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【４】 「我が主でしたら今は大広間の方にいると思います、ご案内いたしましょうか？」 「あぁいや、将軍閣下ではなく、君に用があって来たんだ」 「私に、ですか？」 「あぁ、亡くなられたシルバスピナ卿について、君がアウグで彼を匿っていたと聞いたのでね」 これは疑われているのだろうか、それともただ単に自分に興味を持ったからだろうか。チュリアン卿の性格ではそのどちらでもおかしくはない為、すぐには判断出来なかった。……どちらにしろ、シーグルとしては動揺を相手に見せないように平常心を保つよう努めるしかない。 「その時の事……まで聞けば長くなるだろうから、それはまた次の機会にでもという事にして、君がその時にシルバスピナ卿から剣を習ったというのは本当だろうか？」 「はい」 肯定と同時にチュリアン卿の顔色が変る。彼はじっと値踏みするようにシーグルを上から下まで見て、それから少し考え込んでこちらにも聞こえる声で呟いた。 「鎧の上からとはいえ背格好は同じくらいか。姿勢もいいし……彼に似ているな。確かに君なら彼の剣を受け継ぐには良いだろうが、短い期間でどこまで……」 言いかけて彼は、急に剣に手を掛けるとそれを抜く。だがそこで突き出された剣は、あっさり即座に反応したシーグルの剣に受け止められた。 「速いな、確かにシルバスピナ卿に教えを受けたというだけある」 言いながら嬉しそうに笑うと、チュリアン卿は剣を引いて鞘に納めた。それからシーグルに向けて頭を下げる。 「申し訳ない、どうしても君の腕が見たかった、非礼は詫びよう。ただ私は、君が故シルバスピナ卿の剣をもし継いでいるなら彼の剣を見れるのではないかと、そう思ってこんな強引な方法を取ってしまったんだ」 「頭を上げてください。本気でないのは分かりましたし、気にしていません」 言えばチュリアン卿は顔を上げる、だがその顔が今にも泣きそうに見えた事で、シーグルの胸がとくりと震えた。 「本当にすまない。彼は素晴らしい騎士だった。地位の割りに奢りもなく公正で誠実で、あの若さで相当の鍛錬と経験を重ねた腕もあった、本当に貴族騎士の鏡のような人物だった。その彼を……友だと言っていたのに助けられなかった自分を、俺はどうしても許せなくてね」 とうとう立派な体躯の騎士の目に光った涙に、シーグルは息をするのが苦しくなるほどの胸の痛みを感じる。兜に隠された中で顔を顰め、唇を噛み締めて動揺を押し殺そうとするものの、声を出す事が出来なかった。 「失礼、みっともない姿を見せた」 だがチュリアン卿はそう言って一度目頭を押さえると、次に顔を上げて笑顔を浮かべた。 「彼とはいつか剣をあわせる約束をしていたんだ。それが叶わなかったのがとても残念だった。だから、彼の剣を君が継いだなら君と剣をあわせてみたいと思ったんだ」 目元がまだ涙に濡れているその笑顔は、シーグルの中に更に痛みを積み重ねる。歯を噛み締めたシーグルは、音が出ないように大きく息を吸ってから口を開いた。 「私で宜しければ。あの方の代わりになれるほどの腕ではありませんが」 「いや、少なくとも君は素晴らしい腕の持ち主だと思う。シルバスピナ卿の剣かどうかは分からなくとも、君とは今度きちんとした場で剣をあわせたい、お願いできるだろうか」 出来るだけ感情を殺して、声に平静を纏って、シーグルは頭を下げる。 「はい、次に首都にいらした際には、ぜひお声を掛けてください」 「あぁそうだな。今回ここでこのままやるわけにもいかないだろうし、次の楽しみとしよう」 「私も楽しみにしております」 「ああ、今度は……ちゃんと約束が果たされるようにリパに祈ろう」 最後にそう言って背を向けた騎士に、シーグルは深い礼を返した。 心の中で何度も謝りながら、暫くの間シーグルはその場で頭を下げたままでいた。 今日首都を立つ客は、殆どが午前中のうちに出発する。午後に出るのは割合近い地域の貴族達で、彼らは今頃街で買い物や交渉の真っ最中だ。 「まったく、へたに地位なんてモノがあると煩わしい仕事が増えるだけだな」 明らかに不機嫌そうな顔で椅子に座ったセイネリアに、カリンが水の入ったグラスを差し出しながら言う。 「シーグル様を呼びにいかせました。多分すぐいらっしゃるかと」 それでしかめられていたセイネリアの顔が僅かに緩んで、それからその唇に苦笑というより自嘲の笑みが浮かぶ。 「そんなに分かりやすいか？ 俺は」 「シーグル様の事に関してだけは、とても」 笑ったカリンを怒る事もなく表情を和らげて、セイネリアは長椅子の背に倒れ込むように寄り掛かって片腕を掛け、足を組んで天井を見つめた。 任命式が終わるまではそこまで表に出なくて良い事になっていたものの、正式に役職を貰ったからには公式行事では王族に次ぐ場所にいなくてはならない――という事で、気に入らない貴族共の相手をしなくてはならなかったセイネリアは現状思い切り機嫌、というより気分が悪かった。 やっと午前中帰り分の客人を送り出して昼食会までの休憩となったものの、その昼食会の事を考えただけで既に苛ついてくる。まだ滞在中の客人達やロージェンティは休憩時間も控えの広間で雑談中だが、セイネリアは傍の小部屋を借りて一時彼らから避難する事にした。勿論わざわざ小部屋を借りたのはシーグルを呼ぶ為である。……彼の顔を少しでも見れれば気分が大分良くなるのだから、自分でも単純なものだとセイネリアは我ながら思う。 暫くして、部屋にノックの音が響けば、それだけでセイネリアの口元に笑みが湧く。入れと言えばドアが開かれて、予想通りの姿が見えれば自分でも驚く程に先ほどまであった苛立ちが収まっていくのが分かった……の、だが。 「どうした？ こっちへ来い」 何故かシーグルはドアが閉められても入ってすぐの場所で立ったままで、言われてやっと歩いてくる。その足取りが彼らしくなく妙に遅いと感じるのは、自分の気が急いてる訳だけではないだろう。 様子のおかしいシーグルにセイネリアの表情が変われば、すかさずカリンがシーグルと入れ替わるようにドアへと向かう。 「では、私は部屋の外に出ています」 そうして彼女が退出した後で、目の前に立っているシーグルに向けてセイネリアは言った。 「さっさと兜を脱げ」 だがシーグルはすぐに反応しない。彼の迷いを感じ取りはしたものの、今度は少し強い声でセイネリアは言う。 「命令だ、兜を脱げ」 そうすればやっと彼はゆっくりとした動作で手を顎にもって行き、金具を外すと兜を脱いだ。……予想通り、現れた彼の顔は何かを思いつめたように沈んでいて、セイネリアは顔を顰める事になる。 「何があった？」 聞いてすぐに口を開き掛けたシーグルは、そこで一度唇を引き結んで、それから軽く息をついてからまた口を開いて言った。 「チュリアン卿にあったんだ……」 確かに彼も今回の式典に来ていたのはセイネリアも知っている。実際先ほど送った時にも一言二言程度には言葉を交わした。会話内容は儀礼的なモノではあったが、最後に『また今度、貴方とは一度ゆっくりお話をしたいものです』と何か聞きたそうな顔で言っていたのは引っかかってはいたが。 「何か気付かれたのか？」 「いや――そう、だな怪しんでいる可能性はあるが、そういうのではないんだ」 どうにも歯切れの悪いシーグルの言い方に、セイネリアの声にはっきりと苛立ちが混じる。 「なら何だ、お前が気にするような何かがあるなら、言えば対処してやる」 するとシーグルは今度は苦笑して、力なく首を左右に振る。 「だから……そういう何か問題が起こったりした訳ではないんだ。ただ……彼が俺の死を嘆くのを見てしまったら……どうにも、彼を騙しているという事が苦しくなって、少し、落ち込んでいるだけだ。……おかしいな、葬儀の時に散々思い知っていた筈なのに、目の前で彼のような人物の……見ると、やはり……割り切れない」 セイネリアは顔を顰め、小さく舌打ちする。折角シーグルを彼の知人と極力会わせまいと警備に回したのに、あの男をみすみすシーグルに会わせてしまったのではその意味がない。チュリアン卿は特にシーグルと親交があった人物だった。騎士団という場ではおそらく一番対等に意見を交換しあえた仲で、互いに相手の実力を認めて尊敬しあっていた関係だったろう。誰かをつけてもっと気をつけさせておくべきだったとセイネリアは思う。 「シーグル」 呼べば、苦しそうな顔を、それでもシーグルはこちらに向けてくる。笑える事に、そんな彼を見て今自分が一番気に入らないのは、彼が苦しんでいるそれ自体ではなく、彼が自分以外の他人の為に苦しんでいるという事だとセイネリアは自覚していた。 「人間は全てを手に入れられない。あれもこれもと全てを望んでも必ず何かを失う。だから自分にとって重要なものに優先順位をつけ、まず第一に一番大切なものを優先し、余った手でそれ以下にのものに手を伸ばす。優先の高いものの為ならそれ以下を犠牲にする事を迷うな」 「迷うなというのは無理な話だ。俺はいつでも迷ってばかりだ……優先すべきものは分かっていても、その為に他を切り捨てられない」 「だがお前は選んだ筈だ。お前が本当に守りたいものの為に、お前はそれ以下のものを切り捨てた。一度切り捨てると決めたものは切り捨てろ、迷えば選んだ筈のものまで失う」 セイネリアにとってはそれは当たり前の事である。だがそれは今、確実に一番失いたくないものがはっきりしていて、それが唯一のものであるからだ。だから彼の迷いも分かっている。彼の場合は自分と違って大切なモノが一つではないからだ。 それでも、彼はもう選んだのだ。 だからもう、他を選ぶ事は許さない。 「シーグル、今のお前の名と立場なら、一番優先すべきものは何だ？ 今のお前は何者だ？」 言えばシーグルは大きくその深い青の瞳を見開いて、それから苦し気に顔を顰める。 「……俺は、お前の部下だ。お前の命（めい）が最優先すべき事だ」 「そうだ」 セイネリアは昏い笑みを浮かべる。全く笑っていない金茶の瞳に最愛の存在を映して、僅かに疼く心の傷を無視して、見せつけるように笑って見せる。 「お前が選んだんだ。お前が俺の命に従う限り俺は契約を守る。お前が今、優先すべき事を間違えばお前は本当に大切なものを失う事になる」 シーグルが目を瞑る。何よりも愛しい青い瞳が瞼の中に隠れる。セイネリアは目を細め、唇に自嘲の笑みを浮かべた。 ――本当は、自分でもこれがただの脅しだというのは分かっている。 理屈をこねても、彼を脅しても、結局はただ単に自分は怖いだけなのだという事をセイネリアは分かっている。彼を離したくない、彼が自分だけのものであってほしいと、そんなみっともない心の足掻きを隠してただ単に彼を縛りつける為に脅しているだけなのだ。彼が他人の事を思う度、自分から離れていきそうな気がして怖くなる。どれだけ彼を抱いたところで不安が消えない、もしかしたらこれは既に黒の剣に精神が蝕まれてきているのかもしれないとさえセイネリアは思う。 「シーグル、今のお前は俺のものだ」 --------------------------------------------- このままセイネリアさん無理矢理ぎみにH。 |