雪解けの街と静かな不安




  【2】



 その夜は本式典を翌日に控えた前夜という事で、招待客や貴族達を集めてのささやかな歓迎の宴が城では開かれた。ささやかな、とつくのは本番はあくまで明日という事で、今夜はわざわざ遠くから訪問してきた客を労う意味での宴であるからだ。だから開始時間も早ければ解散時間も早く、それは明日に備えてゆっくり休んで貰おうという意図があった、のだが。

「っていってもな、こんな早い時間に寝てくれってのもなぁ」

 とレザが言えば、セイネリアが杯を置いてそれに返す。

「客人達が、こうして個人的な知人と会って話せるだけの時間も考えてだそうだ」

 宮廷での宴は終わったもののまだ夜としては早いこの時間、ここは宮廷に近い、現在セイネリアの仮住まいとして使っている屋敷の食堂である。元貴族の屋敷だけあってそれなりに広く城には近いこの屋敷は、だからレザがクリュースにいる間の滞在場所となっていてい、宴の後はそのままこちらにきて身内だけの二次会となっていたのだった。

「はん、成程な、俺はクリュースじゃぁ余程皆早寝するもんなんだと思ったが」
「逆だな、クリュースでは夜中まで起きてる者は多い。なにせアウグと違って夜でも街は明るいからな、冒険者共などは翌朝の仕事がなければ朝まで遊び回るのが普通だ」
「あー確かにな、城はともかく街の明るさは驚いたが……冒険者ってのは随分といいご身分らしいな」
「男も女も大量に侍らしてるアウグの貴族程いい身分じゃないだろ」
「いや、それでも今のお前には適わないと思うんだが」

 そこで思わずシーグルは軽く失笑してしまう。
 セイネリアとレザ男爵の会話には勿論間にラタが入って忙しく通訳をしているのだが、どちらの言葉も分かるシーグルとしては反応が他より早くなって回りからジロリと見られる事になるのは仕方ない。

「だろうな、羨ましいだろ」

 しれっとそう返したセイネリアには、シーグルも流石に顔が引きつったが。ちなみに今のセイネリアは両隣にシーグルとカリンを置いて、カリンから酌をしてもらっているという状態だ。

「あぁまったくな、客人をもてなそうという気はないらしいな、貴様は」

 言うレザの両隣には、通訳のラタと彼の参謀で魔法使いのラウドゥがいる。彼はちらりとその二人を見て不満そうに唇を尖らせた。

「なんだ、そういうもてなしが欲しかったのか? 女でも男でも好きなだけ呼んでやってもいいが、外部の人間がいるならこいつは顔を隠さないとならなくなるぞ」

 言いながらセイネリアはシーグルを引き寄せて、レザに見せつけるようにその髪を撫でながら目元に唇で触れてきた。ただでさえ苛立ちを隠してなかったレザの顔が強張ってひきつるのを、シーグルはため息をつきながらすまなそうに見るしかなかった。

「結構だ、どうでもいい奴らでいいならこちらも不自由はしていない。どーせお前はそいつには触らせてさえくれんのだろ」
「当然だ」

 それで更に引き寄せようとしてくるから、さすがにシーグルもセイネリアを睨んで言った。

「いい加減にしてくれ、お前はレザに見せつけたいだけなのか。お互い立場的に、何か重要な話があってこうしてるんじゃないのか。そうでないなら他の者もいるんだ、酒の席ならそれらしく、美味く飲めるような話でもしろ。……そもそも後で詳しく説明してくれるといったのに俺は何時まで経ってもこの状況が分らないんだが……」

 シーグルがそう言えば、まずカリンがふふっと笑って、続いてレザとセイネリア以外の緊張していた面々がほっと息をつくのが分かった。

「バロン、折角噂のクリュースに来るならこの国の事をいろいろ聞き出してやるって張り切って来たんでしょう貴方は。ここまで来て嫉妬してる場合じゃないでしょう」

 クリュースの言葉がだいたい分るレザの参謀が、ラタが翻訳するより早くそう言う。それをじとりと見て、レザが拗ねたような情けない声で言い返した。

「うむ、だがなぁラウ、この男は本気で俺に喧嘩を売って来てると思わないか?」
「本気の喧嘩なら買う気がないんですから、そこは流して下さい」
「お前、今すごい俺に対して失礼な事言ったろ」

 息子でもある若い参謀に怒られるレザを見れば、この二人は相変わらずらしいとシーグルは思う。目が合えばラウドゥは苦笑を返してくれて、まるで『お互い大変ですね』とでも言われているようでシーグルも苦笑を返すしかない。

「えーと、よければ折角なので俺は男爵どのの祖国の話なども聞きたいのですが」

 そこで先ほどからずっと居心地悪そうにしていたアッシセグの領主であるネデがそう言ってくれば、その隣でやはり顔をひきつらせてたエルも口を開いた。

「あーそのさ、折角のプライベートな酒の席じゃねぇか、まずは坊やが言う通り、酒が美味くなるような楽しい話をしようぜ、な? あーラタ、なんかお前もアウグ式の酒の席でのお約束話みたいなのとかないか?」
「……そんなの、戦いの話か色ごとに決まってるだろ。どこも共通だ」

 こういう時は真っ先に場を和ませたり話を盛り上げようとするエルも、直で言葉が通じない相手という事でいろいろやり難いらしいとシーグルは思う。だから今度はシーグルがレザに直で話し掛ける事にした。

「レザ男爵、今日一緒だった女性はもしかして奥方だろうか? ロージェと随分親しそうにみえたのだが」

 シーグルに話し掛けられれば途端にレザの顔には笑みが浮かぶ。反対にセイネリアは不機嫌そうにしているだろうというのは顔を見なくても分かっているが、そもそも説明をしない彼が悪いのだとシーグルはあえて無視する事にした。

「お、おぉ。お前さんの奥方はこちらに滞在中、ウチの布の館の方に居て貰った。あそこは妻の管轄だからな、実のところ俺はあいつに任せっきりで大した事はしてない」

 そのレザの答えでシーグルもある程度今の彼らの状況を理解した……というかアウグの結婚事情を思い出しただけだが。共に来ているのだから夫婦で来たのだとは思ったが、なにせそれを疑うくらいに奥方とレザは別行動過ぎた。滞在場所さえレザはこちらだが奥方の方は城で、本当にアウグの貴族の結婚というのは『契約』なのだと実感する。
 ただ少なくとも、あのロージェンティの様子からすれば、彼女がアウグでレザの奥方にはよくしてもらっていたのは確実だろう。

「いや、彼女を匿ってくれたことは感謝している。申し訳ない、また貴方に迷惑を掛けてしまった」
「あぁいや、迷惑って訳でもないぞ。ムカつくがその男の提案でこちらとしては助かった部分もあるからな」
「それにしても貴方がここへ正式に招かれたというなら、アウグの国王とも話はついているという事だろうか?」
「なんだ聞いてないのか? 俺はここに友好条約を結びに来たんだが」

 勿論、聞いていない――とそれを抗議するようにシーグルがセイネリアを見れば、やはり心底不機嫌な顔をしている琥珀の瞳と目が合う。だが今回は珍しく、彼はため息をつくとあっさり引いた。

「分った、後で本当にちゃんと説明してやるから、今は普通に酒の席らしい話をしよう、それでいいな?」

 だからシーグルも今回はすぐに引いてやる事にする。

「あぁ、酒は楽しく飲むものだろ。……まぁ俺は飲まないが」
「何だ、飲まないのかぁ? 飲んだお前が可愛いのに」

 心底残念そうなレザの声が即座に聞こえて、シーグルはわざわざ今の会話までレザに訳してやらなくてもいいだろうに、と思わずラタを恨みがましい目で見てしまった。







 明日に満月を控えた明るい月が大分高くまで登った頃、アウグのレザ男爵とセイネリアの関係者との宴会は未だに続いていた。とはいえセイネリアが告げた通り、今は先ほどとは話が切り替わって、主に互いの国の風習の違いなどを言い合って酒の席らしく盛り上がっていた。ただ会話自体はレザにネデやエルが話しかける事が多く、セイネリア自身は基本聞き役でたまに一言二言、皮肉のような発言をするだけだったが。シ―グルもセイネリアに付き合って基本は聞き役に回るつもりだったのだが、ラタがあまりにも忙しそうでラウドゥが入っても追いつかない時に通訳を手伝えば、レザが嬉しそうに直に話しかけてくるから結局会話自体に参加するハメになる、という事が何度かあった。
 とはいえ、酒の席に飲めないシーグルがいつまでもいられる訳はない。しかも今回のメンバーはシーグル以外、全員強い酒でも水のようにカパカパ杯をあけていく酒豪揃いだ。
 鼻は途中からバカになっていたものの、確実にその場の臭いだけでシーグルには酔いが回ってくる。暫くすれば頭がぼおっとしてくるのは実感出来て、立ち上がったら体の感覚がふわっとしていた事でシーグルは自分の限界を理解した。

「申し訳ないが、俺は退席していいだろうか。これ以上ここにいると酔いそうで……流石に明日に残したくない」

 言えばセイネリアはこの事態を予想していたらしく、気が抜ける程あっさりとそれを許可してくれた。……ただし『先に寝ていろ』という最後の言葉はレザに対する当てつけだろう。
 レザは最後までシーグルが去るのを引き留めて、さんざん文句を言ったり、恨みがましく見つめてきたりしたが、カリンが酌をしてくれた事で少し機嫌を直したらしく、どうにか部屋から退出する事が出来た。
 明日が明日であるからシーグルは真っ直ぐセイネリアの部屋に帰り、装備を外してすぐベッドに入った。なにせ少しくらりとするくらいは臭いに当てられていたので、実はあのままあそこにいたら確実に寝てしまったろうくらいにかなり眠かったのだ。
 だから、横になればすぐに睡魔はやってきて、シーグルの意識は沈んでいく。何も考える事なく意識が落ちていけば……見覚えのある魔法使いの気配を感じた。

 現実と夢の狭間の中、目の前に浮かび上がった彼の姿を見て、今夜はまだリパの月ではない筈、と考えれば、魔法使いは苦笑する。

「あぁ、満月は明日かな。でも黒の剣の主が側にいるからね、満月に近い月なら魔力は十分供給される」

 その割にはこのところまったく顔を出さなかったではないかと思えば、やはり魔法使いは柔和な笑みを浮かべたまま答えてくれる。

「君に呼ばれなかったしね。それに側に誰かいる場合や君が疲れている場合は余程ではないと出てこない事にしてるのさ」

 それはつまり彼は自分に気をつかってくれているという事だろうか。

「まぁそうだね。でもこうして話すには私が君の精神の中に入るという事だからね、前述した状況ではいろいろ都合が悪いんだ」

 だからセイネリアが側にいなくて満月に近い今日話しかけて来たわけなのかとシーグルが納得すれば、魔法使いは急に顔の笑みを消して、真剣な顔でこちらを見てくる。

「今回私が出てきたのは、黒の剣について話したい事があったからなんだが……」

 それは彼に話しかけられた時点で、ある程度予想していた言葉ではあった。そうしてシーグルはまた一つ、魔剣から魔法使いの秘密を聞く事になった。



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 レザさんが来て微妙に楽しそうなお話でした。
 このおっちゃん結構好きなんですよね。



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