将軍府の人々
シーグルとセイネリア以外がメインの将軍府の日常話



  【3】



 エルの仕事はセイネリアのサポート、である。それ自体は冒険者としてパーティーで動いていた時も、傭兵団の時も、そして将軍府になってからも変わらない。絶対的なトップであるセイネリアが睨みを利かせて方針を決定し、それに伴った細かいやりとりや準備はエルが手配する、というのがお約束だ。
 なにせセイネリアは存在が強烈過ぎて、一般人は基本的に怖がって話にならない。だから間にエルが入って、下の者や外部の者とのやりとりの橋渡しをしなくてはならない。

 ……という事で、今まではやってきたわけだが。

 シーグル、つまりレイリースの存在が出来た事でエルの事情は大分変わった。今までなら直であの男とやりとしなくてはならなかった事の大半がレイリースにすればよくなった。レイリースは自分と違ってあの男とガチで言い合いが出来る上に、最終的にあの男の方が心情的には勝てないのだから話が早いしいろいろスムーズに進む。勿論まだエルが直でセイネリアと交渉しなくてはならない場合もそれなりにあるが、難航しそうな場合はレイリースがついてくれるから前に比べたらとんでもなく気が楽だ。
 まぁ勿論、楽になった分物理的な仕事量が増やされた訳で、元団員の愚痴と騎士団からの要望を聞いて、外部業者の手配や交渉をやって、更に事務仕事……なんて状態は結構きつい。

 それでもまぁ、それらが死ぬ程忙しかったのは新政府発足からの数年くらいで、工事や組織組み換えがある程度落ち着けばそこまでではなくなった。……こちらの慣れもあるだろうが。
 なので現状、エルが突発的に忙しくなる時は――レイリースとセイネリアがちょっと喧嘩した時くらいだ。

「まったく……どうしてあいつはあんなに我慢が出来ないんだ」

 いつも通りのレイリースの愚痴に、エルはまたかよと思いつつも苦笑するしかない。

「いやー、思いっきり我慢してると思うぞ。我慢してなきゃ仕事全部おっぽりだして即お前連れてどっか行っちまってるだろ」

 それを言われるとレイリースもぐっと言葉に詰まる。シグネット王が成人したら彼ら二人は旅に出る――というのは元傭兵団の幹部連中は皆知っている事だ。セイネリアは権力に興味も未練もないから、大人しくここにいて将軍様の仕事をやっているのがそもそも我慢していると言える。それは全部レイリースの頼みだから――とそれが分かっているから、レイリース本人はそれを言えば文句が言えなくなる。

「そう言われればその通りだが……その、なんというか……あいつは精力がありすぎというか、すぐそういう手が出るというか……もう少し節度を持ってもらいたいんだが」
「いやー、そう言ってもなぁ、あいつが冒険者時代から娼館巡りしてたのは有名な話だしなぁ。一日で3、4件はしごしてた事もあるらしいし、宿がない時はずっと女のとこ転がり込んでたし。あいつ基準だと好きなのが傍にいたらあれこれちょっかい出すのは普通なんだろうよ、きっと」
「勘弁してくれ……」

 レイリースはうんざりとした顔をして顔を手で覆う。
 うん、気の毒だがあの精力魔人はあれが普通だ――割と禁欲的な生活をしていてそっち方面の欲が薄いレイリースがアレの相手をする事になった不幸に同情はするがあの男を完全に止められる訳がない、とエルは思う。

「いやでもよ、どうしてそんな嫌なんだよ。あいつ上手いし、気持ちいーだろ。」
「仕事に支障が出る」
「いやでもどうしてもきついって時はあいつに責任押し付けて寝てりゃいいじゃねーか。自分の所為なら無理矢理どうにかすんだろ」
「そんな事で仕事を放りだせるか」
「いーじゃねぇか、元凶が上司なんだからあいつに責任押し付けろよ」

 この真面目さは異常だろ、と思うくらいだがそこまで性的な事を彼が嫌がる理由もエルにはちょっと分からなかったりする。いや、昔はそりゃ性的に嫌な事をされまくっていたから嫌悪感が先行しても仕方なかっただろうが、今は愛し合ってる相手との事であるのだからそこまで嫌がらなくてもいいんじゃね、とエルとしては思うのだ。

「そんな理由で義務を放棄するのは嫌だ」

 エルは口元がひくっと引きつるのを感じた。いやなんだこの真面目っていうか自分への厳しさは。

「いくら気持ち良くても……そんなのに溺れる自分も嫌だ」

 えーとえーと、これはどういう理論なんだ。真面目っていうか……あぁこりゃプライドが高い訳かとエルはそこでやっとちょっと彼の気持ちが分かった。というか、あの男を前にしてそこまでプライドを保てる彼には感心する。……うんまぁこんな彼だからセイネリアが愛しくて仕方ないんだろう……なんてことまで納得する。

「で、でも以前はそれだけの勢いでヤりまくってた奴がさ、今は(ほぼ)お前だけだから週に2,3回だけなんだろ? そりゃー溜まるってぇのも分かってやれよ」

 それでもちょっとセイネリアに同情してフォローすれば、レイリ―スはまた真顔でこちらを見て言ってくる。

「そもそも普通は毎日やるものじゃないだろ?!」
「んー、毎日は普通じゃねぇかもしれねぇけどよ、前に聞いた時はあいつにとってセックスは食事みたいなもんだと言ってたしなぁ」
「食事……」
「そそ、毎日の日課というか習慣というか、今晩は何食うかなーくらいのノリで相手決めてたらしいし」

 レイリースは更に大きくため息をついて頭を抱えた。まぁ気持ちは分かる……のだが。

「……そんなに溜まってるなら、別に他で発散させて来てくれてもいいんだが」

 呟いたソレにはエルの笑みもちょっと引きつる。セイネリアもセイネリアでおかしいが、この結論を出すレイリースもかなり感覚がおかしい。

「いやーそりゃ、好きでたまらない人間が傍にいりゃ、普通はそっちに手を出すもンだろ」
「あいつの体力に付き合ってられるか。溜まってるだけなら外で出して来ればいいんだ」

 いやーそれって普通レイリースの立場として絶対言わねぇ台詞だろ。だってレイリースもマスターのこと愛してる訳で、それでその相手が他人とヤってたら裏切りだ浮気だって怒るのが普通じゃね?――等々とエルの頭の中ではいろいろつっこみの言葉がぐるぐる回っている訳で、こういう時にこの二人の関係が分からなくなる。
 初めて他人を愛してそれに一直線なセイネリアの恋愛観もかなりおかしいが、まともに結婚経験もあるくせに、『そっちの好きなだけヤるのは付き合いきれないから外でヤってこい』と言えるシーグルの恋愛観も相当ズレてる。

「あー……いやだってさ、お前嫌じゃないのか? 恋人が他人と寝てるのなんてさ」

 とエルが聞けば、シーグルはやっぱり真顔で言ってくれる。

「誰と誰が恋人だというんだ。別に俺はあいつの恋人じゃないだろ」

 今度は頭を抱えるのはエルの方で、同情したくなるのはレイリースに対してではなくセイネリアの方になる。なんていうか男として、まさに全身全霊を掛けて愛してる相手にこれ言われたらショックだろうなと同情で涙を誘うくらいだ。

「んじゃ何なんだよ、互いに思い合ってるなら恋人でいいじゃねぇか」

 シーグルはそれで眉を寄せて、少し考えてから声にだす。

「あえて言うならパートナー……だろうか。あいつには俺が必要で、俺にはあいつが必要だ。ともかく、共に生きるためにいなくてはならない相手だ」

 それにはちょっとエルは驚いた。そしてまた、やっぱりこの青年はどこまでも心が綺麗なんだと改めて感心したりした。相当ひどい目に会って、相当に苦労して、相当に厳しい決断をして生きてきた筈なのにどうしてここまでスレないのか。ちょっとこれは奇跡レベルじゃね、なんて思うくらいだ。

 ここまで綺麗過ぎる人間と、どろどろの陰謀劇を操って娼婦街で生きてきたような人間の組み合わせはどうなんだと思うところだが、ここまでこじれにこじれた過去を知っているから――まぁ後は双方にがんばれという事しか出来なかった。





 あぁ面倒くせぇ――と思いながらエルは将軍の執務室へ向かって歩く。基本的にエルの仕事は将軍補佐で、特別枠がレイリースの兄としての相談役だが、だからと言ってこういう時にレイリースだけをどうにかしてやればいい訳ではない。

「ったく、あんたも懲りないな。レイリースが愚痴ってたぞ、この精力魔人め」

 偉そうに椅子に座っている男に言えば、傭兵団時代ならいつでも全部想定済みだという態度で話していた男は、不機嫌そうに足を机に上げて言ってくる。

「あいつがクソ真面目すぎるだけだ」

 知らない人間がみたら怯えて逃げるその態度も、付き合いの長いエルにはどちらかというと拗ねているのだというのが分かってちょっと楽しい。まったく、この男がこんなガキっぽい反応するんだから世の中ってのは分からないものだ、としみじみ思う。

「まぁそりゃ否定しねぇけどさ、うん、たしかにあいつの真面目さは異常だな」
「俺に自制しろと言いまくるが、あいつの場合は自制しすぎだ」
「あー……やー……そう、だな。でもそれがレイリースだし、そういう性格だから仕方ねぇんじゃないか? あんただってさ、そういう性格も込みでレイリースの事愛してンだろ?」

 と、そう言えば誰からも恐れられる将軍様が黙って顔を顰めるのだからおもしろい。なんていうか、傭兵団時代からするとやたらと人間臭くなったこの男と話すのは嫌いじゃなかった。

「……あいつはお前になんて愚痴ってた?」

 レイリースが喧嘩した後はこちらに愚痴る、というのは当たり前だがセイネリアの想定通りで、だからこちらもわざわざ呼ばれる前にそれを話しにこの男のところへきている。

「いつも通りだよ。どうして我慢が出来ないんだ、とさ」
「俺は十分我慢しているんだがな」
「言っといたぜ、以前は娼館をはしごするのが当たり前の化け物だったんだから、毎日じゃなくなって溜まってるんだ、てな」
「怒っていたか?」
「そこもいつも通り、うんざりした顔してた。そんなに溜まってるなら外で発散させてこい、てさ」

 そうすれば益々セイネリアは唇を曲げて、不機嫌そうに眉を寄せた。エルは思わず笑ってしまう。

「何だよ、そこは日ごろの行い的にあんたが怒れるとこじゃねぇだろ?」

 この男を自分が揶揄えるような日がくるとは思わなかったと、にやにやと笑いながらエルは思って――いや、かつてはこんな会話もしていたなと思い出す。
 今ではすっかりセイネリアを主としてそういう風に接する事に慣れていたが、出会った当初はそうではなく、セイネリアと自分はただの友達だった筈だった。あの頃からこの男はとんでもない化け物でこっちはいいように振り回されていたが、少なくとも互いの立場は対等だった。かつては彼の事を『相棒』と呼んでいたなとそう考えれば、今そう呼べる人物はあの綺麗な青年だけなのだとそう実感して――少しだけ寂しく、そして申し訳なく感じる。

「んでだ、恋人が他人と寝てたら嫌じゃないのかってきいたらさ、レイリースの奴、あんたは恋人じゃないって言う訳だ」

 益々不機嫌そうに空気を苛立たせる男にはもう声を出して笑ってしまって、けれど軽く咳払いをしてから彼にその続きを話してやる。

「恋人じゃないならなんなんだって聞いたらさ、パートナーだってさ。あんたには自分が必要で、自分にはあんたが必要で、ともかく、共に生きるためにいなくてはならない相手……だそうだ」

 言えばセイネリアは不機嫌だったその空気を散らして、少し考えた後に僅かに笑みを浮かべた。




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 エルの立場は大変です。
 



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