揺れる心と喧騒の街

※この文中には性的表現が含まれています。読む場合は了解の上でお願いいたします。



  【7】



 クリュース南の港街、アッシセグの空は、目に痛い程青く輝いている。

『結局……俺の行動はいつもお前の掌の上か』
『そう言うな。……俺は俺で……お前がいないところでいつでもお前に踊らされているんだ』

 椅子に寄りかかって、窓越しの空を見ていたセイネリアは、愚かすぎる程その通りだと、自分の言った言葉を思い出して唇を歪ませた。
 それから視線を下ろし、掌をじっと見つめて、この手に触れていた彼の感触を思い出す、あの時の感情を思い出す――あの時の、幸福感を思い出す。
 瞳を閉じれば唇が自然と緩やかな笑みを浮かべ、身体中を満たしていく温かい感覚に身を委ねる。
 まったく、幸福というのは余りにも耐えがたい麻薬のようだと――そう考えながらも、幸福な一時の夢を頭の中に思い浮かべる事を止められない。




 久しぶりに触れた彼の体は前のまま、固く、細く、ちゃんと鍛えてあるくせに腕の中で壊してしまいそうな気分になる。
 贅肉の一切ない体はどれだけ僅かな反応でも筋肉の動きが見えてしまうから、その度に彼が感じているのがすぐに分かる。意地っ張りな口と違って正直な体は反応が分かりやす過ぎて、却って耐えようとするその顔が酷く愛しく見えて困るのだ。
 手で触れる肌の感触はしっとりと滑らかで、けれどもよく見れば細かい傷があちこちにある。自分の記憶にない傷を見つければそれだけで心の中に小さな波風が立つものの、そこを舌で触れて、なぞって、その感触と場所を頭の中に刻み込めば安堵する。出来るだけ彼の隅々まで触れて、彼の隅々までを覚えておけるように、彼の全てを自分のものと出来るように、触れる感触全てを掌と記憶に刻んでいく。

「お前……何をべたべた触ってるんだ?」

 投げ出されていた彼の腕を、セイネリアが肩から掌まで何度もなぞるように手で撫ぜていると、青い瞳が不機嫌そうに睨んできた。

「しかもやたらと嬉しそうに」
「それは当然、嬉しいからな」

 言いながらセイネリアは笑う。シーグルの頬は僅かに赤味を帯びて、眉間は更に嫌そうに顰められた。

「愛してる、シーグル」

 けれども彼はそう告げると、やはり表情を沈ませる。
 そのまま、顔さえも俯かせてしまおうとするから、セイネリアはその顔を手で支えて上げさせて、そうしてからまた笑った。

「今こうしているのは、お前にとっては何度も抱かれた内の一回なのかもしれないが、俺にとっては初めてお前を本当に抱けたんだ。昨夜は俺も余裕がなさ過ぎたからな、だから今、じっくり味わうのは当然だろう?」

 それに、昨夜は暗かったから、最中は彼をじっくり見る事も出来なかった。そこまでは言わずにじっと顔を見つめれば、青い瞳が大きく見開かれて、そうしてまた嫌そうに顰められる。

「味わう、て……その言い方はやめろ、あからさま過ぎる」

 本当に、明るい朝の光の中では、彼の体は勿論、その顔、表情の変化がよく見える。
 赤くなった彼の顔をじっと見つめながら、セイネリアは喉を震わせて笑い声を上げた。

「ならどういえばいいんだ? 少し上品に堪能する、とでもいえばいいか?」
「俺は料理か?」
「不満があるなら代わりの言葉を言え、次からはそう言ってやる」

 それにやはり思い切り顔を顰めた後、シーグルは気づいたように急に視線を逸らした。

「次、か……」

 あぁしまったな、とセイネリアは思った。本音を抑えきれなかったらしい。
 きっとシーグルは、次の事など考えてはいない。彼の性格上、次の事を考えたら、おそらくこうして大人しく抱かれてくれはしない。彼は『今』だからこそ、こうして自分を受け入れただけなのだ。
 セイネリアは知っている。
 例えシーグルが自分を欲しいと言ってくれても、よしんば、セイネリアを愛してくれていたとしても。それが彼自身の望みであればあるだけ、彼はそれを選ばない。自分に課された責任の為、義務の為、他人の為――それらを全部優先させて、自分の望みを最後にする。シーグルはそういう人間だ。
 それを忌々しくも思いながらも、それもまた、彼の強さの一つであることを知っているから、セイネリアはそれを否定できない。何度壊れそうになっても、諦めようとしても、彼は課された責任と、誰かの為に踏みとどまる。奈落の底に全てを委ねて堕ちていかずに済んでいる。

 セイネリアにとって、唯一、心を注ぐ存在は、多くの愛する人がいて、その人々の為に生きている。

 もし彼が自分を愛してくれたなら、問答無用で奪って閉じ込めてしまうのにと、そう、思っていた時期もあった。けれどもそうしてさえ、彼はセイネリアを選びはせずに壊れていくだろうと気づいてしまった。
 セイネリアが愛するシーグルという存在は、彼に課せられた責任と立場と、彼が愛する人々の中にあってこそ成り立っている。それら全てを捨ててセイネリアの腕の中に収まれば、彼は彼でいられなくなる。

 だから、手放すしかない。
 だから、次がある事を信じて、彼に別れを告げるしかない。

 なんという情けなくも無様な姿だ、と思う部分があっても、そんな今を嘲笑う気にはなれなかった。
 彼の事を想う時の苦しさと、触れた時の喜びは、心の底から自分の感情を揺さぶり、生きている事を実感させてくれる。例え苦しみもがいても、想いと感情は心を確かに満たしてくれる。望むものなど何もなく、心に何もなかった時に比べれば、この感覚は何にも代え難いものだった。

「シーグル、覚えておけ。俺は、お前だけを愛してるんだ」

 セイネリアは、それにシーグルが口を開き掛ける前に、その唇を塞ぐ。
 今、セイネリアに出来る事は、どれだけ彼を愛しているのか、それを彼に伝える事だけだった。少しでも彼が自分を忘れないように、少しでも彼が自分を選ぶように、ただ、どれだけ彼が自分にとって大切で必要なのかを伝える事だけしか出来なかった。決して自分を選んでくれないだろうと分かっていても、それだけしか出来る事がなかった。

「セイ、ネリ……ア」

 唇を離して耳元に顔を埋めれば、彼の匂いを感じる事が出来る。幼い頃からケルンの実で食事を誤魔化してきたシーグル故の、独特の微かに甘い匂い。その匂いをもっと強く感じたくて、彼の髪に鼻を押し込んで、体を彼の上に乗せて力を抜き、体と体の表面を密着させるように合わせる。

「……重い」
「だろうな」

 予想通りの答えが返ってきて、それが楽しくてセイネリアは笑った。笑った自分の体の振動が彼の肌にまで伝っていくのが分かって、それがまた嬉しかった。

「おいセイネリア、何をしてるんだ。……やるなら……早くしろ」

 彼が顔を赤くしながら、恨みがましい目で睨みつけてきて、セイネリアは笑みを収める。

「なんだ、早く欲しいのか?」

 わざと軽く言えば、彼の顔が更に赤く染まって、眉がつり上がり、口が声より先に大きく開いた。

「ばっ……時間的な問題だ。ここで長引いて、湯浴みする時間がなくなるのだけは嫌だからなっ」
「確かにな、あまり時間はない」

 赤くなって怒鳴ってくるシーグルの顔にまた笑いそうになりながら、セイネリアは殊更さらりと返した。だが、頭の中で少し考えて、睨みつけてくる顔を見ながら、思いついた言葉を口に出してみる。

「もう一度、俺を欲しいと言ってくれるなら、さっさと終わらせてやってもいい」
「……何言ってるんだ、お前は」

 瞬間呆けたように止まった彼の顔が、言葉を返すと共に急激に明らかな怒りの表情に変わる。

「あまり調子に乗りすぎるな」

 きつい青の瞳が更につり上がって、セイネリアの顔を睨んでくる。厄介な事にセイネリアにとっては、快感に耐えて震える時の彼と同じくらい、こうして強い瞳で睨んでくる彼の顔が愛しくてたまらないのだ。
 だから、笑うしかない。
 自分の愚かさを嘲笑う心と、彼に対するこの感情を愛おしいと思う心に。

――いつまでもこうしていられればいいものを。

 恋に浮かれた愚か者が願う、ありふれたそんな言葉が頭の中に浮かぶ。まったく、自分は相当おかしくなっているらしい、と思いながらも、それが幸福であるのだからどうしようもない。
 睨んでくる青い瞳に吸い込まれるように、彼の唇に唇を合わせる。拒まずに受け入れてくれるそれが嬉しくて、もっと彼を感じたくて深く彼の口腔内を探る。互いの舌と舌、唇と唇の隙間を粘膜で埋めて、まるで互いの肉がとけあうように密着させる。
 それでもまだ、こんなに心が飢えているのは、これが今だけの事だと分かっているからだ。
 どんなに今、彼という存在を感じたところで、もうすぐ手放さなければならない事をセイネリアは知っていたから。

「セイネリア?」

 唇を離した後、なにも言わずただ顔をじっと見ているだけだったセイネリアを不審に思ったのか、シーグルが背を浮かし、いぶかしそうな顔をしてのぞき込んで来る。
 セイネリアは僅かに口元だけに自嘲を浮かべると、その彼の体をベッドに押しつけるようにして、再び噛みつくように口づけた。

「ン……ンンっ」

 流石にそんな強引な事をすれば、塞いだ口の中でシーグルが抗議してきて、体を引きはがそうと暴れ出す。だからセイネリアは引き離そうと押してきた手をベッドに押しつけて、その手をずらして指と指を絡ませ、掌を組んだ。頭を完全にベッドに預けている彼の顔を、上から更に押しつけるように唇を押しつける。口の中を好きに舌でかき混ぜれば、いつしか彼の体からは力がぬけ、代わりに組んでいる掌を握り返してくる力が強くなる。

 唇を離して、見下ろした彼の瞳はどこか虚ろで、視点の定まらないその中に自分の姿だけが映っている事にセイネリアは安堵した。

「今回はもう言わなくてもいい、俺の方が抑えられそうにないからな」

 僅かに口元に乗せた微笑みのまま、彼にそう囁いて、セイネリアはシーグルの足を持ち上げた。

「あ……っつ」

 キスの余韻が残る声を緊張させて、シーグルの瞳が見開かれる。汗ばむ彼の額に唇で一度触れてから、セイネリアは彼の中に自分の肉を埋めていく。

「くぅ、ぅあ、ぁ、ぁ」

 ぶるぶると震える手が、セイネリアの腕を掴んで握り締める。シーグルの瞳はまだ少しだけ意識がぼやけたままで、そのせいか快楽の色が濃く表情に浮かんでいた。

「愛してる、シーグル」

 快楽と苦痛がないまぜになった顔の彼に言えば、深い青の瞳がはっきり見つめてくる。辛そうに顔をしかめながらも、シーグルの瞳がじっと自分を見つめてくるのを見て、セイネリアは体以上に心が昂ぶっていくのを感じていた。
 だから、再び彼に口づけて。そのまま唇をずらして、彼の顔の表面をなぞって、目元にこぼれていた彼の涙を吸い取る。震える瞼にも口づけて、鼻で前髪をかき分けて額に触れる。
 少し体を動かしたせいで、中で動いた自分のものにシーグルの肉が反応する。反射的に締め付けてくるその感触に思わず唇をつり上げてから、セイネリアは腰を緩く動かした。

「う……ん」

 肩をあげて大きく息をついたシーグルをみて、セイネリアはまた彼の唇に口づける。塞がれるのを嫌がって顔を背けたそれを追って、彼の唇に食らいつく。それでも諦めずに、彼は唇をずらそうとする。

「ぁ……この、いい加減に……し、ろ」

 苦しそうなその声が耳のすぐ傍で聞こえて、ぞくりとセイネリアは背筋を震わせた。

「あぁ、いい加減にするさ」

 自分のその反応に自嘲の笑みを浮かべて、セイネリアは上半身を軽く浮かせると、本格的に抽送を始める事にした。

「う、あ、あぁ、ぁ、ぁっ」

 深く中を抉る度にあがる彼の声を心地よく聞きながら、少しづつ動きを早くしていく。掌を組んだままの手を上から強くベッドに押し付けて、強く、強く、彼の中を突き上げる。彼の奥深くを感じて、返してくる肉壁の蠢く感触を感じて、掠れた彼の悲鳴のような喘ぎ声を聞いて、心も体も限界まで昂ぶっていく。

 おそらく、今回、彼を感じられるのはこれが最後。
 次はいつか分からない。次は、来ないかもしれない。

「ふぁ、うあ、ぁぁぁ、ぁ……」

 注がれたその感触に、シーグルの体全体がびくびくと震える。
 その声を唇で覆って止めると、セイネリアは彼の体をベッドが沈む程強く押さえつけ、深い部分にある自分の雄を更に彼の深くへと押し付けた。
 ただただ、彼を強く、確かに感じたいと、今のセイネリアが願う事はそれだけだった。

「はな、せ。くる、しい」

 達してからも暫くそのまま彼を感じていれば、すっかり自分の下で体から力が抜けているシーグルが口だけで抗議してくる。

「嫌ならお前がどかしてみろ」
「お前、それが出来ないのが分かっていていっているだろ」
「まぁな」

 くくっと喉から笑えば、シーグルの体に途端、緊張したように力が入る。

「ばか……うご、かすな」

 辛そうに下を向いた彼を見下ろして、そうしてセイネリアは彼の上から退いてやる。抜かれた瞬間には低く呻いた彼だったが、触れていた肌が離れるとほっとしたように安堵の息を吐いた。
 セイネリアは、そんな彼の横に寝ころがりながら、ベッドに背をつけて大きく体を伸ばした。

「さて、約束通り湯浴みさせてやろうか?」
「……少し、休憩させろ」
「いいさ、もう少しくらいなら時間はある」

 少しすれば彼の寝息が聞こえて、セイネリアは彼を起こさないように静かに起き上がった。
 自分に対して背を向けて寝ているシーグルの顔は見えない。けれども、規則正しく聞こえる寝息を聞きながら、セイネリアはその銀色の髪の毛に手を伸ばした。

「少し、髪が伸びたか?」

 だが、声を掛けても彼は起きない。
 その髪を軽く梳いて、セイネリアは手を彼の頬に置く。けれどもそこで、セイネリアの表情が凍りついた。

――冷たい。

 先程まで確かに彼の体温を感じていたのだから、こんな事はあり得ない。
 何が起こったのか理解出来ずに、セイネリアは彼の体を引いてその顔を見ようとする。
 抵抗もなく、仰向けになる彼の顔。それでも開からない彼の瞳。
 触れる彼の体はどこも冷たく、ぴくりとも動かない。つい先ほどまで、規則正しく聞こえていた寝息も、いつの間にか聞こえなくなっていた。
 セイネリアは急いでその胸に耳を寄せ、彼の鼓動を確認する。けれども、何も聞こえない。それでもセイネリアは、彼の冷たい胸に必死で耳を押し付けた。
 顔を上げれば、シーグルの顔からは完全に生気が消え、白い肌はセイネリアの触れている場所から全身へと広がるように土気色に変色していく。
 やがて彼の顔は、目が落ち窪み、頬がこけ、肌ががさがさに乾いてしわがれて行く。まるで死体が土へと帰っていく様を早送りで見せられたような、そんな光景をセイネリアはなすすべもなく見ている事しか出来なかった。

「――ッ」

 歯を噛みしめたまま覚醒して、セイネリアは目を見開いた。
 冷たい汗が体を濡らし、荒い息をつく。
 震える手を目の前に持ち上げて握りしめ、その腕で額の汗を拭ってから、自分の顔を覆う。

「声までは出さずに済んだか」

 荒い息のまま、口元を無理に歪ませて、セイネリアは安堵の息を付いた。

「気が緩みすぎていたな」

 幸せな時を思い出している内に、どうやら寝てしまっていたらしい。
 なんとも間抜けな話だと思いながら、手で顔を覆ったまま、セイネリアは乾いた笑い声を上げて笑った。

「ボス、どうかしましたか?」

 ドアが開いて入ってきたカリンを確認して、やっとセイネリアは顔を覆っていた手をおろすと、顔を笑みに歪ませたまま彼女に振り返った。

「何でもない。少しうたたねをしていたらしい」

 それで事情を察したカリンは、自分の方が辛そうに眉を顰めるとそのまま頭を下げる。
 セイネリアは、一度軽く目を閉じて息を落ち着かせると、薄く目を開いて視線を机の横に向けた。
 そうして、黒一色で作られた剣を見つめると、その唇に僅かに自重の笑みをうかべた。

「カリン」
「え? あ、はい」

 唐突にセイネリアが呼んだ事で、らしくなく彼女は驚いたように返事を返す。

「次にまた魔法ギルドの連中が話をしたいと言って来たら、今度は受けると言っておけ」

 その言葉に、彼女の顔は更に驚きの表情を浮かべた。

「よろしいのですか?」
「あぁ」

 それでもやはり、信じられないとでもいうように困惑している様子のカリンを見て、セイネリアは彼女の顔を見て笑ってやる。

「何、少し向うの出方を見てやろうかと思ってな。前とは状況が変わった分、あいつらも言いたい事が多少増えたろうからな」




---------------------------------------------

折角の幸せなHを最後でアレにしてしまってすいません。この話は次回で終了です。




Back   Next


Menu   Top