安曇野・廃村へ通じる県道は全面通行止

安曇野・廃村へ通じる県道は全面通行止 長野県美麻村高地


廃村 高地(こうち)に建つ離村記念碑です(平成11年建立)。



2005/8/7 美麻村高地

# 1-1
「廃村と過疎の風景(3)」のサブタイトルは「学校跡を有する廃村」ということで,従来よりもターゲットがはっきりしています。「学校跡を有する廃村」(略して「廃校廃村」)の全国調査は県単位,主に国会図書館で行いました。明確な線引きを避けるため,「高度過疎集落」もリストに含めました。
始まりは平成17年5月中旬,最初に調べたのは岐阜県と長野県です。選んだ理由は,足を運んだ「廃校廃村」の数が全国一多く(当時14か所),様子がわかりやすい岐阜県と,それほど足を運んだ「廃校廃村」の数がなく(当時3か所),様子がわかりにくい長野県を比べることで,見つけるための勘を養おうと思ったからです。

# 1-2
結果,5月下旬には岐阜県で38か所,長野県で17か所の「廃校廃村」を見出すことができました。平成12年の春頃には,全国のどこに廃村があるかほとんどわからなかったものですが,5年ほどでずいぶん変わったものです。県別リストは,7月末までに福井県,滋賀県,秋田県などがまとまり,総数は287か所,最終的には500〜600か所と予想しました。
「廃村(3)」のフィールドワークは,埼玉の地元 関東とその近辺(甲信越・東海)に絞り込むこととし,最初の旅は長野県,時期は8月のお盆休み前と決めました。場所は,いくつかの候補地の中から,特徴がある美麻村の高地と飯山市の堂平,沓津,堀越,北峠の5か所を訪ねることになりました。

# 1-3
美麻(Miasa)村は県北部 大町市の東側の小さな村で,人口は1,230人(H.17)。かつては麻の特産地だったとのこと。美麻村の廃村 高地(Kouchi)は,村の南東部,県道(小島信濃木崎停車場線)沿いにあり,大字高地に含まれる17の小集落(女生山,寒方地,品生,日影,日向,松合,和田,土口,曲尾,保屋,小米立,明賀,胡桃倉里,神出,屋敷平,桂,若栗)のすべてが廃村になったという特徴があります。
昭和46年の地形図では,標高700〜850mの山中に散らばっていたこれらの集落名は,平成15年の地形図ではほとんどなくなっていました。「すべてが廃村」という形態は,行政村の廃村と似ています。

# 1-4
はじめの一歩の信州・廃校廃村探訪の旅は,keiko(妻)との3泊4日のツーリングです。初日の8月6日(土)は,南浦和から群馬県上野村,十石峠,佐久経由,美麻村大塩の民宿「しずかの里」までの290km。天気はおおむね晴。宿は新しい住宅地の一角にありました。
大塩から分校跡がある高地の曲尾(Magario)までは約7km。バイクならば余裕の距離です。ただ,夜に宿のご主人(前川さん)に伺った話では,高地に向かう道は昨年秋の台風によるガケ崩れで通行止になっているとのこと。
翌2日目,8月7日(日)は早朝5時起き。朝霧の中「どこまでバイクで行けるかな?」と思いながら,5時半に単独で高地へと出発しました。

# 1-5
人気のない上り坂を走り,登りきったあたりには新しい神社があり,全面通行止の看板がありました。「バイクならば走れるだろう」と縄をくぐって進むと,100mほどで道が削られた箇所に重機が止められ,塞がれていました。地図で調べると,ここから曲尾までは約4km。しかたがないので,その先は歩いて行くことになりました。
バイクを置いた場所から10分くらい歩くと,道が大きく崩落した箇所に出くわしました。残った道の幅は狭いところでは1mほどしかなく,工事はまったく施されていません。谷底に向かって落ちたガードレールを見下ろすと,緊張感が走ります。


# 1-6
崩落箇所を過ぎると,なだらかな下りの道が続くのですが,長くクルマが通らない道にはコケが生えており,すべらないよう注意が必要です。霧の立つ緑が茂った道からの見晴らしはあまり利きません。
崩落箇所から20分ほどで,道から少し入った場所に廃屋を発見しました。しかし,地図を見ても何という村なのかはわかりません。お地蔵さんやいくつかの廃屋や土蔵を見ながらさらに20分ほど歩くと,保屋橋という橋があり,場所が特定できてホッと一息。保屋(Hoya)から曲尾はすぐそばです。6時半頃,曲尾橋を渡ると,右手に大きな石碑,左手に門が見え,無事分校跡に到達することができました。

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# 1-7
石碑の表には「ふるさとを偲ぶ」という題で集落ごとの戸数と出身者名,戦没者芳名,裏には「高地の郷」という題で地図と集落ごとの戸数が記されていました。また,横に並んだ別の碑には「記念碑建立要旨」が記されており,平成11年10月建立とありました。
碑によると,最大規模の集落は和田で14戸。次いで,寒方地と小米立が各11戸ですが,以下は9戸以下の小集落で,土口は1戸,日影は2戸,日向,明賀,胡桃倉里,神出,屋敷平,若栗は各3戸しかありません。17集落すべて足すと96戸でした。
要旨には「ふる里高地の灯を消して既に二十五年」と記されており,計算すると高地が廃村になったのは,昭和49年となります。

# 1-8
美麻南小学校高地分校は,へき地等級2級,児童数29名(S.34),閉校は昭和44年。閉ざされた門は往時の分校の入口で,乗り越えて坂を上ると分校跡の敷地を確認することができました。
昭和59年発行の道路地図には高地に温泉のマークがあり,気になっていたのですが,後に宿で「美麻村史」を調べると,それは分校跡を活用した「高地温泉保養センター」という公共の施設で,昭和46年に営業を開始したとありました。宿泊もできる施設でしたが,廃村の地には根付かず,昭和54年には閉鎖されました。経緯を知らなかったこともあり,その後も湧いていたという温泉の痕跡はわかりませんでした。


# 1-9
朝食時には戻る予定なので,ゆっくりとはできません。碑の地図によると,学校跡(曲尾,戸数9戸)から新しい神社の間にある廃村は,保屋(戸数6戸),神出(Jinde),桂(Katsura,戸数4戸)の3集落。途中,きちんとした脇道が確認できたのは,保屋から松合(戸数4戸)の方向に向かうダートの林道だけでした。
1時間少しかけてバイクを置いた場所まで戻り,新しい神社を確認すると「高地彰徳神社 平成15年5月建立」とありました。神社では地域の方と出会えたので,ご挨拶すると,県道とは別に曲尾まで歩ける山道があることを教えていただきました。

# 1-10
霧が立つ湿度の高い道を急ぎ気味で歩いたもので,8時ちょうどに宿に帰ったときには服は汗でにじんでいました。高地までの道のりはなかなか厳しく,早朝の単独行は正解でした。
この日の行程は,美麻「しずかの里」9時40分発で,鬼無里,戸隠,野尻湖経由,飯山市斑尾高原のペンション「タマの家」までの98km。天気はおおむね晴。鬼無里でおやきを買って,野尻湖でボートに乗りながら食べてのノリは,ツインのツーリングならではです。
「信州新町からの県道は曲尾まで通じているのかな」と思いついたのは,鬼無里でおやきを買った頃でした。

(追記1) 長野県美麻村は,平成18年1月,編入により大町市美麻となりました。おおむね平成16年から18年のうちに行われた平成の大合併,広域自治体はだいぶなじんできましたが,必ず旧市町村の名前も意識しています。

(追記2) 長野県美麻村高地は,平成25年8月の宮崎県西都市片内まで,足かけ9年(丸8年)続いた「廃村全県踏破」のはじめの一歩にもなりました。



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