーダの手を取るとその手に恭しくキスをする。

「おぉ、我が君よお許したまえ。今日は我が愛馬の機嫌が悪く、なかなか動こうとしないわ、ヘンなところで走り出すわで大変だったのです」

 いつも通りの芝居がかったその言い方にティーダが吹き出せば、彼もあっさり小芝居をやめて、ティーダの隣に胡座をかいてどっかりと座った。

「いやー、本当に参ったよ、グルバの奴が拗ねて動くの拒否しまくってさ」
「そらお前、こんとこ全然構ってやってねぇからだろ」

 自分と同じに、とは言わなかったが。

「まぁなぁ」

 顔を情けなく顰めて頭をぼりぼり掻く男は、最近会う度に体ががっしりして男らしくなっていると思う。
 今は騎士の従者として見習いの身である彼は、普段はずっと主の騎士のところで生活している為、ティーダとはなかなか会うことが出来ない。それでもまだ、比較的近くではある為、ちょくちょく一時的に家に帰ってきては、必ずティーダに会おうと声を掛けてくる。
 その度に、まだ忘れた訳じゃなかったんだ、なんてこっちが嬉しくなってる事を、この男は知らないのだろうとは思うものの。……更には、今の彼の言葉で、彼は忘れていなかったのだと分かってしまったからには、顔が笑ってしまうのはどうしようもない。

「まぁだ騎士になれねーのかよ、このポンコツ」

 笑っていても口を出るのは憎まれ口ばかりで、我ながらティーダは呆れる。

「とはいってもなぁ、こればっかりはセフェス様次第ってとこだからなぁ」

 大仰にため息をついて見せた彼は、少し疲れているのか、目を閉じてティーダと同じ木に寄りかかった。そのせいでふいに訪れた静寂に、ティーダは呟いて確かめてみる。

「文官になれって話、本気だったのかよ」

 そうすれば、驚いたようにがばりと起きあがって、彼はティーダの顔をのぞき込んでくる。

「おいティーダ、当然だろ。お前、まさか忘れてたとか言わないよな?」

 益々顔がにやけてしまいそうになりながら、ティーダは拗ねたように彼から顔を背けた。

「覚えてるに決まってるだろ、頭の悪いお前と一緒にすんな」

 だよな、という言葉と共に彼の笑い声が返るに至って、ティーダはこっそり安堵する。
 それは小さい頃、一緒につるんで遊んでいた子供同士の、子供らしい夢みたいな約束だった。
 
 貴族の三男坊というのは本当に扱いがぞんざいで、おかげで彼は子供の頃はふつうに近所の子供達と遊んでいて、遊んでる子供の方は、彼が貴族だと気づかなかったくらいだった。
 ティーダは子供の頃から頭が良く、魔法素養があるという事で魔法使いに弟子入りして勉強に明け暮れていた事もあって、普通の子供と彼が違う事はすぐに分かった。
 少なくとも貴族としてちゃんと教育を受けているだけあって、彼は他の子供より話があったという事もあったし、彼は彼で、やはり子供の頃から女の子のように可愛かったティーダを姫に見立てて勝手に騎士ごっこを始めたりと、いつのまにか、二人はいつでも一緒にいるようになっていた。
 それでも、いくら扱いが長男に比べて放置されていた三男とはいえ、大きくなってくればそうそう一緒に遊んでいる時間もなくなり、世間体的に親にも注意されるようになってくる。
 だからある日、それを愚痴っていた彼に、ティーダが言った言葉が、彼の決意の引き金を引いた。

「ま、仕方ねぇよ。元々お前と俺は住む世界が違う。お前はちゃんと貴族の肩書きがあるからさ、がんばりゃ役人にも騎士様にもなれる。そうすりゃ将来偉くなることだって可能だろ。俺はまぁ、魔法使いって道はあっけどさ……ま、どんなにがんばっても日の当たるとこにはいけないしな」

 そうすれば、ティーダの言葉に、彼は怒り出す。
 彼は、長いつきあいもあって、ティーダの外見だけではなく、その頭の中身の方も相当に認めてくれていたらしい。だから、優秀な人物が上にいけないこの国は間違っている、とか、そういう人間が国を動かす場所にいけるようになればもっとこの国はよくなるのに、等と、不穏な発言を爆発させたのである。
 若いなぁ、なんて子供同士ながらも思ったティーダは、ならお前が偉くなってどうにかしてくれと冗談半分で言ったのだ。
 そうしたら、彼はあっさりこう言った。

「ばかいえ、俺の頭でこの国をどうこう出来るか」

 それじゃ無理だな、とそう言って終わりになる筈だった話は、だがその後彼が続けた言葉で冗談で終わらなくなる。

「だからな、ティーダ、俺は騎士になる。頭に関しちゃ自信はないが、体を動かす方に関しちゃ自信があるしな、絶対になってやる」

 突然に熱血をして宣言した彼に、ティーダは面食らって、あぁがんばれよ、と人並みな返事を返す事しか出来なかった。なにせ、騎士なんてのは完全に貴族様の話で、ティーダとしては遠くに行く彼を見送る事しか出来ない、と思っていたからだ。
 心の内に湧き上がる寂しさを感じていたティーダは、だからまさか、そこで自分が関わってくるなんて思いもしていなかった。
 そうすれば彼は、当然のように振り返って、ティーダに笑顔を向けた。

「それで、だ、騎士の称号を取ったら一緒に騎士団入って、俺の文官になってくれ。そうしたら後は、考える事はお前に全部任せるから、俺を偉くしてくれ。俺が偉くなりゃ、お前の頭も生かせるだろ?」

 確かに、クリュースの騎士団では、ちゃんとした騎士の称号を取った者は文官をつける事が出来る。文官の地位はつく騎士の地位による。彼の出世如何では、ティーダの生まれではあり得ない位置にいく事だって可能だろう。
 とはいえ、偉くなる、なんて簡単に言う事じゃない。子供らしい浅はかな考えだ。けれども彼は、更に子供らしい壮大すぎる夢を、自信満々にティーダ言ったのだ。

「それで一緒に、この国を変えてやろう」

 馬鹿みたいな子供の夢、とは思っても、ティーダはそこで彼と約束をしてしまった。
 あれは悪魔の契約だった、と後々まで彼にいう事になる約束は、ティーダにとって一生を捧げる大切な約束になってしまった。





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少しづつ、例の幼馴染みの騎士君も、中身がはっきりとしてきました。
次回ちらっとだけあって、このエピソードは終わりとなります。




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