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【４】 クリュースの海の玄関口とでもいうべき富める街、リシェ。国内の大商人達の殆どが拠点を持つこの地の領主、シルバスピナの屋敷は、周辺にある大商人達の家に比べて一見地味だが敷地はどこよりも広かった。その理由は、代々騎士として日々の訓練を欠かさなかった当主と、その息子達の為の訓練施設や、馬の為の施設のせいで、だから実際、訓練をする事に関しては外に行く必要はないといってよかった。 ワーナン・レジンとの訓練はそんな屋敷の敷地内だけで行われていて、彼は騎士試験までの３か月の間、この屋敷では客人として滞在する事になっていた。 強くしてやる、と言っていただけあって彼の訓練は確かに厳しいものではあった。そして祖父が言った通り、ワーナンは本当に強かった。 シーグルが一番得意な剣でさえワーナンから一本も取る事が出来ないのは勿論、彼はまるで遊んでいるような態度を見せる程に余裕があった。 「甘い甘い、いつでも攻撃はお約束ばっかを狙ってくるモンでもないんだぜ」 確かに男の剣は狙うべきと言われている場所以外にもやってきて、そうなるとシーグルの対応はどうしても遅れる。 「かといってそっちに気を取られすぎてもだめだ。そんなんじゃフェイクに引っかかって本命を食らうぞ」 一言でいえば、男の動きは無駄が多いのだ。いや、一見無駄に見える動きが多い。 レガーも、主と呼んだ騎士も、それ以外のこの屋敷に出入りする騎士達も、皆正統派の伝統的な剣術を使っていた。シーグルが習ったのも勿論そうだ。無駄を極力削って長い年月を掛けて洗練されてきた正統な動きは、だからこそ状況判断さえできれば大方次の手が予想出来る。体に慣らした動きは無意識に次の相手の手を読んで、それに対応するべく動くのだ。 けれども、ワーナンの剣はまるで違う。洗練され切っていない彼の性格通り粗野な太刀筋は、シーグルが習ったパターンとは違いすぎて予想が出来ない。狙うべき、優先して攻撃すべきと教わってきた基本の場所に来ないのだ。 見れば必ず無駄はある。けれども、そこを狙えば予想外の方向から反撃を食らう。 無駄に見える動きは実際はフェイクだと分かってはいても、この手の相手に慣れていないシーグルは、現状、全く彼に歯が立たなかった。 「ほらガキ、足がふらついてるぞ」 だからともかく全てに反応するしかない。 どうせ訓練ならばと、フェイクと分かっていても毎回受けに行き、それでもどうにか対処する手を考える。そうすれば手合せだけで普段の数倍の運動量になる訳で、当然体力の消耗も激しくなる。ただでさえ体力に難のあるシーグルでは、すぐに足が疲労で悲鳴を上げてしまう事になった。 「ったく、ほらよっ」 伸ばしたシーグルの剣を避けて、男は軽く屈みながらシーグルの横に移動すると足をひっかけてくる。 既に力の入らない膝は、足元を蹴られるとガクリと簡単に折れる。 盛大にひっくり返ったシーグルを上から見下ろすと、嫌味なくらい楽しそうにワーナンは笑った。 「くっやしそうだなぁ、おぼっちゃんよぉ。行儀のいい相手とばかりやってんから、俺みたいなのとやると訳分かんなくなんだろ」 それには正直そうだとしか言えず、シーグルは黙ってむすっとしたまま男を見上げた。 「まだやるか？」 「勿論」 言ってシーグルが起き上がろうとすれば、笑ったままの男が手を伸ばしてくる。 「やっぱおぼっちゃんにしては根性あるな、お前」 シーグルはおそるおそるその手を掴んだ。 「よし、もうちっと付き合ってやる。せめて一回くらいはちゃんと受けてみろよ」 「はい……ぇ、うぁっ」 相手の手を持った途端、圧倒的に大きな手で掴まれて、圧倒的な力で持ち上げられる。あまりにも簡単に起き上がれた事で、シーグルは逆に立ち上がると同時に体勢を崩した。そして流れ上仕方なく、男の体に抱き付くようになってしまった。 「お前軽すぎなんだよ」 それはどうにかしたいと思っていても、どうにもならないのだから仕方ない。 ワーナンはシーグルの体を支えるように、その背から腰に掛けてを掌で撫でた。 「っとに、ほっせぇ体しやがって……」 その口元に浮かぶ歪んだ笑みと唇から覗く赤い舌は、けれどもすぐに見えなくなる。 だから当然、体勢を立て直す事に必死なシーグルが次に顔を上げた時には、冒険者の男の顔には、いつも通りの陽気な笑みがあるだけだった。 「シーグル様、少々よろしいでしょうか？」 ワーナンが来てから一月以上が過ぎた頃だろうか、ある日シーグルは訓練前にレガーに呼び止められた。 「何か、用だろうか？」 そういえば、彼と面と向かって話をするのも久しぶりかもしれない、とシーグルは思う。 父が死んでからは祖父は部屋に篭りがちで、それにつきっきりであるレガーとは、最近は祖父に報告に行く時くらいしか顔を合わせる事がなかった。それで戦闘方面の訓練は今はワーナンが師であるから、本気でレガーとは最近全く話をしていない。 「ワーナン殿との訓練はどうですか？」 元の師として、彼も気になるのだろう。 聞いてくるレガーの声は、今日は優しい気がした。 「彼は強い。今まで見たことのないタイプの動きをする。だからとても……勉強になる」 「そうですか」 声に幾分か安堵した響きがあるのに気付けば、彼は自分を心配してくれていたらしいというのが分かる。 それはシーグルにとっては嬉しい事だった。 「彼は、その……シーグル様の苦手なタイプではありませんか？」 その質問には少し眉を寄せて、シーグルは考える。 「言葉遣い等、少し粗野だとはいえるが、俺の方が教えられる立場だからあんなものだろう。訓練中は厳しいし、容赦ない時はあるが、いい人物だと俺は思う」 この家に来てからずっと師と呼んで来た騎士を安心させる為に軽く笑えば、釣られるように彼も僅かに口元を歪める。だが、すぐにその表情は彼らしく厳しい顔に引き締められる。 「それなら良かったです。ただ……やはりその、彼は外の人間ですので……あまり、気を許しすぎるのも……よくないか、とも思います」 いつもなら騎士らしく、滑舌よくきびきび話すレガーのどこか歯切れの悪い話し方に、またシーグルは少し考える。 「とはいっても、この屋敷から出る事が出来ない段階でそこまで問題はないだろう。ただ、そうだな……彼は加減しないタイプだから、大きな怪我はしないようには気をつける」 今のところ、シーグルがワーナンという男に気をつけなくてはならないと思っているのは、訓練中の手合せが、彼の大雑把さの所為で細かい加減が出来ていないという点だ。もしもの時があってもこちらの未熟さ故の為文句はないが、今避けそこなってたら骨の数本は折れたなと思うような、ひやりとする場面は何度かあった。 「そう、ですね……」 けれども、レガーの反応からすれば、彼の言いたい事はその方向の心配でもないらしい。 「ともかく、彼は戦士としては優秀ですが、騎士としては……貴方が今まで接した者達とは違います。あくまで、貴方が目指す騎士としてではなく、冒険者として彼を見て、気を許しすぎないようにしてください」 「……分かった」 つまりレガーの言いたい事は、ワーナンという男自体を信用しすぎるなと言う事なのだろう。確かに、この屋敷に出入りするほかの騎士達に比べ、信用出来ないとレガーが思うのは、彼の言動を見れば仕方ないとはシーグルも思う。 それでも所詮、彼との訓練はこの屋敷の敷地内だけで、声を出せば使用人の一人は捕まるだろう場所ばかりだから、そこまで心配する事でもないのではないだろうか。 ただレガーが自分を心配してくれているのは分かったので、シーグルは彼のその言葉を無視せず、礼を言って別れたのだった。 もし、早く騎士になれたなら、二十歳までは自由に冒険者として働いても良い。 その間であれば、離れた家族に会う事さえ自由にしていい。 祖父がしてくれたその約束は、シーグルにとってはにわかには信じられないものではあった。 とはいえ祖父は嘘をつく人間ではない。更には後から聞いた事だが、元々シルバスピナの後継者は家を継ぐ前に２、３年程、家を出て外で実戦を勉強をしてくるのが約束事にはなっていたらしい。冒険者制度が出来る前は、その間に国内を旅をしてきたり、地方砦に傭兵に行ったりしていたとの事だが、近年は、冒険者として暫く仕事をこなしてくる事が通例になっていたという。父が冒険者として母と会ったのも、丁度その時だった。 だから祖父がしてくれた約束は、シーグルの努力によってはその期間を延ばしてやるというだけの事ではある。但し、シーグルにとってはその間の『自由』の意味が大きすぎただけのことであった。 冒険者になれる。 それは、この屋敷に来てからシーグルが諦めていた夢が、一つ、叶った事にもなる。 この国に生まれた子供なら皆思うように、シーグルは近所の子供たち同様、将来は立派な冒険者になるのだと幼い頃は夢見ていた。 『俺は騎士になって、にーさんは母さんみたいな神官になるでしょ、ラークは何になるのかな？ みんなで冒険者になってさ、一緒に冒険するんだっ』 父が作ってくれた木刀を持って、兄の手を引っ張りながらそんな事を言っていた日々。思い出すだけで心を温かくしてくれる、かつての幸せな風景を頭の中で見つめながら、シーグルは今日の訓練場所へと走る。 騎士になれたら。 そうしたら、真っ先に家族の元へ行こう。 兄や弟は冒険者になったろうか、もしかしたらあの時言っていた言葉通り、一緒に冒険者として働く事だって出来るかもしれない。父さんの代わりに自分が騎士として皆を守って、家族皆で冒険者として仕事をする事も出来るかもしれない。たとえ自由になれるのは二十歳までの数年間だったとしても、諦めていた夢が叶うかもしれない。 それを思えば、今はどんなにきつい訓練でも、痛い思いでも、苦しい思いでも、辛いなどとは思えなかった。 「おう、約束の時間ぎりぎりってとこか、珍しいな。そんなにじーさんへの報告に時間が掛かったのか？」 先に待っていて座っていたワーナンが、シーグルを見た途端に手を上げる。 どうやら今日は、彼は時間前に来ていたらしい。 この見た目通りの大雑把な男は、まず大抵、だいたい程度の時間約束をして、その時間内ぎりぎりか、もしくははっきりと遅れてくる。だからいつも先に来ているのはシーグルの方で、彼が来る前に体があったまる程度以上に剣を振っておくのがいつもの事だった。 「いえ……遅れて申し訳ありませんでした」 シーグルが謝れば、ワーナンは少し嫌そうに顔を顰める。 「いーよ、別に遅れてねぇって。ったく、真面目過ぎるぞお前……ってかそもそも、貴族様で俺にその言葉遣いは本当は嫌なんだろ？ べっつに無理しなくていいぞ」 「別に、嫌ではありません。習う場合、師には身分に関わらず敬意を持てと言われていますので」 実際、レガーに習っていた時も、その時だけはシーグルはちゃんと言葉遣いを変えていた。従者としてついていた騎士には勿論の事、習っている時は師と弟子、もしくは先生と生徒なのだから、相手を敬う姿勢で習えと祖父からは言われている。 「ふーん、まぁなんていうかそりゃ感心な教えだな。でもまー、俺みたいなのに頭を下げるのはむかつくだろ？ なにせ見た目ただの小汚いおっさんだしなぁ」 と言いながら、いかにも下品そうに笑うワーナンは確かに見ていて気分のいいものではないし、正直あまり近づきたくないが、それでも彼には敬意を払うべきだと思うものはある。だから別に、彼に頭を下げる事には抵抗はない。 シーグルはそこで姿勢を正し、すっと師に対する礼をした。 「頭を下げるのも嫌ではありません。貴方は強い。それだけで師としては尊敬できます」 ワーナンはそんなシーグルを顎の無精髭を擦りながら見下ろすと、ふぅん、とあまり気のないように見えてなにか含みのありそうな微妙な返事を返した。 「俺は、強くなりたいのです」 シーグルが頭を下げたままそう続ければ、顎髭を爪で挟んで抜いた後、くくくっと彼は喉を軽く震わせる。 そうして抜いた髭をぴんと指ではじくと、ワーナンは腰に手を当ててシーグルに正面から向き直った。 「よぉし、お前さんがあんまりにもイイコだからな、今日はちぃっといい事を教えてやろうか」 --------------------------------------------- ワーナンさんとの訓練パート。……いやもう本当ね、色気ない話ですいません。 |