『7章:憎しみの剣が鈍る時』の中で、熱が出ているのに仕事に出たシーグルを無理矢理傭兵団に連れて来た時のお話 【6】 目を覚ました部屋の中、誰もいない事を確認してシーグルは軽く安堵の息を吐いた。 起き上がれば体中が地味に痛くて、とはいえ起き上がれない程酷い状況という訳ではなかった。かなり酷い抱かれ方をした割には体のダメージがそこまでではない事にはほっとしたが、起き上がりかけて下肢からどろりとこぼれるものを感じた時には思わず歯を噛み締める。 ベッドの下を見ればこちらの装備や服はまとめて置いてあって、その傍に体を拭けるように布と水を張ったボウルが置いてあった。一瞬それで体を拭くのは躊躇したが、やはり体の感触が気持ち悪くてそれを使う事にした。あの男がわざわざ用意したのかと一瞬思ったが、部下にさせたのだろう。 屋敷に帰ればちゃんと体を洗える。だから今は表面だけが拭えればいい。この体から出来るだけ彼の匂いが消せればいい。そう思っているのに、あの男の事を考えればどうしてもごしごしと強く体を擦ってしまいたくなる。赤くなった腕を見て、何をやっているんだなんて考えて、惨めな気分を味わうのは――彼に抱かれた後はいつもの事だ。そう、いつもの……負かされて、犯されて、自分の弱さを憎む……本当に変わらない、いつも通りの事だ。 けれどふと、自分が叫ぶ前に彼がしていた表情を思い出して――シーグルは思わずぞっとして自分で自分の体を抱きしめる。両腕を掴んで歯を噛み締めた。歯が鳴るのを聞いて自分が震えているのに気付いた。 ――忘れろ、忘れろ。 あんな顔をするセイネリア・クロッセスなんて知らない。彼があんな顔で自分を見る理由なんてない。 そう自分に言い聞かせているのに、考えれば次々と彼があんな顔をする理由を思い出してしまってシーグルはきつく目を閉じた。彼は自分を弄んでいるだけだ――そうでなくてはならない。 「ふざけるな、セイネリア……」 思わずつぶやいて、ここにいない男に毒づく。 自分をここまで貶めて、こんなに惨めな気分を味あわせておいて、今更そんな顔で自分を見るなんて……。 「ずるいだろ、貴様」 自らの腕を掻き抱いたまま、下を向いて、震える声でシーグルは吐き出した。 セイネリアが自分にしたことで彼に弁明の予知なんてない。友人のふりをして近づき、面白半分に自分を犯してきたことはどう考えても許されざる事だ。そのせいでシーグルのプライドはズタズタにされた。冒険者としてのシーグルの生活はめちゃくちゃにされた。シルバスピナを名乗ってから初めて友人を得て、限られた自由な時間を彼がすべて壊した。 「許す……ものか」 あの男は憎むべきもの、それでいい。 少し怠い体をそれでも動かして、シーグルはさっさと体に装備を纏う。ともかく、ここを出ていくための約束はすべて果たした。あとは一刻も早く去るだけだ。 そうして、装備を整えてから荷物を腰に括り付けるに至って……あの男が寄こしたエレメンサの牙と爪の入った袋を手に取った。 「本当に……随分と安い体になったものだ」 そう言って笑うくらいしか出来ない。もう自分を憐れむ気さえ失せた。 強くもない、誇りもない、自分の意思も通せない……一体、自分には何が残っているのだろうと思う。 それでも義務は残っている。それらを放り投げる訳にはいかない。 体はそこまできつい訳ではないのに、やけに重い足を一歩前に動かす。まるでここから出ていきたくないようだと我ながら思って、今更何を言っているんだと自問自答する。 広くない部屋はすぐドアにたどり着いて、シーグルはドアを開く。 だがそこに思ってもいない人影があってシーグルは驚いた。 「私がお送りします、シーグル様」 名はソフィアといっていたクーア神官の少女に、シーグルは一瞬、大きく目を見開いてから表情を和らげた。 「あぁ……ありがとう、ソフィア」 名を呼べば彼女は嬉しそうに笑って、こちらに手を伸ばしてくる。 「門まで転送します、お手を」 それで彼女の意図を理解したシーグルは、軽く腰を落とすと少女の手の上にそっと手を置いた。ほどなくして、風景が歪んだかと思えば切り替わっていてシーグルは同じ体勢のまま違う場所に立っていた。彼女が言った通りそこは門の前で、傭兵団の建物は後ろにあった。 「オニキス」 そこで、自分の馬を連れてくる者の姿が見えてシーグルはわずかに笑みを浮かべた。 この傭兵団の馬番なのか、手綱を渡されてシーグルは愛馬を撫でてやる。きちんと手入れをされていたらしく健康そうなその様子にほっとする。鞍も当日荷物として積んでいたものもちゃんとつけなおしてあった。 「ありがとう」 連れてきてくれた人物に礼を言うと、シーグルは馬に乗った。 それから馬の向きを門の外に向けてから、下で心配そうに見上げている少女に笑いかけた。 「君にも世話になった、ありがとう」 ソフィアはそれに笑ってくれたが、すぐに表情を曇らせる。シーグルがそれに少し眉を寄せると、クーア神官の少女はまた心配そうにこちらを見上げて言ってきた。 「あの……シーグルさまっ……お願いです、ご自身を大事になさってください」 シーグルはそれに肯定の返事を返せなかった。ただ、すまない、と呟いて馬を歩かせた。 久しぶりの自分の執務室は綺麗すぎるくらいにかたづいていて、セイネリアは椅子に座り、仕事をするでもなく机の上に足をあげて目を閉じていた。はたから見れば仮眠でも取っているように見えるだろうが、別に寝ている訳ではない。 ――望みを見る方が愚かだな。 意識を飛ばしそうになりながらも必死で睨みつけてきたシーグルの瞳を思い出す。どれだけ貶めても自分を睨み返すあの瞳を愛おしいと思う反面、彼からは拒絶しか返される事はないのだと改めて思えば自分を嗤う以外に出来る事はない。 そしてそう思えば思う程、彼を抱いていても悦びを感じなくなる。 あの肌に触れて彼の中に突き入れて雄の悦びを感じても、心はただ冷えていく。いつも通りの作業として熱を持つ体を見下ろし、自分の無様さを嗤う。まさに道化だ。彼を抱く事は極上の快楽であっても心はザクザクと剣で刺されるような痛みを伴う。それでも彼を欲しいと願う……まったく、オカシイとしか思えない。 そこで部屋の中に入ってきた小さな影の気配に、セイネリアは目を向けずに声だけで尋ねた。 「あいつは、行ったか?」 「はい」 クーア神官の少女は部屋に入ってすぐの場所に立ったまま返事を返した。 「爪と牙は持って行ったか?」 「はい」 「体調は問題なさそうだったか?」 「はい……普通に馬に乗ってらしたので大丈夫だと思います」 それだけを聞いてから、そうか、という呟きと共にセイネリアは目を開いた。 ある程度は気をつけたがさすがに無茶な抱き方をしたのは分かっていたから、部屋にやってきたラストとレストにもうしばらくシーグルを寝かせるように命令して、ロスクァールを呼んで治療をさせた。 なにせ体の回復をさせる為にここにおいたのに、また寝込む事態になっては意味がない。今度ばかりはどれだけ体がきつくてもシーグルなら意地でも帰ろうとするだろうから、せめて馬に乗って問題ないくらいにはしてやらなくてはならない。ただし、治し過ぎると不審に思うだろうというのがあるから、多少面倒だったが。 ――あいつは出来るだけ俺の世話になりたくないだろうしな。 考えて、苦笑して。そうして、部屋に入ってすぐの場所でこちらを心配そうに見ている少女に気付くと、今度は思い出したように聞いてみた。 「あいつは、お前には優しかったか?」 「……はい」 再び、そうか、と呟いてからセイネリアは皮肉と自嘲を唇に乗せる。 「ならいい。何かあった時に、お前の言う事なら聞くだろう」 少女はその言葉のニュアンスを正しく理解したようで、また悲しそうにこちらを見てくる。 「マスターの言う事は聞かない、という事でしょうか?」 育ちが育ちだからか人の機微に聡い少女なら、それだけで自分の役目を分かってくれる筈だった。 「そうだ、俺が助けようとしてもあいつは俺を頼らない。だが、お前が行けば素直に手を取るだろう。だからお前は俺の駒として有用なんだ」 少女の生きてきた道のりからして、シーグルに想いを抱いていても多くは望まないだろう。ただこの少女は自分に希望をくれたシーグルという存在を大切に思い、守りたいと願っているだけだ。根本は自分と同じともいえなくもない。 ――ただし、俺は拒絶しかされないが。 「マスターはそれでよいのですか?」 こんな子供に同情されるか――苦笑と共にセイネリアは返した。 「俺はあいつの信用も信頼も踏みにじっているからな、仕方ない。……だから、あいつを頼むぞ」 少し羨むように彼女を見つめれば、クーア神官の少女はそこで深く頭を下げた。 「はい」 彼に愛されなくてもいい、憎まれたままでもいい。自分の手を取ってくれないなら、彼が信用するだろう人物を使って助ければいい。どんな手をつかっても、誰を利用しても、彼を失う事が回避出来ればいい。 ただ、彼が彼として居てくれるならそれでいい。 そうすれば、自分の心に生まれたこの血の通った暖かさは消えないだろうから。 ……勿論、失えば待っているのは前以上の絶望だろうが。 --------------------------------------------- オニキスはシーグルの馬の名前。設定自体はずっとあったんですよ。 |