運命と決断の岐路




  【12】



 そこは、戦場だった。
 土煙に霞む視界の中、人々の怒声があちこちで響いている。
 足音と悲鳴が聞こえて、正面からやってきた兵士達が必死の形相で自分の横を走りぬけていく。
 その、彼らの逃げてきた先、土煙が薄れていけば、その中には一人の騎士のシルエットが浮かびあがる。沢山の刃物に刺された、かつては銀色だった鎧を自らの血で真っ赤に染めた姿の中、項垂れて動かないその頭から兜が落ちる。

――あぁ、これは夢だ。夢だというのは分かっているとも。

 現れた顔が、彼であることなど分かっていた。
 銀色の髪は赤く染まり、白い容貌さえ赤い血で塗りつぶされて、べったりと血で張り付いた睫毛はもはやも動く事がない。
 彼の細い体には無数の武器が突き刺さり、立っているというよりも武器で地面に串刺しにされているという状態だった。
 言葉も分からぬ蛮族達が、彼の死体の周りで戦勝の雄叫びを上げている。
 その中の一人が剣を振り上げ、もう動く事がない彼の首目掛けて剣を振り下ろす。

 セイネリアの足元に、かつて彼の一部であったものがごろりと落ちた。
 何よりも大切で愛しい彼の、表情の消えた顔がただの肉塊となってそこに在る。

「――――ッウ」

 目が覚めた途端、セイネリアは目に見えた暗闇をただ凝視した。
 それから目が慣れて、見慣れた天井の模様が見えてくると、彼は安堵の息を付いた。
 片手で顔を覆って、唇を自嘲に歪める。
 そうしてから、顔の上にある手に指輪が確実に存在している事を確認して、その指輪を唇でゆっくりとなぞった。

「本当に、随分と女々しい」

 我ながらどれだけ怖いのだと自分に問い掛けて、また目を閉じる。

 セイネリアの元へ、陣に籠もったクリュース軍の現状が伝えられて来たのは、シーグルが丁度ばかばかしい会議に呆れていた頃、つまり柵の中に逃げ込んで敵が一度退いたその日の夜だった。
 ここまでは、大方セイネリアの読みの通りではある。
 数日前の戦いでクリュース軍が勝ったのは、アウグ側が蛮族達を制御しやすくする為にわざと好きなようにやらせて負けさせたとも考えられる。実際、最初の戦闘と今回の戦闘では、蛮族達の動きは別物に近い程、連携と規律のとれたきちんとした軍隊としての動きとなっていたらしい。
 やはり戦争慣れしているところは違うか、とセイネリアは思う。伊達に何年も掛けて蛮族達を操ろうとしてきた訳ではないというところだろうとも。――そう、理性は当たり前に現実を受け入れて考えられるのに、感情はあれだけ覚悟していても少しも平穏になどなれない。彼が無事だとそれを指輪で確信して、どうにか暴れ出しそうな感情を押さえていられる程度だ。
 まったく、どれだけ臆病になったのか。
 何度自嘲してもしきれない、それほどまでに自分は彼を想う時どこまでも弱くなる。この手の中に彼がいないだけで不安で不安でたまらなくなる。
 目の前に自分の手を広げてかざし、その指にはめられた彼の命の印を見てセイネリアは力なく笑う。
 打てるだけの手は打った筈だった。
 いくつものありえる状況を想定して、その為の駒を配置してある筈だった。
 それでも、感情は少しも大人しくならない。それどころか、日に日に声大きく不安を喚き散らすだけだ。

「そうか……」

 ふとセイネリアは思う。人はこういう時に祈るのか、と。







 『彼』の夢は、最初は必ず戦場から始まる。
 それは今自分がいる状況的に、彼とはその部分で繋がり易くなっているのだろう、というのがシーグルの予想だった。

 彼はクリュース軍に所属していた魔法使いのようだった。
 戦場の風景は毎回違って、彼が相当の回数戦いに参加したのだという事が分かる。
 毎回毎回、違う戦場で、彼は人々を守って、そしてたくさんの人々の死を見送った。
 どうやら彼は風を操る魔法使いらしく、戦場では敵の矢を跳ね返して自軍を守るのが彼の仕事だった。

 シーグルは魔剣の主となってから、常に誰かの意志を感じるようになった。

 最初はそれがよく理解出来なかったが、気付けばそれが確信となる。
 魔剣の中には、魔法使いがいる。
 あの聖夜祭の時、襲ってきた魔法使いはそう言っていたではないか――魔剣には魔法使いの魂が封じられていると。その意味を今やっとシーグルは正しく理解することが出来た。つまるところ、魔剣というのは魔法使いの意志毎その魔力を封じ込められたモノをいうのだろう。

 ただ、剣の中にある魔法使いの意志ははっきりとした思考を持っている訳ではなく、会話的な手段で意志の疎通をとるという事が出来るものではなかった。それでも、疑問を投げかければ正否の意志は返ってくるし、答える代わりにそれに関する記憶を見せてくれたりする。ごくたまに彼が言葉を掛けてくる事もあるが、それは一方的に彼の意志を伝えてくるだけの事で、こちらの問いに言葉を返してくれはしなかった。
 基本的な感覚としては、まるで彼の記憶をその時の感情と共に共有をしている、とでもいうところだろうか。ただし、記憶自体の管理は向こうがしていてシーグルが自由に見る事は出来ない……だからパズルのピースを埋めていくように、断片的に彼の記憶がシーグルに下りてくる。眠っている時に夢として、もしくは起きている時、似た風景を見ると唐突に彼の記憶が頭に浮かびあがる事もあった。

 今日の夢も、違う戦場での彼の記憶の断片を見た。
 ここ毎日、魔剣を抜けるようになってからはずっと、剣の中の魔法使いの夢をシーグルは見ていた。
 だからだろうか、このところ起きるといつも妙に気分が重い。起きた途端に、やるせないような、気が滅入るような、なにか息苦しいものを感じながら起きるのが常だった。……もっともそれは夢の所為ではなく、この厳しい戦場の現状の所為である可能性は否めないが。
 苦笑をして、髪の毛を一度ぐしゃぐしゃと掻きながら、シーグルは起き上がった。






 その日は朝から、シーグルには会議の予定が入っていた。
 というか、こうしてここに篭ってからは連日、隊長クラス以上は朝から晩、途中に休憩を何度か挟んではひたすら会議に明け暮れていた。
 なにせ、首都の方からの返事といえば向うも協議中というものばかりで、撤退の指示もなければ、増援を送るからどうこうしろという指示のどちらもないのだ。
 首都からの指示がなければヘタに動く訳にもいかず、結局はここに篭る事しか出来ない。クリュース軍の場合篭る戦いは絶対的な自信があるというのと、幸い敵も動きがないという事で、常に敵に怯えながらも日だけは無駄に過ぎて行った。

 増援が来るとも来ないとも発表されない。
 首都からは明示的な指示がない。

 この状況に一番不安を感じていたのは兵士達で、毎日毎日、明日は生きていられないかもしれないと考える彼らにとっては、時間が経てば経つほどその不安が膨れていく。
 そんな不安の中、自分達は首都に見捨てられたのではないかと言い出す者が出てくるのはある意味当然の事で、まだ表面にまでは出ていないものの、密かに兵士たちの間ではその噂は広まっていった。

 そしてこの噂は、別の噂を生む事にもなる。

「まさか見捨てるという事はないだろう、なにせ今回の部隊には旧貴族の当主様がいるんだぞ」
「は、それだがな。あのシルバスピナ卿というのは、王からは厄介者扱いを受けてるらしくてな、戦死してくれりゃいいって事でここに送られたって話だぞ」
「そういや、アウグの奴とシルバスピナ卿が戦ってた時、自軍から矢が飛んで来たって話があるが、となるとありゃ……」
「あぁそうだ、どさくさに紛れて暗殺を命じられてる奴がいたのさ」
「じゃぁもしかして、増援が来ないのも、最初から俺達はシルバスピナ卿ともども殺されてこいって捨て駒として送り出されたって事か?」
「そういう事なのかもしれないぜ。おかしいと思ったんだよ、こんな危険な戦場に旧貴族様が来るなんてよ」

 勿論、そんな事を言うのは、正規騎士団の者や領主の直属兵達にはまずいない。主にそういう噂をまことしやかに言い出すのは、金の為にこの戦いに参加した傭兵達だ。彼らの大半は今回は楽勝の勝ち戦だと思って参加している為、この状況になってしまった自分の読みの甘さを嘆き、原因だろうと思われるシーグルにその怒りの矛先を向けたのだ。

「酷い、あの方に責任を押し付けるなんて」

 ソフィアが言えば、赤い髪に赤い瞳の男はフードに顔を半分隠したまま軽く笑う。

「別に間違った話でもないがな。あいつが王から疎まれていて、この戦いで亡き者にしようと狙われているのは本当の話だ」
「でも、その所為でこの部隊全部が見捨てられたなんて事はない筈です」
「まぁ、王が余程の馬鹿でもなければそうだろうな。いくらあいつを殺したくても、その為にこれだけの兵士を全滅させれば王宮回りの連中も笑ってはいられないだろ。単に誰かの所為にして、自分が悪いんじゃないといいたいだけの連中が噂してるだけだ」

 クリムゾンが鼻で軽く笑うのを、ソフィアは悲しそうに見ていた。

「……ラタさんからの定期報告です。蛮族達は現在、部族間で揉めている為そうすぐには攻めていかないだろうと言う事です」

 気を落ち着かせて彼がここへ来た本来の目的に話を戻せば、赤い髪の剣士は小馬鹿にした笑みを唇に乗せる。

「まぁ、奴らは勝つと調子に乗る脳ミソの足りない連中ばかりだからな。勝った事で何処の手柄だとか、その後の取り分やらで揉めてるんだろ」

 そんなクリムゾンの様子を見てから、ソフィアは大きくため息をついた。

「出来れば、このまま撤退となるか、増援が来るまで向うが動かなければよいのですが」
「それはないな。まぁ次の時は、あの坊やが飛び出そうとしたら止める準備はしといた方がいい」

 暗に、前回シーグルが飛び出して行った時にソフィアがただ見ている事しか出来なかった事を言って、赤い髪の男はまた闇の中へと消えていった。




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不穏な空気の中、シーグルが次回襲われます。エロはその次ですが。



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