雪解けの街と静かな不安




  【3】



 翌日、式典当日であるその日の空は綺麗に晴れ渡り、関係者たちはまずそれにほっと息を付いた。中央広場から城へ続く大通りは花で飾られ、いつもなら露店が並ぶその両脇は今日は露店の代わりに見物人達で埋め尽くされていた。
 クリュースの新しい王を決める即位式は、城ではなく首都の中央広場で行われる。
 通常、新王が即位するならそれは戴冠式と呼ばれリパの主席大神官から王冠が与えられるのだが、今回は流石にまだ赤子のシグネットの頭には王冠が乗らないだろうという事で、そもそも戴冠式をするべきかどうかが問題となった。更には冠を与える役のリパの首席大神官が辞任するという話まで持ち上がって、戴冠式をせずに済ます方向でどうすべきかが冬の間議論された。
 結局、今回は冠が頭に乗せられる儀式はなくなってただの即位式という事にし、シグネットの成人後に改めて戴冠式をする事になったのだが、その理由としてつけたのが『新王は神から地位を与えられたのではなく、国の人々の意志で王となった』というもので、それは更に人々を熱狂させ、新政権の支持を押し上げる要因となった。将来的に、人々の意志で王になったシグネットは成人して神に認められる――というシナリオとなる訳だが、いかにも作り話めいた気がするものの、それも恐らくは人々に熱狂的に受け入れられるだろうと思われた。
 まぁ、セイネリアいわく『馬鹿馬鹿しいが、それで喜ぶ連中がいてこちらにとって上手く行くようになるならいくらでも作り話くらいでっちあげるさ』という事で、シーグルも人々の熱狂ぶりを複雑な思いで見守る事になったが。
 ちなみに、今朝早くその話をした後、シーグルは忘れない内にと早速セイネリアを問い詰めて聞いた事がある。

「そういえば約束だった筈だな、友好条約の件だ、どうやってアウグの王を納得させたんだ」

 アウグとの関係はどちらかといえばアウグ側が一方的にこちらを敵と見なして攻め込みたがっているという状況で、それをどう説得すれば大人しく手を握り返してくれるのかどうしてもシーグルには思いつかなかった。
 セイネリアは少しだけ眉を寄せたが、それでも上機嫌で、いいだろう、と言って話してくれた。

「アウグも限界だったのさ。なにせ軍事国家としてひたすら他国を侵略する事で成り立ってきた国だ、ここ数年クリュース以南の侵攻が手詰まりになった時から国政が立ち行かなくなってきていた。だからどちらにしろそろそろ決断が必要だった、このままクリュース打倒を掲げるか、それとも他の手段を探すか。こちらはその他の手段を提示してやっただけに過ぎない」

 シーグルもアウグ本国が実はあまり裕福な国ではない事は知っていた。軍事国家として国土を広げる事でどうにか回しているから、現状が相当苦しい筈だというところまでは知識として頭に入っていた。だがそれでもあの国が突然妥協してこちらと手を組むなど信じられなかったのだ。

「アウグが蛮族共と手を組んでまで、簡単に領土を広げられる東ではなく国力的に勝てる見込みの薄い南のクリュースを攻めたがったのは、まず冬の間も安定して使える港が欲しかったというのがある。ウィズロンより北の海岸は険しい断崖が続いていていい港がない。アウグ本国の港は冬は凍って使えないし、クリュースは倒せなくてもウィズロン周辺だけでも取れればそれでいいという考えだったのさ」

 だからセイネリアは、まず向うのメンツを立てる為にウィズロンの港を自由に使えることを条件として提示したという。しかしただ向うにこちらが譲歩しただけとなればクリュース内の領主達に示しが付かない為、新王となるシグネットを匿ってもらったという事実を作ることでわざと向うに恩を売らせると共に、アウグが信用出来るという事例を作った訳である。

「それにな、軍事国家が戦えないとなると、一番困るのは兵の扱いだ。大量に保持している兵達を食わせるのが困難になり、かといって野に放せばあちこちで盗賊化して村を襲う。だからアウグにはこちらの冒険者制度に協力して貰う事にした。形式上はクリュースに繋がる冒険者事務局の分局を置いてもらうだけだが、アウグの人間でも冒険者制度を利用できるようにする。それでアウグでの仕事やアウグの人間で冒険者登録をしたものは手数料がアウグに入る事にする。そうすればアウグも冒険者制度の恩恵……つまりごろつき共に仕事を与えて、国が小金を稼ぐ事が出来るようになるという訳だ」

 それだけではなく、クリュースから冒険者達がアウグに行くようになれば、それだけ向うでもいろいろな商売が成立するようになる。肥沃な穀倉地帯を持ち、人が多い分多様な需要のあるクリュースとの貿易が叶えば、侵略戦争なくしてもアウグという国をもっと裕福にすることが出来る。確かにそれだけ聞けばアウグに取っても悪い話ではないだろうと思える、のだが。

「となれば問題はアウグのデラ教だろ」

 魔法使いを悪魔との契約者と見なすアウグの国教だけは、例えどれだけメリットが大きかろうがクリュースとの国交など許す筈がない。そのシーグルの疑問を、だがセイネリアは当然といった顔で受け止めた。

「あぁその通りだ。……だがまぁ最近、向うの王はデラ教会の連中を疎ましく思っていたらしくてな、少し奴らを痛い目を合わせる手伝いをして向うの教会の発言権を落とすことで、最終的にこちらと手を結ぶという話が纏まった訳だ」
「もしかして、俺を助けた後ひと月くらい出掛けていたのは……」
「あぁ勿論、約束通りアウグで交渉がてらデラ教の上層部の連中を追い落とすのに手を貸していたという訳だ。ただ勿論、アウグと国交を結んだとしても魔法使いは基本的にはアウグには入れないという事にはなるだろうな。両国の人間の行き来は制限をかけて管理する」

 さすがにそこまで聞いてシーグルは呆れたが、改めてこの男のすごさも再確認した。そう、シーグルは分かっていた筈だった。そもそもセイネリア・クロッセスが人々から恐れられたのは、戦闘能力の面で最強の騎士だからという訳ではなく、状況を最大限に利用し、味方も敵も思うように動かすというその頭の良さとそれを可能にする情報収集能力だと。
 たとえ黒の剣による力がなくとも、この男を味方にするという事がどんな意味を持つのかという事を考えて、シーグルは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

――だめだな俺は、この期に及んでまだ覚悟が決まっていないじゃないか。

 思い出して、唇には自嘲が湧く。それから気を引き締めて姿勢を正した。
 頭を現実に引き戻し、華やかに進んでいく式典に目をやれば、檀上にいる凛とした妻の姿と我が子の姿にシーグルは目を細める。時折人々の歓声が上がると驚いたように目を丸くする赤子はけれどもそれで泣き出す事もなく、楽しそうにはしゃいで周りの笑みを誘っていた。
 きっとシグネットは皆に愛され、支えられて育ってくれる。泣きそうになるその気持ちを大きく息を吸って切り替える。すまない、と心だけで呟いて、新王と摂政の傍に立つ黒い騎士を見つめれば、自分の事に関してはいつでもすぐ反応してくる彼はこちらを向いて唇端を満足そうにつり上げた。

 その後も、式は滞りなく、目だった問題も起こらずに順調に進んだ。途中人々が自らシーグルの事を称える歌を歌い始めた時は逃げ出したくなったが、ともかく無事式典は終わって、その後続けて行われたセイネリアを筆頭とした新しい役職への任命式も問題なく終了したのだった。








 翌日の空はやはり晴天で、式典の余韻もあるのかすれ違う人々の表情も皆晴れやかだった。
 式典が終われば、翌日から招待された客人達は次々と帰って行く。
 レザはこの後に交渉と条約成立までの仕事があるから残るとしても、単に式典参加だけの為に来た者は次々と帰り支度を始める。国外でも遠いところから来た者に関しては多少滞在期間を伸ばしてクリュース内を見て回っていく者も多いが、国内の地方からきた貴族達はほぼ翌日には帰路につく者が多かった。

 一昨日と同じく、次々と帰っていく人々の列をどこか寂しい思いで城から見下ろしていたシーグルだったが、今日はその隣にセイネリアの姿はなく、場所も部屋のバルコニーではなく城壁の上からだった。セイネリアは客人の見送りの為に広間にいなくてはならない事になった為、シーグルは警備の方に回されていた。傍につかなくていいとされたのは客人にシーグルの知人が多いからだったが、重要な席でこれだけ傍にいない側近は酷いなと我ながら思ってしまう。

 城壁の上の警備と言ってもシーグルは何かあった時にセイネリアに伝えにいくのが主な役目で、実際に警備兵のような仕事をする訳ではなかった。どちらかといえば警備兵を見ている役で、これはこれで暇といえば暇だと言えた。どうにも根が真面目なシーグルとしては、今頃死ぬ程忙しい者達がいる事が分かっている分なんだか悪い気さえしてしまう。忙しい状況なら自分も働かなくては、と思ってしまうのはもうクセのようなものだったが、部下達と共に忙しさで目が回っていた聖夜祭の頃を思い出せば胸が痛んで寂しさがこみあげてくる。懐かしい、という一言で済ますにはそれらの思い出は罪悪感を伴い過ぎていた。

 そんな事を考えながら周囲を見回していたシーグルだったが、思いがけない人物の姿が視界に入って緊張を身に纏う。本来なら下で帰り路につく人々の列に入る筈の人物――見張りの兵達に挨拶を交わしながらやってくる騎士団の英雄、チュリアン卿がこちらに向かってくるのを見て、シーグルはどう接するべきかと考えた。

「やぁ、初めまして、だな。私はレストゥーリア・パダ・チュリアンと言って……」

 すかさずシーグルは上の者に対しての深い礼を返した。

「初めまして。騎士団の英雄チュリアン卿の名は存じております」

 そうすればかつては友と呼んでくれと言ってくれた騎士団の英雄は、苦笑しながらも出そうとした手を引いた。



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 即位式自体はさらっと。



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