春と嵐を告げる来訪者




  【5】



 元は敵対していた国同士の権力中枢に近い者の結婚、といえば誰がどう見ても政略結婚な事は間違いないし、クリュースとアウグの立場的にも出て当然の話である。実際のところまだ子供過ぎる王への話がない分、未亡人であるロージェンティの夫にアウグの人間をという話も何度か出ていた。だがそれはクリュース側として、彼女の夫であるアウグの男が政治に入り込むのを危惧してとてもではないが了承出来ない、と言う話で今まで悉く潰れてきていた。ただしそれはロージェンティ本人の主張から始まっていて、皆がそれに説得させられたという事情もある。

――だから俺にお鉢が回ってきた、というのは分かるが。

 タニアにクリュースの街を案内する為の馬車の中で、セイネリアは考えた。

 実をいえば新政府発足直後は、ぜひ自分の娘を妻に、とセイネリアに言ってくる貴族は多かった。それらに全部脅しを掛けて断って、仮面をかぶってからは余計に恐れてその手の事を言い出す連中は国内ではいなくなった。
 アウグからもそれとなく何度か打診はあったが断って、それで今までは済んでいたのだが。

「何故突然、そんな話になったか、か」
「そうだ。政略結婚としてもクリュースと和平協定を結んでから既に6年だ、今更過ぎる」

 しかもタニアはまだ20歳で、公にされているセイネリアの年齢とは10以上違う。政略結婚の場合その程度の年齢差は珍しくないとはいえ、何故今更、というのは当然湧く疑問だ。

「そうだな……ハッキリ言えば今までは候補者が決まらなかったからだ。そこへ私が名乗り出た」
「成程」

 それは十分納得できる、だがそれなら。

「何故お前は名乗り出た。それだけ候補者が出なかったんだ、それ相応の噂があったんだろう、俺には」

 タニアはセイネリアの顔を見るときっぱりと即答した。

「それは単純に、さっさと自由になりたかったからだ」

 その言葉でセイネリは事情の半分程を察することができた。

「アウグの貴族の結婚は契約だ、跡取りを産みさえすれば後は自由になれる……だからか?」

 若い女領主はそれに開き直るように笑った。

「まぁ単純に言えばそれが第一だな、だがまぁ、見返してやりたかったのもある」
「誰をだ?」
「それはいわゆる後見人という奴らだ。女というだけでなく領主として私は若すぎるだろ。父上も兄達も……母上も早く死んでしまって私が家を継ぐしかなくなったんだが、それが決まったのが10歳の時の事でな。さすがにそんな子供をイキナリ当主という訳にはいかず、二人の叔父が後見人としてついたんだが……それで嫌な思いをたくさんした」

 正直なところ、セイネリアはアウグ社会のしくみについてそこまで詳しい訳ではない。レザやアウグ王から聞いた事と、あとはシーグルから聞いた話、それに必要だと思った事をラタに聞いた程度だ。

「女、だからか?」
「あぁそうだ、将来跡取りを産むだけの人形のような扱いでな。大切にしてくれたといえばしてくれたんだが、怪我をされたら自分たちの責任になるからと滅多に外さえ出して貰えなかった。……そんな私を不憫に思ったのか、レザ男爵は家にくると外へ連れていってくれてな。彼の戦場での武勇伝を聞くのがいつも楽しみだった」

 セイネリアは軽く唇を笑みに歪める。そうして彼女が言葉をつづけるより早く、彼女が言おうとしていた言葉を先に言った。

「そのレザの武勇伝が、クリュースと和平を結んでからはすっかり冒険者としての仕事の話になった、というところか」
「……そうだ、良く分かったな」
「あの男は単純すぎる、奴の行動などすぐ読める」

 タニアは歳相応の娘らしく無邪気に笑った。

「それだけじゃない、貴方の話もよく聞いたぞ」
「大半は悪口だろ」
「当たりだ、だがあのレザ男爵がそれでもハッキリ自分より強い、と貴方を認めていたんだ。我が国の英雄がだぞ」

 あの男はそういう男だ、というのをセイネリアは分かっている。どこまでも単純な武人でどこまでも価値観がぶれない、強い者は認める、裏はまったくない――だからこそシーグルにちょっかいを掛けていても友人扱いをして、毎回来るたびに将軍府に置いてやるのだ。

「男爵がしてくれる冒険者の話はそれはもう驚きの連続で、本当に聞いていて楽しくてな、私もクリュースに行ってみたいと思った。だから必死でクリュースの言葉を勉強した。そして20歳になって私が当主と名乗れるようになった時、勝手に夫を決めようとするだろう叔父たちが絶対に文句の言えない相手の名を出してそこに嫁ぐと言った訳だ」
「……それで俺か」
「そうだ、一石二鳥という奴だろう。おかげでこの国に来る事が出来た」

 あっけらかんと話す彼女は、レザに似て裏がまったくない。その性格は気持ちよいくらいで、もし傭兵時代だったら、結婚はなくとも契約をしてウチに置いてやろうかと持ち掛けたところだろうなと思う。

「お前の事情は理解した。だが結婚はしない、子が欲しいというのが目的なら一度でも抱く気はない」

 そうすれば彼女は呆れたようにため息をついて、窓の外を眺めると呟いた。

「お前は変わった男だな。それだけの力があるのに、何も残そうとは思わないのか」

 それは本当に呆れただけのただの素直な感想だったから、セイネリアは彼女に本心で答えた。

「あぁ、残そうなどとは思わない。別に俺の名など忘れられても構わん。本当に欲しモノが手に入って俺が満足出来ればそれでいい」

 言いながら思い出したその顔に、自然とセイネリアの口元が笑みを作る。
 仮面に隠れたこちらの顔をそれでも見ていたタニアだったが、ふと寂しげに笑うと彼女もまた呟いた。

「それが、貴方の側近であるあの者か」

 セイネリアは驚かなかった。

「あぁ、レザも言っていなかったか?」

 タニアはそこで思い出したように吹き出すと笑い出した。

「聞いた、聞いた、あのレザ男爵が振られたというのも面白いが、男爵の方はいまだに相当未練があるらしくて、それはもう情けない顔で愚痴と恨み事が延々と続いてな……まぁ私としてもそれほどの美形ならぜひ顔を見てみたいところ、だが」
「それはだめだ」
「あぁ、わかっている」

 タニアは笑っている。前もって聞いていたからだとは思っていたが、彼女はセイネリアに対して一度も顔を見せろといってきていない。レザから多少の事情は聞いているのだろうが果たしてどこまで知っているのか……セイネリアは一応聞いてみる。

「そういえばお前は俺の顔を見せろとは一度も言わないな」
「まぁな、どうせ言っても見せてくれないのだろ?」
「顔を見ないまま結婚するつもりだったのか」
「それでも構わないぞ、寝る時は明かりをすべて消せばいい」
「別人と入れ替わってたらどうする気だ」
「そんなのすぐわかる、貴方の気配とその目は他人がなり替われるものではないだろ」

 まだ成人したばかりの女領主は笑みを崩さない。この度胸の据わり方は相当のものだと、セイネリアも認めないわけにはいかなかった。

 ……確かに、状況を整理してみれば、セイネリアについてはアウグではおそらく化け物か悪魔のように語られていてもおかしくない。アウグ王としては独身のセイネリアにアウグの女を娶ってもらおうと候補を探していたのだろうが、いくら強い者を選ぶアウグの女とはいえセイネリアの噂を聞いて名乗り出る者はいなかったのだろう。
 それを自ら志願したのだから並大抵の度胸と覚悟では来ていないのは当然ではある。

「まったく……女にしておくのは惜しいな」

 思わず漏れた笑みとともにそう呟けば、彼女は嬉しそうに笑った後、少し寂しそうに笑った。

「貴方の場合、それは誉め言葉なのだろう。……本当に、男に生まれていればよかったとは思うが」

 寂しそうに少しの諦めを浮かばせながらも瞳の強さを失わず、遠くを見る彼女の横顔はどこかシーグルと重なる。おそらく、課せられた役目を果たすために自分の望みを捨ててきた彼と彼女は似ているところがあるのだろう。
 だからこそ、彼女を無視してさっさと追い出すことができなかったのだろうとセイネリアは思う。彼女のことを気に入っているのは、考え方と瞳の強さが彼に似ているからだろうと。

 ただ……願うならば、彼も彼女の半分でもいいからこの手の積極性があればいいのに、と思ってしまうのは贅沢だろうか。



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 タニアさん側の事情編。
 



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