遠州・廃村に出かけて学校跡に泊まろう(1)
遠州・廃村に出かけて学校跡に泊まろう(1)
静岡県浜松市天竜区小俣京丸,
______________________河内浦,門谷
廃村 門谷(かどたに)に残る分校跡の校舎の廊下です。
2007/5/12 浜松市天竜区(旧春野町)小俣京丸,(旧水窪町)河内浦,門谷
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# 17-1
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GW明けは,山では新緑が美しく,藪もまだそれほどではなく,暑くも寒くもない,廃村探索のベストシーズンです。目標は三遠南信(愛知県三河東部,静岡県遠州西部,長野県南伊那の総称)で,3泊4日のツーリング,keiko(妻)と一緒に行くというところまでは,新年の頃には決まっていました。
「どこに泊まるか」は旅の重要なポイントです。目標のルートには,ずいぶん前から泊まりたいと思っていた長野県旧高遠町荊口(Baraguchi)の旧荊口分校跡の建物を改装した宿「御宿分校館」があり,また,飯田市郊外の豊丘村の廃村 野田平(Notanohira)には,旧野田平分校跡に作られ,校舎や体育館に泊まることもできる「野田平キャンプ場」があります。宿泊施設への転用は,学校跡の建物の有効的な利用手段のひとつです。
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# 17-2
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「この際,もう1泊どこかの学校跡に泊まりたい」と思うのは自然の流れです。いろいろ考えた結果,平成13年夏に行って泊まれることを確認していた静岡県旧春野町石切の旧石切小学校跡「石切バンガロー和田」を使おうとなりました。回る順序は「最後は食事付きの宿がよい」ということで,石切−野田平−荊口となりました。浦和からだと,行きは東名の流れ,帰りは中央道の流れを使って南アルプスを時計周りに一周するルートになります。
石切から約14km先には分校があった廃村 小俣京丸(Omata-kyoumaru)があります。石切−野田平間には,その頃から行きたかった旧水窪町の廃村群(河内浦(Kouchiure)・峠・有本・大嵐(Oozore)・門谷(Kadotani))があります。静岡県(遠州)では6か所の廃村を回ることができます。
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# 17-3
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長野県に入って,野田平はそのものが廃村です。野田平−荊口間の中川村には,平成16年頃にネット仲間の廃猫さんから資料をいただいて以来気になっていた廃村 四徳(Shitoku)があります。さらに,荊口から約4km先には,平成6年夏のツーリングで偶然訪ねた廃村 芝平(Shibira)があります。芝平には,私が初めて撮影した廃村の校舎が残っており,再訪の楽しみもひとしおです。長野県(南信)でも3か所の廃校廃村を回ることができます。
かくして「廃村に出かけて学校跡に泊まろう」の企画がまとまったのは,GWの少し前。天気を気にしながら5日前頃に予約を取ったのですが,個人経営のバンガロー(石切),自治体が運営するキャンプ場(野田平),個人経営の宿(荊口)と,電話の感じにそれぞれ特徴が出ていました。
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# 17-4
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平成19年5月,「廃村に出かけて学校跡に泊まろう」ツーリング,初日(11日(金))の南浦和出発は朝8時35分。天気は快晴ですが,東に大きな低気圧があるためすごい風です。沼津まで高速に乗る予定で,首都高西新井宿ランプを入ったのですが,荒川を渡る橋で横風にあおられ「高速は無理」と判断。王子北ランプで首都高から出てからは,環七,R.246をつないでゆっくり走ることになりました。風はお昼過ぎに厚木を通るあたりまで強いままでした。
それでも山北町あたりからは,すっきりと富士山が見えて,よい感じになってきました。裾野ICから東名に入ったのは午後3時35分。「無事石切まで到達できるのか」,少々心配な時間となりましたが,富士川SAでしっかり休憩をして,「遅くなっても行きましょう」との方針を確認しました。
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# 17-5
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東名を焼津ICで出て,旧川根町家山の商店で買い出しをして,大井川沿いをさかのぼり,久保尾峠を越えるルートで石切を目指し,バンガローに到着したのは夜8時20分。ご主人とおかみさんが迎えてくれて,無事たどり着いた喜びを感じました。この日の走行距離は約300km。バンガローでコンロ,なべ,ふとんをお借りして,皿とコップは持ち込みです。ハードなツーリングの後,学校跡の宿で二人で食べるカレーうどんはすこぶる美味でした。
校舎は,事務室兼楽器の部品製作場(往時の職員室),炊事ができる小部屋,トイレ,宿泊室(往時の教室2つ分)からなり,二人で過ごすには持て余すほどの広さでしたが,夜空の星は見応えがありました。天井には,往時からのものと思われる東西南北を示す手書きの画用紙が貼られていました。
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# 17-6
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翌12日(土)の起床は朝5時20分。最初の目標 小俣京丸には,長いダートがあることもあり,日の出前に単独で出かけました。往時は4kmの山道で結ばれていた石切−小俣間は,今は車道で14kmです。昨夜も通った杉峰の尾根道を走り,岩岳山の登山道に続く林道(ダート)へ入ってすぐ,小俣の手前5kmほどの場所のゲートは閉ざされていました。クルマだと先は歩いて行かねばなりませんが,幸いバイクは横から入っていくことができました。
石切小学校小俣分校はへき地等級4級,児童数13名(S.34),閉校は昭和41年。小俣は現在無住の地で,残った大きな家も6年前に比べると朽ちた感じがします。分校跡の校舎は,スギ林の中にしっかり残っていましたが,訪ねたときはまだ陽が射す前で,教室ではコウモリに遭遇しました。
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# 17-7
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1時間弱探索した早朝の小俣は,誰にも出会いませんでしたが,もしも出会ったとすると緊張するに違いない,全く人気のない場所でした。
石切バンガローに戻ったのは7時40分。校庭には週に2日(水・土),2便だけ走るコミュニティバスが停まっていて,おばあさんが一人乗っていました。keikoと朝食を食べて,再び校庭に出ると,バンガローのおかみさんと山登りの方が話をしていました。山登りも今がベストシーズンのようです。
石切小学校はへき地等級3級,児童数62名(S.34),閉校は昭和45年。今の戸数は8戸ほど。道沿いでは,茶畑の手入れをされる地域の方の姿が見かけました。「人は少なくなったけれども,私は町で過ごすよりも生まれ育ったここで過ごすのが一番」というおかみさんの言葉が印象的でした。
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# 17-8
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のんびりと朝のひとときを過ごして石切を出発したのは9時50分。はみ出し区間になる旧水窪町峠・有本・大嵐に行くのは朝食の時点で断念しました。この日,ツーリングの道中で目指すのは,旧水窪町門桁(Kadogeta)・河内浦・門谷の3か所です。
石切川沿いの県道を下って,川との合流点からは気田川沿いの県道を上って,明神峡という渓谷を越えて,門桁に着いたのは10時35分。
水窪小学校門桁分校(のち門桁小学校)は,へき地等級4級,児童数77名(S.34),平成13年(2001年)より休校。門桁の戸数は今も35戸ほどあり,校舎も木造にRC造が連結された二階建てです。バイクを降りて学校の校庭を探索した後は,静かな集落内の坂を下って気田川の河原まで散歩しました。
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# 17-9
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「すごく綺麗な景色」とkeikoの評判もよかった門桁を出発して,天竜林道との交点と山住神社がある山住峠を越えて,河内浦に到着したのは11時50分。斜面の中にわずかに家屋が建つ小集落ですが,新しい公衆トイレや休業中ながら食事処があってびっくりです。
河内浦の戸数は4戸ですが,茶畑は手入れされており,家々は整っています。県道と斜面の上の家々との間には,荷物を運ぶための索道が設けられています。今の地図と古い地形図を比べると道筋が大きく変わっており,分校跡の場所の見当はつきません。農作業をしていた地域の方(年配の男性)が居たので,ご挨拶をして分校跡の場所を尋ねると,「県道を少し上って,カーブの手前の右手にあり,遊具が残っている」との返事を得ました。
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# 17-10
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お礼を言って県道を歩いて上ったのですが,その場所はただの斜面で,入っていく道は左手の鳥居がある場所にしかありません。
「見つけるのは厳しいかも」と思いながらも,根気よく目を配らせた結果,私は県道左手の林の中に錆びついた火の見やぐらを見つけました。ほぼ同時にkeikoが県道右手のスギ林の中にすべり台を見つけました。
すべり台は斜面を下った先にほんの小さく見えているだけで,裸眼で1.5の視力があるkeikoの目でなければ見つけられなかったかもしれません。斜面には道はありませんでしたが,keikoに見守られながら下って行くと,何とかすべり台がある分校跡の敷地までたどり着くことができました。
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# 17-11
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歩く道もないスギ林の中ですが,すべり台の横にはブランコも残っており,確かにここは分校跡に違いありません。校舎の痕跡はなく,他には石垣とストーブの残骸などが見当たるぐらいでした。帰り道,県道にはできるだけ斜面を斜めに上がって戻りました。
水窪小学校河内浦分校は,へき地等級1級,児童数26名(S.34),昭和44年休校の後,昭和45年閉校。校舎も記念碑もない分校跡ですが,「分校があったことを後世に示し続ける」と思うと,すべり台がとても愛しく感じられました。地域の方もそんな想いから遊具を残したのでしょうか。
1時間ほど河内浦を探索した後は,県道を5km下って水窪市街に出て,「道の駅 国盗り」の食堂(直売施設併設)で休憩がてらの昼食となりました。
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# 17-12
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続いて目指した門谷は,水窪市街から約15kmの山の中。道も県道ではなく林道(林道天竜川線,全線舗装)です。曲がりくねった林道をゆっくり走り,門谷にたどり着いたのは午後2時半頃。山の中にしては見晴らしがよく,農作業の方の姿もみられます。
小俣,河内浦とは異なり,門谷分校の記事はネット上に複数載っており,徳山村フィールドワークでご一緒したことのあるzinzinさんもレポートをまとめられています。「お堂の脇の階段を上って行く」というキーワードから「このあたりかな」とバイクを停めて,たどった狭い山道は途中崩落箇所があり焦りましたが,慎重にその箇所を越えて階段を登ると,数分で道の左手になじみのある分校跡の建物が姿を現しました。
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# 17-13
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水窪小学校門谷分校は,へき地等級2級,児童数12名(S.34),昭和44年休校の後,昭和45年閉校。門谷の戸数は1戸ですが,作業小屋などとして使われている家屋も多く残ります。広葉樹の林の中に隠れたような分校跡の校舎は,それほど傷んではおらず,往時の雰囲気を今に伝えていました。
整然と木の机が並んでいる教室の様子には,違和感を覚えるほどでした。30分ほど探索した昼下がりの門谷でも,地域の方とは出会いませんでした。
後に「水窪町史」を調べて水窪の分校について確認したら,門谷分校の項ではほとんど同じ雰囲気の校舎入口の写真が載っていました。keikoが「こんなところに灰皿が貼り付けてある」とチェックした入口上方には,もともとは飾りが施されていた様子でした。
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# 17-14
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ここまで(石切−門谷)の走行距離は約55km。残り(門谷−野田平)は約85km。夜はキャンプなので,途中,温泉を見つけて入っておかねばなりません。
石切バンガローのおかみさんから「長野県に入ってすぐの天龍村には,新しくてよい温泉がある」と話を聞いたことを宛にして,JR飯田線平岡駅手前のガソリンスタンドで温泉について尋ねてみると,「ふれあいステーション龍泉閣」という温泉・宿泊施設が平岡駅舎に併設されているとのこと。
温泉に入って一服したら,あとは頑張って野田平キャンプ場まで走るのみです。天竜川左岸の県道を走って泰阜村,飯田市(千代・下久堅),喬木村を抜けて豊丘村に入り,村役場近く(神稲)のコンビニで買い出しをして,キャンプ場に到着したのは,夜の帳も下りた午後7時頃でした。
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