本編最終話から騎士団に入る前のお話。 【2】 週末になって、とうとうサヴォアナ夫人の誕生日パーティーへ行く当日となった。 とりあえずシーグルは久しぶりとなるその手の席用の正装を着て、鏡に映る自分にうんざりしてから(何故だか着替えを手伝った侍女達はやたらと楽しそうだったが)、重い気持ちを振り切って部屋を出た。 「どーよ♪」 途端にそう声を掛けてきたのはウィア。 ただそう声を掛けてくるだけあって、今日の彼の姿はいつもと違う。 侍女の恰好をした彼は、やたら楽しそうにスカートの裾を持ち上げてくるりと一回ターンをしてみせてくれた。 「あぁ、似合う、とは思う」 ここは褒めていいところなのか、そうではないのか。ちょっと迷ったシーグルの声はぎこちなくなる。 「だろ? これならだーれも疑わないよなっ!」 そこで機嫌よくそう返されて、『あ、今のは褒めてよかったのか』とシーグルは思う。なにせウィアは自分は可愛いと自信満々に言う割りに、他人から可愛いと言われると怒るのだから、こういう場合にどう反応していいか困るのだ。 そして更に反応に困る人物が、隣の部屋のドアから出てきてシーグルは身構えた。 侍女達に褒められながら廊下へ現れた貴族女性らしいドレスの人物……それはフェゼントだった。 つまり、ウィアの考えた計画はこうだ。 ようはシーグルがダンスを断りやすい、もしくは女性陣がダンスに誘い難い状況であればいいのだから、ここはやはりパートナーを連れていくべきだろう。かといってこれから婚約者が決まる段階のシーグルが、立場的にも性格的にも誰かテキトーな女性を連れてきましたなんて出来る訳がない。という事で相手の設定は、シーグルがかつて世話になった方の娘さんで、更にここへ来る時に足を怪我してしまったという事にする。これならシーグルがその女性に付きっ切りになるのも仕方ない。そしてそういう役を頼めるような女友達がシーグルにいないだろうしフェゼントがやればいいじゃないか――という流れでこの計画が実行される事になったのだ。 ちなみにウィアはフェゼントの侍女役でついてくる事になっている。ラークも付いてくると言っていたが、丁度仕事が入ってしまったので彼はいない。それにはちょっとほっとしている。 とりあえずそんな訳で、頼める女性のアテが全くない訳でもないが、正直シーグルも誰か女性に頼むより兄相手の方が気が楽だというのもあって、フェゼントが了承した段階で自分も了承してしまった。 兄なら絶対ドレスを着れば女性に見える、という確信はシーグルもあったというのもあるが――それにしても。 「どうでしょう? その、やはり女性に見えますか?」 ドレス姿のフェゼントは、気を使って肩や首回りが露出しないようにしているせいもあるが……やはり、どうみても女性だった。そしてシーグルとしては特に、フェゼントがそういう女性の恰好をすればどうしても出てしまう言葉がある。 「あぁ……母さん、みたいだ」 ただ言ってからはっと気付いて口を手で覆う。兄は少なくともウィアと違って、女性に間違われる事はハッキリいつも嫌がっている。ただフェゼントはそれには一瞬、少し悲しそうな顔をしてから、すぐに笑って返してくれた。 「そうですか。でも母さんとは思わないでくださいね、貴方が人前で子供みたいに振る舞ったらヘンな噂が立ってしまいますから」 それでシーグルも思わず笑った。 「あぁ……気を付ける」 「だよなー、いやちょっと俺としては見てみたいけど気をつけろよっ」 ウィアが大笑いをしながら背中を叩いてくる。それでフェゼントも声を上げて笑う。こんなやりとりをして自然と笑い合えるのが幸せだとシーグルは思った。 サヴォアナ夫人の誕生日パーティ会場にて。 ウィアの予想と計画は我ながら完璧すぎて自画自賛出来るレベルだったのだが、困った事に非常に重大な想定外が起こってしまった。いや、何事も必ず想定外は起こるものだし、まぁ致命的ではないだろう多分と言えるレベルなので大丈夫だとは思うが。 まず、ヘタに誰か女性を頼まずフェゼントが女装してシーグルの相手役をするというのは、(ウィアがドレス姿のフェゼントをみたかったというのはこの際置いておいて)それならシーグルも落ち着いて丁寧に対応できるし、女性への気遣いも出来るシーグル様流石とシーグルの株も上がっていい事尽くしに違いないという意図があった訳だが……それは成功し過ぎて問題となった。 「何か飲み物をとってきましょうか?」 「はい、ではアルコールでないものを」 そうフェゼントに尋ねるシーグルの顔は優しい……っていうか優しすぎる。 対するフェゼントも微笑みかけて、2人して微笑み会う様子はいかにも『お似合いのお二人さん』というかどう見てもこいつら付き合ってるだろ、状態である。 「何か食べたいものがあるのなら取ってきますが?」 「食事は大丈夫です」 そこでフェゼントが少しシーグルを呼び寄せて耳元に囁いた。傍にいるウィアにはフェゼントが『ドレスが苦しくて食べるどころではないんです』と言っているのが分かるのだが、はたから見える状況は、女性側がシーグルにこそっと何かを言って二人して仲良さそうに笑っている、という絵だけである。 もちろんそんな状況でフェゼントの傍にべったりついているシーグルに対してダンスの誘いなんて出来るような図太い女性はいないが、周囲の視線が怖い、怖すぎるのだ。 シーグルはあの性格上、こういう席ではいつも仏頂面で冷たい拒絶オーラを出していたらしく、貴族のお嬢様方の彼に対するイメージは当然『無口無表情の冷たい方』となっていたらしい。しかもそれでとびきりの美形で由緒正しい旧貴族の跡取りとなれば、それはもう『高嶺の花』ならぬ『憧れの雲の上の方』と思われるのは当然だ。 で、そういう存在が等しく皆に冷たいのなら平和に収まるのだが、たった一人に別人のように笑いかけるとなれば大問題である。それが他の女性が皆納得できるような高位の女性とかならまだしも、もしくは正式な婚約者なら諦めがつくとして、ただの知人の娘でしかも地位も高くない(一応設定は地方貴族の騎士の娘)となれば納得しようがない。 シーグルとフェゼントが仲良さそうにすればするほど、フェゼントに嫉妬の怨念が向けられていくのがウィアには思いきり分かった。 ――いやー、相手がフェズだからそらシーグルは優しく気遣いしてくれるって思ってたけどさぁ……んー、この兄弟がやっと仲直り出来たところで今は一番浮かれてるとこってのを甘く見てたなぁ。 ともかく大の想定外は、シーグルの『兄さん大好き』の分かりやすさだ。言葉遣いはさすがに他人の女性に対するものにはしているが、やっと仲直りできたばかりというのもあって傍にいられるのがとにかく嬉しい、というのが駄々洩れである。 ウィアは笑っているシーグルも最近では見慣れてあまり気になってなかったが、対外的にはシーグルは、余程仲がいい仕事仲間くらいしか笑ったのを見た事がないというような人物だった。世のほとんどの人間にとってシーグルというのは、ウィアが初めて一緒に仕事をしたときに感じた彼のイメージそのままな筈だ。 いやーこれはまずいかなーと思いつつ、刺すような視線を向けているお嬢様軍団の方にそれとなく近づいてみれば、やっぱりなーという会話が聞こえてくる。 「なんなのあの娘、シーグル様にあんなに馴れ馴れしく」 「シーグル様は恩のある方の娘だからと気を使ってらっしゃるようですけれど、身の程というのを知るべきですわ」 「本来ならこんな席に呼ばれる筈もない田舎貴族の娘が舞い上がって見苦しい」 「普通怪我をしたなら辞退するところでは?」 「まるでシーグル様のお荷物になるために来たようですわね」 こうなるとウィアがいろいろ考えた設定も全部裏目に出る。 シーグルが傍を離れられないという事にするため+万が一でもフェゼントがダンスをしなくてはならない事態にならないために足を怪我しているなんて設定にしたが、当然ながら『怪我してるならそもそも来るんじゃない』と言われる訳で、更に女性陣のフェゼントへの視線がきつくなる。 幸い……ともいえるのは、当のフェゼントがドレス姿の大変さで余裕がないのと、シーグルに悪いと思ってそちらに気を取られているせいでこの嫉妬の怨念パワーに気がついていない事か。 『足は痛くない?』 『大丈夫です、足だけは殆ど見えないのでヒールは極力低い靴にしてもらいました』 すすす……と二人の傍に戻ればそんな他愛ない話をして二人ともニコニコしている訳で、真実を知っていればただの微笑ましい『仲良し兄弟』なのだが、他女性陣からみれば心穏やかな風景ではないのだろうなと思う。しかも二人とも外に聞かれるような会話がしにくいのもあってこそこそ耳打ちをしあっているのだから余計にマズイ、怪しいというか外野を煽り過ぎである。 『そうか。もし足が痛くなったら俺が支えるから』 『大丈夫ですよ、本当に』 ははは、まったく何をいちゃいちゃしてるんだか――なんて笑って言える状況ではないことは、この異様な空気でウィアには分かる。流石に良家のお嬢さん達がシーグルの見ている前で嫌がらせをしてくる事はないだろうが、学園モノだったらフェゼントの靴に針が仕込まれたりドレスが切り刻まれたりするパターンだろう。 ――うん、これは大失敗だ! なんだか力強くそう思ってしまったウィアだが、とりあえず今は傷を最小限に抑えるためにも速やかな撤退が必要だと考える。 そして少なくとも、この手は2度は絶対使えないなと判断せざる得なかった。 --------------------------------------------- いちゃいちゃ兄弟自覚なし(==。 |