びわ本舗
(株)ティー・エス・アイ
当社は「びわの葉療法」関連商品の全国総発売元です。
これまで30年以上にわたり、「びわ商品」一筋に取り組んできました。

枇杷(びわ)あれこれ


枇杷(ビワ)とは
ビワ(枇杷、学名: Eriobotrya japonica)は、バラ科(Rosaceae)ビワ属(Eriobotrya)に分類され、高さ10メートルほどにもなる広葉常緑の高木です。
同じバラ科に属する植物には、バラ、桜、梅などの花木や、桃、リンゴ、ナシなどの果樹があり、アーモンドのように種子が食用になるものもあります。
ビワ属は主に東南アジアの亜熱帯地域や温帯南部地域に原産していますが、わが国に原生しているものは全て「Eriobotrya japonica」で、果樹として栽培されている品種も同様です。
ビワの葉は濃い緑色で大きく、縦に長い舟形をしており、表面には艶があり、裏には細かな毛が密生しています。
ビワは秋から冬にかけて花が咲いて結実し、春になって気温が上昇すると共に大きくなり、初夏に熟するという大変珍しい果物で、やわらかな香りと上品な甘味、ソフトな舌触りが独特のおいしさをかもし出します。(右下の写真は12月初めに埼玉県内の公園で撮影したもの。ビワの花は見た目はとても地味ですが、香りがとても良いので、見かけたら嗅いでみてください)

ビワ栽培の歴史
果樹としてのビワは中国が原産とされ、中国で栽培されるようになったのは二千年以上前と言われます。
一方、日本における栽培の歴史はかなり新しく、本格的に栽培が始まったのは江戸時代末期から明治初期にかけてです。
それ以前にも、大阪府の旧止々呂美村(現在の箕面市)には「延元年間(1336〜1339)の或年のこと(箕面山滝安寺に)参拝の途中、山際に生えている枇杷の実を発見し、一株持ち帰って自庭に移植、山で食べた枇杷と同じような果実が実ったため、栽培するものが増えた」という記録が残っているそうです。
ビワが日本に古くから存在していたことは間違いなく、弥生時代中期以降の遺跡からヤマビワの遺物が発見されていますし、762年に記載された正倉院文書には当時の食用果実の中では最も安価であったとの記述があるそうです。
つまり、ビワは日本に古くから存在してはいたが食用果実として広く普及するには至らず、江戸時代になるまではほとんど栽培されていなかったということのようです。

ビワの二大品種
ビワは昔から和名がなく、枇杷の漢音をそのまま比波(ヒハ)としたことからも、日本には中国から伝来したとされてきました。
日本にも野生種がないわけではありませんが、果実が小さく、果形は円形もしくは楕円形で、栽培種のような卵形の果実は付けないようです。
日本で栽培されるビワの主な品種は二種類、東の「田中(たなか)」、西の「茂木(もぎ)」で、両品種とも日本の野生種の流れではなく、親は中国(唐)由来のものとされています。
江戸時代は、在来種(野生種)の果実が小さく円形のものを「ひわ」、中国から入ってきた大きく卵形の果実を付けるものを「びわ(唐ビワ)」と区別して いたそうです。
  • 茂木(もぎ)
    長崎に女中奉公していた三浦喜平次氏の妹シオ氏が、長崎出島より唐ビワの種を持ち帰り、畑(現在の長崎市北浦町)に播種したのが始まりと言われています。
  • 田中(たなか)
    植物学者・田中芳男氏が長崎に旅行した際、そこで出された「びわ」の種を持ち帰り、自宅の庭(東京都文京区本郷)に播種したものが第一世代といわれています。

ビワの種は大きすぎる?
ビワは種子が大きくて食べる部分(可食部)が少なく感じられます。
バナナのように皮を剥いて全部食べられたらよいのに、と思うことはありませんか?
でも、果肉部分が果実全体に占める割合を比べると、ビワの方がバナナより多いのです!
ビワの可食部分は果実の外側にありますので、見かけは少なく見えても実際の割合は多いのです。
それでも種なしビワの研究は今でも行われているようですが・・・。

ビワの種をまいて実がなるか?
おいしいビワを食べたら、種を捨てずに土に埋めてみようと考える方もおられるに違いありません。当社でもやってみました。案外簡単に芽が出てきました。
種から生えた木は「実生樹(みしょうじゅ)」と呼ばれますが、果実がなっていた親と同じように大きく、おいしい果実はできにくいもののようです。
そして何より問題なのは、実生樹は結実を始めるまでに長い年数を要するということ。
実際、当社の敷地内に生えたビワの木が実を付けるようになったのは十数年経ってからでした。果実も小ぶりですが、肥料もやらず、手入れもしていない割にはまあまあ美味しくいただけます。
自分の庭でビワを育て、果実も楽しみたいという方は、接ぎ木で作った苗木を購入して植えるのが一番でしょう。