最強の剣が迷う時
『7章:憎しみの剣が鈍る時』の中で、熱が出ているのに仕事に出たシーグルを無理矢理傭兵団に連れて来た時のお話



  【4】



 他の大規模傭兵断に比べて統制が取れているとは言っても、普通に冒険者としての仕事をする連中が集まる本館の方はにぎやかで、訓練場や本館一階は朝から晩まで人がうろついていて静かなんて言葉とは無縁ともいえる。
 対して西館は表に出られない者や情報活動の連中の為の場所だから、基本的にはいつでも静かで人の気配も少ない。こちらの庭はあまり訓練場として使う者もいなかったから敷地を囲う木だけを植えて放置してあったのだが、ロスクァールが来て彼の好きにさせていたらすっかり整備されて花や植木が整然と並ぶ貴族の庭園のようになっていた。
 勿体ないのはここにいる連中のほとんどがそんなものに興味がないものばかりだというところだが、それでもロスクァールの提案のままに薔薇園の中に東屋を建ててからは裏の連中との仕事のやりとりは大抵ここを使うようになった。それ以外でもセイネリアは気分転換に来ることも多く、少なくとも庭が整備されてからはここへ来る事が多くなったと思う。

――いや、あいつの事があってから特に増えたか。

 考えればシーグルに対する感情を自覚してからはここへ来るのが増えていたかもしれない。静寂が支配する中、セイネリアは目を閉じて考える。

――俺はあいつをどうしたいのだろうな。

 他人事のようにそう考えて自分の心に尋ねてみる。なにせこれが『愛』だと自覚したとはいっても、それがどんなモノであるのかセイネリア自身よく分かっていない。

 彼を、欲しいと思う。
 彼に、触れていたいと思う。
 彼に、求められたいと思う。
 彼の為なら、何でもしてやりたいと思う。
 彼に、何かあったらと思うと不安でたまらない。
 彼を、失いたくない。考えただけでそれが怖い。

 自問自答を並べてそれを分析してみても、自分が結局どうしたいのか、どうすればいいのかが分からない。彼の事を考えると、心が満たされる気持ちと、感情が軋むように藻掻き苦しむ感覚が同時に湧き上がる。それは確実に初めての感覚だ。
 そして自分の中の冷静な部分は、そんな自分に言ってくる。

 彼が、自分を求めてくる事はない。
 彼は、自分を憎んでいる。

 そして――もし、彼を手に入れられたとしても、彼を失う事は決まっている。

 それでも、おそらく、この感情こそが自分がずっと欲しかったものだというのをセイネリアは分かっていた。理性で出す思考だけで行動していた自分が、感情で行動してしまうこの感覚こそが人として『生きている』という事なのだと実感できる。感情を揺らす喜びも悲しみも苦しみも、その感覚すべてが愛おしくさえある程に今の自分は『生きている』事を実感できている。

 この傭兵団を作った後、個別で『契約』する部下を作る事にしたのは彼らの望み――自分の今後の人生と引き換えにしてもいいほどの望みというのが何なのか、それを知りたかったからというのがあった。自分の中にはない彼らのソレを知りたいが為に、手に入れたはいいが使い道のない力を使ってみる事にした。

 この願いの為なら自分のすべてを掛けていいと思う程の気持ち……それが今、自分の中にある。





 遠くにカン、カン、カンと短い鐘の音を聞いてセイネリアはゆっくりと目を開いた。これは団内の人間に時間を知らせるための鐘で、本館の見張り台から、リパ神殿の鐘のよりも細かい刻みで鳴らしている。今のは午前の中間の鐘だから、そろそろシーグルがくる筈だった。

――いつも通り、振る舞うのが一番いいんだろうが。

 そう考えてちくりと痛む胸に思わず自嘲の笑みが湧く。
 さんざん彼を弄んできた自分が『愛している』など今更言ったところで彼にとっては到底信じられる事ではないだろう。ならばいつも通り、彼を弄ぶ傲慢な男でいるべきだろう。自分の感情は見せるべきではない。
 東屋の椅子から庭を眺めていれば予想通りシーグルの姿が現れて、途端思わずセイネリアは唇をゆがめて目を細めた。彼の姿を追っていれば、最初庭に目を取られていた彼もこちらに気づいてその顔が強張る。一瞬、足を止めた彼だが思いなおすとこちらに向かって歩いてくる。見ているこちらの視線を受けても負けないように、こちらを睨み返す――その深い青の瞳が胸が熱くなる程に愛おしいと思った。

「まぁ、お前も座れ」

 声が聞こえるところまで近づいた彼にそう言えば、彼はこちらに警戒しながら距離を保ちつつ離れた椅子に向かう。そこで彼の目が逸れた一瞬の間にセイネリアは右腰から短剣を抜きながら立ち上がった。

「―――ッ」

 気配を察して振り向いたシーグルもまた、反射的に右腰から短剣を抜いてそれを受ける。

――反応自体は問題ない、か。

 ただし腕の力は落ちた、これは仕方ないだろう。カリンの話では彼はベッドから起きられるようになってからは人目のない時に軽い筋トレをしていたらしいが、もともと筋肉の付きにくい体だから落ちた筋力を取り戻すのには時間が掛かる。

「まぁ、反応はほぼ戻っているか」

 ただし、彼の瞳は変わらない。じっと自分の瞳をまっすぐ見据え、睨みつけてくるその気迫だけは衰えていない。
 その青というには濃すぎる色の瞳をじっと見つめて短剣同士を合わせて押し合う。とはいえいつまでもそうしている訳にもいかない。セイネリアはわずかに苦笑するとそのまま短剣を力づくで押して弾き、シーグルの体が離れると同時に彼に背を向けた。

 正当で真っ当な騎士である彼が、ここでこちらの背後を狙ってくる事はあり得ない。もしそうしてきたらそれはそれでどうにでもなるが、思った通り彼はそれで戦意をなくして剣を収めた。

「反応はまぁいいが、体は少し遅れたな、流石に鈍ったか」

 椅子に座って言えば、彼は憮然とした顔のまま椅子に座りながら言った。

「4日も寝るだけの生活を強要されたからな」
「確かにな」

 相変わらず目はこちらを睨んだままの彼を見て、セイネリアは笑って見せる。

「とりあえず及第点というところか」

 言えば彼は悔しそうに唇をかみしめてからこちらをやはり睨んでくる。その彼の瞳を傍で見ているだけで、こちらの中にどれだけの感情が満たされていくのか彼は知らないだろう。

「俺を、試したのか?」
「あぁ」

 それには今までこちらを睨んでいた彼の瞳が伏せられて、彼は暫く唇を強く閉じて黙ってからこちらを見ないまま呟くように言って来た。

「世話になった。……確かに、あのまま戦っていたのでは俺は無事仕事を済ませる事は出来なかった、だから、礼は言う」

 たとえ憎い相手だろうと、自分の事を正しく省(かえり)みて礼を告げる。その生真面目さと律儀さに笑いたくなる。

「それには及ばんさ、ここに置いてやった分の駄賃は先払いしてもらったからな」

 そう返せば彼の顔がかっと朱に染まる。
 屈辱に歯を噛みしめた彼は、それでも今回はこちらを非難してくる事ない。感情を必死に抑えようとする彼の姿がたまらなく愛しくて、触れたくて、セイネリアは彼がこちらを見ていないのをいいことにその姿をじっと見つめていた。

「……ともかく、約束だ、お前に会ったのだから俺を解放してくれるんだな」

 やがてやっと感情を抑えつけた彼はそれだけ言って立ち去ろうと椅子から腰を浮かせた。セイネリアはその姿を目で追ったまま口を開いた。

「まぁ待て、まだ話がある。ただの報告程度だがな」

 胡散臭げな視線をこちらに向けてから、シーグルはため息をついて少し迷った末にまた椅子に座り直した。

「前に、お前を襲った奴等がどうなったか、興味はないか?」
「どうなったんだ?」
「死んだぞ、3人共な」

 シーグルの表情が強張ってこちらを睨んでくる。

「……まさか、お前が?」
「俺が殺すならあの時殺しているだろ」

 睨んでくる青い瞳に心が揺れる。それを見せない為にセイネリアは声から感情を消す。

「俺がやったのは、奴等の依頼主の方を少し脅した程度だな。こちらに対して負い目がある部分を隠す為に、始末させたのはその依頼主だろう」
「それが、お前のやり方か」

 更に憎しみを込めて睨んでくる彼に、セイネリアは殊更冷酷そうに笑って見せた。

「そうだ。あいつ等の件で、依頼主だった方の奴に貸しと弱味を作ってやった、俺は敵をただ殺すような事はしない、利用出来る分は利用する」

 どこまでもお綺麗な思考のシーグルにとって自分の行動はさぞ汚く映る事だろう。ただ邪魔だから殺した、というよりもっと性質の悪い……けれどそれが自分のやり方なのだとセイネリアは彼に教えてやる。彼が自分に対して抱いている『理想の騎士』としての部分を砕くように、彼に『憎むべき男』の実態を教えてやる。

「汚い、と思うか。……俺は必要ならどんな汚い手でも使う。殺すべき時なら人殺しもする。ただ、大抵は殺さない、代わりに死ぬ以上の苦しみと、生き残るチャンスをやる。死んだ方がマシという状態を生き延びたのなら、そいつには生きるだけの価値があるんだろうよ」

 その言葉が含む意味を彼が正しく理解出来る事はない。ただ殺してやらない、殺すだけで許してなどやらない、死という安易な逃げ道だけで終わりにさせない――そう考えるセイネリア自身の状況を彼が知らない限り、彼に理解出来はしない。
 それを考えて、また胸が痛むのをセイネリアは我ながら愚かしいとは思ったが。
 自重に頭を冷やして、黙って何も言わなくなった彼にセイネリアは言葉を続けた。

「依頼主の方は、お前を攫うまでが依頼内容だった。だが、失敗した所為で奴等の一人が怪我を負ったろ、その所為でそいつはそいつに恨みがある人間に殺された。その復讐代わりに、連中はお前を攫うだけでなく犯した。おまけに直接俺を脅そうとまでした。依頼主にとっては、自分がそこまでさせた訳ではないと、俺に示さなくてはならなくなった」

 そこまで話して、こちらを見るシーグルの顔が困惑と……どこか不安を浮かべているのを見てセイネリアは苦笑する。

――こいつには俺が理解出来ない。それは当然だ、何を期待していた?

 我ながら彼をどうしたいのかが分からない。知らないのだから理解出来なくて当然の事を、分かってほしいなどと思っていたらしい自分の愚かさに呆れる。

「心配するな、あともう一つ話したらお前を解放してやる」

 あまりにも愚かすぎる自分には笑う事しか出来なくて思考はそこで止めるしかない。それから頭を切り替えて、訳が分からないという顔でこちらを見ている彼に、エレメンサの牙と爪――討伐の証拠となるそれが入った革袋を投げた。

「どういう事だ」

 彼は反射的に受け取りはしたものの、その中身を見て再び顔を顰めるとこちらを強い瞳で睨んできた。

「お前も気になっていたんだろ。お前の仕事だ。
 流石に4日も事務局に連絡なく放置して置く訳にはいかないだろうからな、こちらで始末しておいた」
「なら何故、これを俺に渡す。お前が始末したなら、お前が持っていけばいい」

 彼が怒るのは想定内だ。だが拒絶はさせない。
 セイネリアは威圧するように彼を見つめた。

「そんなものの評価や報酬を俺が欲しいと思うか。お前と友達ごっこをしてた時と今は違う」
「だがっ」

 咄嗟に否定をしたものの、ただ見つめるセイネリアの圧力に圧されて彼は口を閉じる。

「お前が仕事を完遂出来なかったのはこちらの所為ではある、だからお前がそれを受け取る権利は十分ある。ぐだぐだ言わずにそれを持っていけ、それとも……」

 我ながら、非道い人間だと自嘲しつつそれでもセイネリアはそれを口に出した。

「お前が、俺に、代わりにその仕事分の報酬を払うか?」

 セイネリアはシーグルの性格を知っている。自らの行動を反省し、憎む相手にさえ頭を下げる。どこまでも真面目で負けず嫌いな彼ならその問いにどう返してくるか分かっていた。
 そしてシーグルもまた、セイネリアがそう尋ねてくる事を分かっていた。分かっていて覚悟を決めた彼は真っすぐセイネリアを見返してくる。いつもの事だ――彼は、自分を明け渡す時ほど強くこちらを睨んでくる。体を渡しても心を守るための……それが彼の最後の抵抗だ。
 精一杯の意志を燃やしてこちらを睨んでくる青い瞳が愛しくて――欲しくて、大切で。けれど決して手に入らないそれを望む自分の愚かさを嗤ってセイネリアは彼の頬に手を伸ばした。

「お前が、このまま黙って袋を持って帰るか、それともその体で報酬を払って持ち帰るか、俺はどちらも強要しない、お前次第だ」

 いや、強要しているも同じだな――と頭の中で思いながら。彼の性格なら、こういえばどう返すか予想していて、そうして彼に屈辱でしかない言葉を吐かせる。

「俺は、お前に貸しを作る気はない」

 答えは予想通りで、それでも聞いた瞬間にセイネリアの感情は喜びを訴える。より嫌われるだろうと分かっていても、彼に拒絶させず彼を感じられる事を喜びとして受け取る。あり得ないと分かっていても、彼が大人しく自分を受け入れて感じてくれる事を願ってしまう。

「馬鹿な奴だ」

 それは彼に吐いた言葉だったのか、自分への言葉か。
 おそらくは両方で、この互いにとって救いようのない状況を嘲笑う事しか出来ない。抱かれる事で、彼は傷つき更に自分を憎むだろう。こんな方法で抱く事でしか彼を手に入れられない自分は、決して彼に受け入れられる事はないだろう。

 けれども、彼を欲しいと願うその感情と衝動は空っぽだった心を満たして、自分に生きる意味をくれる。今、自分は生きているのだと、血の通った心の感触を実感させてくれる。
 愚かでも無様でも、初めて手に入れた唯一のそれを捨てる事は出来なかった。



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本編7話の7,8回のセイネリアサイドのお話です。比べてみると面白いかも。



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