【5】 豪奢な家具が並ぶ豪奢な部屋、けれど今のこの部屋の中の空気は重く、そこに揃っている面々の表情もそれぞれ顰められていた。 「そもそもセイネリア・クロッセスは故シルバスピナ卿の為に王を倒すと最初から言っていた。彼と故シルバスピナ卿との関係は有名な話ではあったし……あの頭の良い男のことだ、自分が王を倒してやるから代わりに自分のモノになれとでもいったのではないか? そもそもあの男が故シルバスピナ卿に対して本気で特別な感情を持っていたとしたらだ、みすみす処刑が行われるのを黙って見ていた筈はない」 本人は知らない事だが、このウルス卿の発言はただの憶測ではあるが殆どが正解であった。とはいえこの発言をしたウルス卿も、それに周りの者にしても同じ思いを持ってはいてもそれを確定させる証拠が何もないのだから結局彼らの中ではただの予想とせざる得ない。 「とは言ってもあの男でもミスをしない訳はないだろうし……あの頃あの男はアウグに交渉に行っていたという話ではなかったか?」 「ならそれはあり得たとしてだ、何もかもが怪しすぎだ。あのレイリースという男、故シルバスピナ卿から剣の指南を受けたと行っても腕がありすぎだろう。冒険者時代に仕事をしたことがあるという者は確かに真面目で熱心に鍛錬をする人物だったと言っていたが飛びぬけてすごいと言えるものはなかったとも言っていた。国を追われて4,5年、シルバスピナ卿に教わったのは一冬の間だけ、その後セイネリア・クロッセスに鍛えられたと考えてもそこまで一気に腕が上がるとは思えない。しかも剣の腕だけならまだしも、あのチュリアン卿を馬上槍試合で負かすのは無理としか考えられない」 ここで言っておくが、今回この会議の主催であり、この屋敷の主であるウルス卿は別に現政府に不満を持っている訳ではなかった。彼は前王までの時代の『宮廷貴族といえば互いの貶め合い』というような状況に嫌気がさして自分の領地に篭っていた人物であったし、シルバスピナ家の在り方には常々敬意を抱いていたから現王には絶対の忠誠を誓うつもりで首都にやってきていた。 ただ将軍セイネリアに関しては危ういものを感じていていて、正直その存在を疎ましく思っていた。……とにかく、いくら表舞台から姿を消しつつあるとしてもあの男の名が持つ力はあまりにも大きく、今でも彼が一言言えば議会は沈黙し、兵士は無条件で膝を折る。国王という頂点がいるというのにそれだけの力がある者が別に存在するという事はどう考えても危険である。セイネリア本人は王に忠誠を誓っていたとしても、人間というのは変わるものであるし、彼の後を継ぐものが地位を利用しないとは限らない。しかもまだ現王は幼い、将軍に懐いているところからして将来的に将軍の傀儡にする気ではないのか――貴族社会で生きて来た彼にはどうしてもその思いがぬぐえなかった。 だからもし、あの男の横に立つ人物が生きていた故シルバスピナ卿本人だとすれば――それを暴けさえすれば、幼い子供が矢面に立たされる事もなくなるし、摂政ロージェンティが将軍と下種な噂を流される事もなくなる、将軍自体も立場がなくなって完全に表舞台から降りるしかないだろうといい結果しかない。 そして何よりウルス卿も、数度見ただけの故シルバスピナ卿――シーグルに対して、彼は死ぬべきではなかった、彼がこの国の未来を導いていてくれたらという思いがある。もし彼が将軍の脅迫でその傍にいるというのなら助けだすべきだという気持ちがあった。 「……それでもこちらがおかしいと思っている事は全て、あり得ないと断言までは出来ないし、一応全部説明がつくのだ。レイリース・リッパーについて調べても一度死亡は確認されているがその確認をしたのは唯一の肉親であるエルラント・リッパーだけしかいない。彼が逃げた弟を助ける為に死体確認で偽ったと言っている以上辻褄があってしまう。決定的な何かがない限り、あの将軍を直接問いただすのは無理だろう」 ただどれだけ議論しても話は全てそれで終わる。この会議は前にもやっていて今回は一番人数が多くいろいろな意見が交わされたが、それでも結論はそこで終わってしまうのだ。 「それは分かっている、分かっているが……今回は今までとは少し違う。我々が疑うまでは今まで通りだが、今回はあの競技会を見ていた者達……特に騎士や兵士達の間でかなり噂が広まっている。これがこのまま大きく広がっていけば……」 「いくらあのセイネリア・クロッセスであっても黙っていて済むはずはない、か」 それがウルス卿の狙いだった。どこかの貴族が追及したところで、将軍が黙れといえばそれで話は終わってしまう。だが騎士団の一般兵達がこぞって騒ぎ出せば……多数の無名の者達の圧の方があの男には効果があるとウルス卿は考えていた。 「――と、言う訳でシーグル。お前が本当は死んだ筈のアルスオード・シルバスピナではないかという疑惑が貴族共だけではなく騎士団内で再燃している」 いつも通りの平穏な朝、城へ向かう馬車の中で聞いたその話にシーグルはまず顔を強張らせた。 「確かに……馬上槍は不味かったな」 あの時は月の勇者となってセイネリアと戦う事しか考えていなかったし、チュリアン卿との約束を果たしたいという思いもあって、それが先行して実はあまり後の事を深く考えていなかったとシーグルは反省する。 「それにやはり今の立場で、国王を頻繁に抱いているのは不自然だな……」 一応は毎回必ずセイネリアの指示を受けてからというカタチを取っているものの、言われればそれもおかしい事ではある。シーグルに我が子を抱かせてやろうというセイネリアの気遣いだと思っても、自分も辞退したほうが自然だったかと考える。 たが、話の内容の割りにセイネリアの顔を見れば緩めの笑みを浮かべていて、シーグルとしては事がそこまで深刻ではなさそうな気にもなった。 「何か、噂を収める策があるのか?」 だからそう聞いてしまったのは当然で、セイネリアもまたシーグルが思った通りの返事を返してきた。 「あぁ、お前が疑われるのなぞ分かっていたからな、その辺りは考えてある。お前はいつも通り、外に出る時は腕輪とネックレスを忘れないでいればそれでいい」 一体どんな手があるのだと思っても、セイネリアが自信満々に言うのだからそれはかなり確実性の高い手なのだろうと思うだけだ。シーグルの事に関して以外ならセイネリア・クロッセスが失敗する筈はないと、その信頼はシーグルの中で絶対的であった。 「今の状態で不味いのは、騎士団の下っ端連中が騒いでいるのを貴族達が部下を使って煽っているところだな。だから広がり過ぎないうちに煽ってる連中に止めさせるさ、心配するな」 それを本当に簡単に言ってくるのだからどんな手があるのかとシーグルは疑問に思う。だがそれでもセイネリアならどうにかするのだろうとそれで納得してしまう事に、やはり自分は彼に頼ってしまっているのだろうかと考えて……いやここは大人しく頼るべきだと自分に言い聞かせた。 城につけば、また国王は中庭で授業中だと言われて、セイネリアは案内を断って勝手に向かいだした。だが実際セイネリアの後をついて歩いていたシーグルは、主の歩いている道順が前回と違う事に気づいて疑問に思う。それでも城では誰が見ているか分からないから黙ってついて行けば、セイネリアは中庭どころかどんどん上へとのぼっていってとうとう城壁の上にまで来てしまった。 「こ、これは将軍閣下」 城壁に出てすぐにいた兵士が焦って礼を取る。それには片手を上げる事で返して、セイネリアは城壁の上の通路を進んでいく。そして見張りの兵から一定の距離を取ったところで足を止めると、シーグルに向き直って城壁に寄りかかった。 「下を見てみろ」 言われた通り視線を下におろして、それでシーグルは納得する。ここは丁度中庭を囲む城壁の上で、つまるところ下で剣の稽古しているシグネット達の様子が見えるのだ。どうりで通路の長さの割りに警備兵が多めにいると思ったとそこでシーグルは納得する。 「毎回授業の邪魔をするのは悪いしな、たまには勉強中の国王陛下を見るだけというのもいいだろう」 「……はい」 それだけを返して、下で授業中の彼らの姿を眺める。耳をすませばちゃんと声も聞こえて、だからシーグルはその音に意識をむけた。 「たぁっ、たぁっ、たぁっ」 この間と同じく小さな我が子は、一生懸命ぶんぶんと木刀を振っている。正直なところ型とか正確な体重移動とか基礎以前の問題ではあるが、現状はまず体力と筋力をつけるための訓練なのだろうと思う。 ただ、自分に似たのか負けず嫌いなのは確かなようで、振る型はめちゃくちゃであっても横で剣を振っているメルセンには負けまいと、彼の掛け声に遅れないように剣を振る速さだけはがんばっているのは感心した。 「根性はあるだろ……父親に似て」 それには兜の中で苦笑するくらいしか出来ないが、セイネリアが中庭の彼らを眺める瞳は仮面越しでもとても楽しそうで優し気で……きっと自分がいない間、こうしてここからシグネットを眺める事もあったのだろうとシーグルは思った。 「ではメルセン、私では物足りないと思いますが最後に軽く打ち合いましょうか」 「はいっ、お願いしますっ」 「陛下とアルヴァンは見ていてください。他人の動きをよく見る事も大切ですよ」 「はい」 「はいっ」 フェゼントの言葉に大声で返事を返して、シグネットはアルヴァンと一緒に少し下がって座り込む。けれどその目は真剣にフェゼントとメルセンを見つめていて、セイネリアの前での時のように自分もやりたいと駄々をこねる事はなかった。……つまり、セイネリアがいると甘えて言ってしまうのだろうと思って、随分シグネットには甘い将軍らしいとシーグルはちらとまたセイネリアを見た。 「本来なら、国王陛下は授業中はいつも大真面目で一生懸命だぞ、そこも父親によく似ているだろ」 視線に気づいた彼がそう返してきて、シーグルは軽く吹き出してしまってから通路内にいる兵士に気付かれなかっただろうかと視線を向ける。それでこちらを見ないようにしている彼らを確認して、安堵したのちにまた視線を下に向けた。 下ではメルセンとフェゼントが剣を合わせていた。ただもともとフェゼントの剣は受け流すのが基本だから、その様子は一方的にメルセンが打ち込んでフェゼントが受けているだけに見える。フェゼントはメルセンが打ち込む度に何か言っているが、そこは小さい声だからここでははっきり聞こえはしなかった。けれど、そのたびに『はい』と返事をするメルセンと、真剣な目で見たまま大きくうなずいたりしているシグネットを見て、フェゼントは割合人に教えるのが上手いのではないかと考えたりする。彼は厳しく怒らないが、その分笑顔のままプレッシャーを与えてくる事がある。そういうのはなかなか先生に向いているのではないだろうか。 暫く打ち合っていた二人だったが、やがてリパの大神殿からの鐘の音が聞こえてくると動きが止まる。鐘が鳴り終わればシグネットとアルヴァンも立ち上がって、メルセンと共に整列してフェゼントに頭を下げていた。 「ありがとうございましたっ」 そんな姿に目を細めてしまえば、城壁についていた腕を離したセイネリアがシーグルの方を見ていた。 「真面目で努力家で、自分より下の人間に感謝も謝罪もいう事が出来る。ついでに言えば父親に似ず甘え上手でな、城を逃げ回りながら内緒にしてねと声を掛けて歩くから女官や兵士達の人気者だ。あいつはきっといい王になるだろう」 それにはまたくすりと笑ってしまって、それからシーグルも兜の下で笑顔のまま答えた。 「確かに、そうですね」 セイネリアもそれで笑う。彼の場合は兜で完全に顔を隠している自分と違って目と隠されていない口元だけは分かるから、彼が本当に楽しそうに笑っているのがよく分かる。 「さて、折角城に来たのに会いに来なかったとなるとまた不貞腐れるからな、最後に挨拶程度はしていくとしよう」 そうして歩き出したセイネリアを、シーグルはまた追いかけた。 --------------------------------------------- セイネリアは結構シグネット甘やかしてますが、シーグルは普通に父親してたら甘やかさない厳しい父親タイプ。(でも厳しくしすぎると後でちょっと後悔したり心配になるタイプ) |