失くした日




  【5】



 早朝と言えるこの時間、屋敷の外に出れば港町特有の喧騒が既に始まっている頃であるが、シルバスピナ家の敷地内の訓練場は静かな朝の空気に包まれていた。辺りの木々に住む鳥達の声だけが静けさに少しの色を付ける中、朝の澄んだ空気を大きく吸って、シーグルは剣を構えた。

 ワーナンは今回、シーグルに今までにないアドバイスをくれていた。

『いいかぼーず、お前はなぁ、俺の動きをちゃんと見えてるし、反応も出来てる。なら何故受けられないかってぇのはな、単に慣れない動きに考えすぎてるだけなんだよ。いいか、どんな攻撃が来ても、全部お前さんが今まで習った動きに置き換えてみればいい。どんなに特殊な動きに見えてもな、最終的な狙いが同じなら基本は同じなんだよ。そうすりゃ対処方法だって体で分かる。そう言えるくらいには、お前はその剣を体に覚えさせるまで振ってるんだろ?』

 同じか、とシーグルは呟く。
 一度目を閉じて意識を集めてから、前を睨む。
 それから、いいぞ、とワーナンが言って構えたのを見て、シーグルは前に走りだした。

 こちらから仕掛けた最初の一撃は、当然軽く受け止められる。押し合いになれば腕力上シーグルが不利であるから、そこは大人しく一度剣を引いて切り返しの攻撃を掛ける。勿論、それも止められるが、また切り返して別の角度から剣を出す、それも受けられてまた切り返して……剣と剣がぶつかる度に鉄の音が高く響き、火花の光が目の前で弾ける。
 すぐに当てよう、と焦ってはいけない。今重要なのは、手を止めない事で自分の攻撃権を保つこと。
 この時点で受けられる事は問題ない、こちらが狙っているのは、相手が出来るだけ不利な体勢で受けた瞬間だからだ。
 攻撃側の剣は力の入りやすい角度から攻撃を被せていくのに対して、受ける側はそういう訳にいかない。いくら腕力に大きな差があったとしても、力の入りにくい角度で受けられた時なら、こちらが押しきれる可能性は高い。
 だから、裏刃で受けられたその時を狙って、シーグルは剣を一気に押す。そうすればワーナンであっても、一度剣を大きく体毎引かなくてはならなくなり、次の攻撃への対応はどうしても遅れる。そこへ出来る限りの速さで攻撃を入れれば、それで勝てる。
 ……とはいえ、攻撃手段も防御手段も、剣だけではない。

「惜しいな」

 ワーナンは足で、シーグルの胴を前から突き放すように蹴った。今まさに決定打をいれようとしていたシーグルの体は、その前に吹き飛ばされる。
 それでもどうにか後ろに自ら下がり、倒れる事だけは回避できた。

「それじゃ、今度はこちらからだ」

 シーグルは体勢を整えるのに精一杯で、自分から仕掛ける程の余裕はない。
 攻守が切り替わり、相手の剣を受ける為に構えた。

「受けろよっ」

 ワーナンの動きは驚く程速いという程でもなかった。
 ただし体の大きい分、一歩の踏み込みが大きく、その所為で最後の間合いは一瞬で詰められたように見える。その時に、大きな体を剣より前に押し出してくることで、剣の位置を一瞬見失うのが常だった。そこから体だけ引いて、剣が急に目の前に迫ってくる、その動きに毎回シーグルは対応が遅れる。

 けれども、同じだというのなら。

 彼の肩を見ただけで、剣が今どう構えられているのかは分かる。
 その位置にある剣を、力の入りやすい方へと――振るべき方向へ振ってくるのだというのなら、体に隠されても剣の軌道は予想が出来る。
 それが頭にイメージ出来れば、後は体は考えるまでもなく反応した。

 ワーナンの剣を、シーグルの剣が受ける。
 余り優位なポジションで受けていないから、すぐに弾いて距離を取るものの、初めてちゃんと受けられた事にシーグルは自分でも驚いていた。

「おめっとよ、出来んじゃねぇか」

 続いた2撃目も、やはりシーグルは受ける。更には次も、その次も。
 ただし、6回目の彼の攻撃を防いだところで力任せに体勢を崩され、その後勝負がついてはしまったが。

「まぁ、所詮人間の攻撃てのはな、狙ってくる場所は限られる。でなけりゃ逆に、狙ってくる場所をこちらで指定してやればいいんだ」
「どうすれば?」

 倒れたシーグルに近づいて来ながら、ワーナンは剣を腰に納める。

「そこは駆け引きだ。わざとらしく見えないように隙を作ってみるとかな。逆にわざとらしく見せて誘ったほうがいい場合もある」

 ワーナンがシーグルの腕を掴んで立ち上げさせる。

「どちらがいいんですか?」

 真剣に聞き返してくるシーグルに、ワーナンはにやにやと笑う。

「そらぁな、相手と状況によりけりだ。その判断をする為には……まぁ、経験だな。とにかくいろんな奴とやってみろ。自分より強いとか弱いとか考えず、いろんな人間と剣を合わせて、そのクセやら行動パターンやらを見るといい。違う人間には必ずその人間固有の何かがある、自分で考え付かないようなそれらを見るだけで、お前さんの中に積み重なっていくもんだ」

 従者となった騎士も、レガーも、祖父も、そして冒険者をしていたという父も、正統な騎士としての立場からシーグルに剣を教えてくれた。それは今のシーグルの礎となっているものの、それだけでは行き詰るという事もワーナンに教えを請うようになって察してはいた。だからこうして、彼のような全く違う立場の人間の見方を学ぶ事は、祖父に認められるほどの強さを手に入れる為に必要な事だとシーグルは思う。
 ワーナンはシーグルにとって、やはり尊敬すべき師である。
 例え、いかにも下賤の者と、屋敷にやってくる騎士達や使用人達に彼が疎ましそうな目で見られていても、彼の強さと、戦いに対する姿勢は、敬うべきだと思っていた。

 再び距離を取る為に離れるワーナンの背に、シーグルは自然と頭を下げる。
 だがその彼の足がふと止まり、シーグルを振り返った。

「あぁ、ただな……一つだけ言っとくと、お前、躊躇ったろ?」
「え?」

 驚いた様子のシーグルに、ワーナンは唇だけで笑う。

「ふん、無意識か。これだから育ちのいいおぼっちゃんは」

 シーグルにはその彼の言葉の意味が分からなかった。笑ってはいても、どこか昏い瞳で、ワーナンはシーグルを見つめていた。

「お前な、俺にあと一撃入れれば勝てるってとこで思い切れなかったろ。まぁ、人殺した事ないやつなら当然だがな。俺の剣が下がった時、迷う事なくトドメを刺せば、実はそのまま勝てたかもしれないぞ、お前」

 ――躊躇った、だろうか。
 今言われてもシーグルにはわからなかった。迷った、という自覚はなかった。

「タイミングがぎりぎり過ぎたからな、寸止め出来る余裕はなかった、だから入ればこっちが大怪我コースだったろうな。お前は直感でそう判断して、最後の一撃を入れる前に迷って、一瞬、腕動くのが遅れたんだよ」

 言われれば、それは違うと言い切れない。なにせシーグルははっきりと自覚している事がある。

「貴方に、怪我をさせる気はなかった、ので」

 ワーナンはそれを聞くと、突然大声で笑い出した。
 シーグルはまたあっけにとられて、彼を呆けたように見ている事しか出来なかった。

「あのなぁ、お前程度の強さでンなこと言ってると死ぬぞ。それ言っていいのはよっぽど馬鹿強くて余裕がある奴だ。――いいか、敵に情けは掛けるな、最低でも戦闘不能にするまでは迷うな、でなきゃ殺られる。敵対したら、いつでも殺すつもりでやれ」

 彼の目は確かに、本物の実戦を知っている者の目だった。本物の戦場を知って、生死のかかったやり取りの中で戦ってきた者の目だった。
 シーグルはぞくりと背筋を震わせた。
 そして思う、ワーナンのことを強いとシーグルが感じるのは、彼が実戦を経た上での、この覚悟のせいなのかもしれない、と。









――大丈夫かしら、シーグル様。
  あんな乱暴者がシーグル様の先生だなんて、旦那様は何を考えてらっしゃるの?
  あんな男とシーグル様を二人きりにしてるなんて、正気とは思えないわ。
  そうよ、どうしてレガー様がついてないの。

 こそこそと言い合っていた使用人の女達は、丁度のその話に出ていた本人である、ここの主の一番の部下の姿を見るとそそくさと立ち去る。
 そんな彼らに唇を皮肉げに歪めてから、レガーは溜め息をついた。

 本当に、正気とは思えない。
 我が主ながら、シルバスピナ卿の孫に対する扱いは酷いとしかいいようがなかった。

 レガー以外の使用人達は、主からの命で、シーグルには決められた事以上をしてはいけないし話してもいけない事になっていた。ここの主は、使用人達に理不尽な程酷い罰を与える事はないが、年老いて尚威圧感のある彼は皆に恐れられていた。それに何より、ここでの職を失いたくない使用人達は、いくらあの可愛そうな少年に同情的であっても、主の命を破る事はなかった。

 だから、シーグルはこの屋敷でいつも孤独だった。

 考えてもみれば、わがままでもなく大人しい、親と引き離された可愛そうな少年を、いくら無愛想だとはいってもそれだけで嫌う者はそうそうにいない。ましてや、愛嬌はなくても、好意を持つには十分の見目のよい子供である。使用人達からしてみれば、大抵の貴族や金持ちの子供がどれだけわがままで高圧的かを考えれば、いつでも『いい子』であるシーグルを褒めはしても嫌う理由はないのだ。辞めさせられた料理係りであっても、無理にでも食べようとして吐いているシーグルを知っているし、辞めることが決った時に申し訳なさそうに項垂れている姿を見ているから、恨んでいるという事はなかった。
 本当は皆、シーグルに優しい言葉を掛けてやりたいし、何かしてやりたいとは思っているのだ。
 けれども、それが禁止されているから、影からこっそり見ている事しか出来ない。シーグルの部屋係りの者が皆にその日のシーグルの様子を報告して、口々に心配や同情の言葉を言い合っているのをレガーは何度も見た事があった。
 そんな状況を見る度に、ここまでする必要はないではないか、とレガーは思う。
 シーグルは十分に、この家の跡取として、そしてこの街の領主として、立派な若者に育つだろう。騎士としても、細い体を補ってあまりあるだけの実力を努力で勝ち取っている。
 それでも、シルバスピナ卿はあの少年に情を向けようとしない。
 その理由をレガーは知ってはいても、この仕打ちは余りにも酷いとしか思えなかった。

 主が孫に、少しでも情を注いでやれば――別に特別可愛がらなくてもい、ただ普通に厳しい祖父として見守るだけでいいのだ。そうすれば、この屋敷にはもっと笑顔が溢れていた筈なのに。

 唐突に、下品とも言える男の笑い声が聞こえて、レガーはそちらに目をやる。
 無表情の下にいつも寂しさを隠していた少年が、いかにも粗野な男にぎこちなく笑い返す様を見て、彼は自分の胸を手で掴むように押さえた。





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次は不穏な空気が流れるまで。で、その次がエロ予定。しかし色気のない話が続くなぁ……。




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