海辺の廃村をめざして その2
海辺の廃村をめざして その2
長崎県奈留町葛島,小田
奈留島(夏井)から見た葛島です。ちょうど入江(相ノ浦湾)にふたをするように見えます。
2000/8/13 奈留町葛島,小田
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# 10-15
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小値賀島から奈留島へのフェリーは,博多−福江間のフェリー「太古」の寄港ということで,1日1便,片道のみ(奈留から小値賀のフェリーはないのです)。それも小値賀島発朝5時,奈留島着8時20分というとても不便な時刻の設定です。
フェリーは途中中通島(青方港),若松島(若松港)にも寄港しているのですが,ほとんど寝ていて記憶に残っていません。
奈留島の港(浦港)は,入江の奥にあって,周囲に集落が作られているので,小値賀島(笛吹港)に比べると賑やかな感じがします。朝8時半に浦の民宿「豊陽」に立ち寄り荷物を下ろし,目的地の無人島葛島(Kazurashima)にはどうやって行くか調べることになりました。
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# 10-16
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浦の海上タクシーの事務所で問い合わせたところ,海上タクシーは60人乗りの大きな船で,浦から葛島までは大回りになるので,島で1時間待つのを入れて15,000円とのこと。「葛島って何もないよ」と,事務所の方もオススメとは言えない様子です。
「考えます」といって港のほうを見ると,暑さの中,正装のおじさんの集団が海上タクシーで出かける地元選出の国会議員を見送っています。どうも,海上タクシーとはそんな使われ方か,大人数向けの乗り物のようです。
まずは葛島の方が集団移住したという樫木山に行こうとバイクを走らせると,「葛島建設」とか,それらしい名前が目に入ってきました。
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# 10-17
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島巡りで名高い本木修次さん著の「無人島が呼んでいる」に登場する葛島出身,樫木山在住の北川広さんを訪ねると,北川さん夫妻から快く島の話を伺うことができました。集団移転から27年経ち,往時の葛島の様子を知っているのは北川さんなど数人とのこと。
葛島出身の方が葛島に足を運ばれることはまったくないそうで,無人島化により,まるごと切り捨てられたようです。
「本木さんに会うことがあったらよろしく」と北川さんに送られて,相ノ浦湾の半島の両端の集落(水ノ浦,夏井)にバイクを走らせると,入江にふたをするような感じで葛島を見ることができました。本木さんは夏井から漁船をチャーターして葛島に渡られたとのことです。
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# 10-18
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夏井から遠命寺トンネルを抜けると,江上という集落があり,1998年に廃校になったばかりの小学校跡とエメラルドグリーンに塗られた木造の天主堂が建っていました。このあたりまで来ると島の中心(浦)からかなりの距離があり,ひなびた感じになってきます。
江上から久賀島(Hisakajima)沿いの海岸の道を行くと,ふだんクルマは通らないという雰囲気になり,江上から1kmほど進んだ小田(Oda)という集落は,驚いたことに廃村になっていました。バイクでたどり着いた海辺の廃村第1号です。バス停の表示も残っているのですが,もちろんバスが運行されている様子はなく,6軒くらいの家屋がひっそりと草に埋もれて佇んでいました。
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# 10-19
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途中ユーミン(当時荒井由実さん)が贈った校歌「瞳を閉じて」の歌碑があるという奈留高校を経由して浦に戻って昼食。いろいろ考えた結果,相ノ浦湾か船廻湾沿いの漁港で渡しを頼めそうな小型ボートを探そうということになり,船廻湾沿いの矢神にも足を運びました。
そして午後3時半頃,田岸でモーターボートを岸につけようとしたおじさんにお話した結果,乗せていただけることになりました。
7人乗りのモーターボートは,快適に相ノ浦湾を走り抜け,かなり沖合いに出ると,葛島の段々畑の跡の様子を目で見ることができました。10分くらいで到着した葛島の船着場には,泳ぎに来ている様子のグループのモーターボートがありました。
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# 10-20
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期待とともに上陸した葛島ですが,海岸沿いのわずかな平地を除くと道はすべて草木に埋もれていて,確かに何もありません。
かつて放牧していたウシが野生化したそうで,ウシのフンだけがなまめかしく転がっています。結局40分ほど散策して,見つけたものは屋根の骨組み程度しか残っていない廃屋と,コンクリートの牛の水飲み場の跡と,電柱の跡くらいでした。
船着場から左手の平地が小中学校の分校跡で,分校跡の建物が最後まで残っていたそうですが,台風でやられてしまったとのこと。
夕方に北川さんを再訪しておばあさんに聞いた話では,葛島の家屋は,山の斜面にぽつぽつと立っていたとのことです。
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# 10-21
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ところで,葛島には1997年に中国人が集団密航で上陸しています。モーターボートのおじさんに話を伺ったところ,手配屋が邪魔になった密航者を葛島に捨てたというのが真実だそうで,島を脱出しようとしておぼれて死んだ人もいるとのこと。ちょっとゾクっとする話ですね。
奈留島に帰ってからは,江上より先の大串という集落に行くと,お盆の頃ということで,賑やかな提灯がお墓に飾られていました。
夕暮れは,廃村小田でビールを飲みながら迎えていると,江上に住むというおじさんが私と同じく夕景を見に来ていていました。防波堤に座りながら,「昔の小田の浜は玉石でとても綺麗だった・・・」などのお話をしていると,とっぷり夕闇に包まれてしまいました。
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# 10-22
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「豊陽」の夕食は,アワビなどたくさんの海産物に大満足。朝にも寄った酒屋に出かけると,お姉さんは覚えてくれていて話が弾みます。
夜の静かな港では,ビールを片手に,なぜか後で行く端島に居たことがあるという精肉業のおじさんとバイクの話で盛りあがりました。
翌日(長崎5日目)の午前中は,前島と末津島の間のトンボロ(砂嘴)を見るため町営の渡船に乗りました。行ってみるとトンボロは砂ではなく玉石でできていて,ちょうど潮が引いた頃で,歩いて末津島まで渡ることができました。
奈留島とのお別れは,午後12時50分発の長崎行フェリー。「豊陽」には,1泊にして28時間もお世話になってしまいました。
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