謀略と絶たれた未来




  【2】



 クリュースの城は、南に向かって扇状に広がる首都セニエティの北に位置している。一度も敵に攻められる事がなかったというのもあり、数度の増築でかなりの規模を誇る城内には王城とは切り離された建物として、騎士団と、貴族院の管理である水星宮、そして王さえも立ち入る事が出来ない魔法使い達ための塔――通称、導師の塔があった。
 いわゆる宮廷魔法使い達は基本この導師の塔に住んでいる訳だが、塔には一見入口に見えるものがなく、誰も入る事が出来ないというより、誰も入り方が分からないと言った方が良い状態であった。当然、城内を行く者達にとっては毎日その前を通っていても、中で何をしているのもも分からなければ中がどうなっているさえ分かる者もいない、まるでただのオブジェのような感覚の建物だった。

 だから、キールに転送で連れてこられた場所を聞いて、ここが導師の塔の内部だと聞いたシーグルは、改めてまじまじと周辺を見回してしまった。正直なところ、魔法使い以外が入れると思わなかったというのもあって、驚くなという方が無理な話だろう。
 けれど、椅子を勧められてそこに座って向き合ったキールが言った言葉で、シーグルはここに連れて来られた理由を理解した。

「さてシーグル様。貴方が持つ魔剣からはどこまでを見せてもらいましたか?」

 あぁ、やはり――と思った部分もあったので、シーグルはそれを誤魔化そうとは最初から思わなかった。

「お前が聞きたいのは、特に黒の剣について俺がどこまで知ったのか……という事だろうか?」

 そこでキールは少し残念そうに苦笑する。そう、恐らく彼もまた、自分にそれを知って欲しくなかったのだというのがそれで分かる。

「えぇ、それは我々魔法使いだけが知るこの世界の秘密の根本になるものですから」
「世界はかつて、魔力で溢れていた、という話か」

 キールはそこでため息をつく。いつも飄々として気楽そうな魔法使いが、見た事もない程苦々しい顔で重い息をついたのをシーグルは見る。

「なら、今更勿体ぶっても仕方ないですねぇ。貴方はもうこちら側に来てしまったのですから」
「お前は、俺に知って欲しくなかったのか?」
「そうですねぇ、これ以上貴方に余計な枷をつけるのは嫌だったんですけどねぇ」

 それが彼の個人としての意見、シーグルの事を考えての発言だと分かるから、彼に対して申し訳なく思う。

「とりあえず、知ってしまったからには我々魔法使いについて、貴方に教えておく事があります」

 最後にシーグルと目を合わせてから苦笑して、キールは纏う空気を一変させた。顔から表情を消して、魔法使い特有の何か得体の知れない深い瞳でじっとシーグルを見つめてくる。

「世界から大気のようにあった魔法がなくなった事で、殆どの人間は魔法を使えなくなりました。魔法が使えるのは、自分自身の魔力で魔法が使える一部の者のみ。魔法が使えないことが当然の世界になれば、やがて魔法が使える者は恐れられ、人々から迫害されるようになります。だから我々は望みました、我々の居場所を、魔法使いと普通の人々が共存できる世界を。そうして一人の青年と契約を交わして彼に協力し、この国を作ったのです」

 青年とは、クリュース建国王アルスロッツの事だろう。彼が当時どこからも忌み嫌われていた魔法使い達と手を組むことでこの国を作ったというのは有名な話だ。

「つまり、魔法使い……いや、魔法ギルドとしての目的は、あくまで普通の人々との共存、と考えていいんだな」
「はい――基本的には、ですけどね」

 キールの表情は言葉と同じく含みがある。

「どういう意味だ」

 だからシーグルがそう聞き返すのは当然だった。
 お気楽発言がお約束の魔法使いは、本当に困ったようにため息をつく。

「魔法使いもいろいろな意見の者がいるのです。それでもかつてのギルド自身の意志としては、『人々と共存する事が最終目的』という事で一致していました。共存というより魔法使いこそが人々を統べ、世の中をコントロールすればいい――なぁんて連中もいましたが、それはあくまで異端分子であったのですよ」
「今は、ギルド側にも共存を目的としない意志があるという事か」
「えぇ、簡単に言えば、それはセイネリア・クロッセスと貴方という存在の所為です」

 今度は、苦々しい顔をするのはシーグルの方だった。
 つまり、ここからがセイネリア……黒の剣が関わる話なのだろう。

「黒の剣――あれがまさか人の手によって使われる時がくるなんて誰も思わなかった。けれど、剣の主としてあの男が現れた。最初ギルドは、剣の主となったセイネリア・クロッセスと手を組み、かつてある青年と契約したように彼に協力し、彼の力で魔法使いと共存出来る国が世界を統べる事を望みました」

 黒の剣を手に入れたセイネリアに、かつてクリュースという国を作る為アルスロッツとした契約を魔法使い達は持ちかけた。しかも今度はその剣の力がある分、たかが一つの国家を作るのではなく世界を統べろと言った訳である。荒唐無稽な話だが、黒の剣の力があればそれが可能だと彼らは考えたのだ。

「つまりお前達は、セイネリアに協力してやるから世界を統べろと言ったわけか」

 確かに、現状のクリュースと同じ魔法使いと共存出来る国が世界を統べれば、魔法使い達の望む共存出来る世界ができあがる訳ではある。
 だから魔法使い達の望みは理には叶っている。けれども、自分達の悲願を達成しようとするには、あまりにも人頼みというか、虫がよすぎる話だともシーグルは思った。自然と唇が皮肉に歪むのは仕方ない。

「まぁ、一言で言うとそうですね。ですがあの男はあっさりとそれを断わった。あれだけの力を手に入れたのにその力を使う気がないときた。我々は手を引くしかなかった……というところだったのですが……あの男に貴方という存在が現れた」

 そこまで聞いてシーグルの胸にちくりとした痛みが走る。完璧な強い男、誰にも何にも動じないあの男がそうでなくなってしまったのは、自分のせいだということをシーグルは分かっていた。

「それは我々にとって歓迎すべき事でした。なにせ我々が何を言っても意志を曲げなかった男が、貴方の為なら動くのですから」

 だからこそ、キールがそう言った途端、シーグルは歯を噛みしめる。

「それは、俺を利用して、セイネリアを魔法使い達の望む通りに動かそうとしたという事か」

 シーグルは怒りを露わにしてキールを睨む。
 シーグルを利用すればセイネリアをどうにか出来る――今までそう考えた者達に、何度もシーグルは襲われてきた。魔法使い達の願いは分かる、彼らが自分達の居場所を欲しいと望むのは当然だ――そうも思ったからこそ、彼らまでもがそんな低俗な連中と根本は同じつもりで自分に近づいたというなら失望と共に怒りが湧く。

「まぁ、そうだ、と言ってもいいでしょうねぇ」

 シーグルの強い瞳をみて、キールはまた苦笑と共にため息をつく。いつもの人間味ある彼の表情に戻って、困ったようにシーグルをみる。それでシーグルは、彼に怒っても仕方ないのだと理解した。彼は、彼の意志でシーグルを利用しようとしているのではないのだから。

「ですけどねぇ、具体的に貴方をどうするかという事については、意見が分かれすぎて我々の中でも結論は未だに出ていないんですよ。ただまぁどちらにしろ貴方を守る事は決まっていました、なにせもし貴方が死んだりすれば、我々はあの男を動かす手段を失う訳ですし……あの男自身が辺り一帯……この国を巻き込んで破滅する可能性がありますから」
「どういう、事だ」

 唐突に国の破滅などと言われて驚かない筈はない。そのシーグルの表情をみて、キールが再び人ならざる者の気配を纏う。

「黒の剣の中には大魔法使いギネルセアがいます。彼は世界を憎んでいます。あの剣を使おうとした者は、彼の憎しみに取り込まれ死ぬまで剣の傀儡(くぐつ)となってひたすら辺りを破壊するのです。あの男がどうしてそうならず剣の主となれたのかは分かりませんが、貴方を失ったらあの男は確実に平静でいられない。他の者達と同じく、心の隙から剣に取り込まれて剣の傀儡と化す……かもしれません」

 確かに、セイネリアは言っていた。お前を失うことがあれば自分は自分でいられなくなると。そんなことあって欲しくないとシーグルは願ったが、それでももし自分が死んで彼が我を失うような事態になったとしても、それは一時のことで彼なら自分を取り戻せる――そう、考えていたのだ。
 キールの話は魔剣がシーグルにしてくれた話と変わらず、どちらもどうしてセイネリアが黒の剣を使えるのかまでは分からないという。だが魔剣はシーグルに教えなかった、セイネリアの危うさを。それは、教えたくなかった、と言うことなのだろうとシーグルは思う。あの優しげな魔法使いは、言えば確実にシーグルが苦しむだろうその可能性を教えなかったのだ。
 まさか、セイネリアの置かれた状況がそんなに危ういものだなんて、シーグルは思ってもいなかった。彼が壊れる事が国の破滅さえ引き起こし兼ねないなんて、想像出来るはずもなかった。

 混乱して頭の整理がつかないシーグルに、さらに魔法使いはその混乱をかき回すことを言ってくる。

「ところが厄介なのは、最近、逆にあの男が狂気に取り込まれ暴走する――それこそを望む連中が我々の中に現れたという事なんですよ」

 シーグルには理解出来なかった。セイネリアを暴走させる事を目的とするなんて、この国を破滅させたいのかとしか思えない。この国は、やっと出来た魔法使いと人が共存することに成功した彼らの居場所の筈だった。

「どういう事だ、そうさせない為にお前達は動いてるんじゃないのか?」

 だから当然そう尋ねれば、キールは皮肉げに口元を歪める。シーグルに合わせようとしない視線からして、彼もまた、そんな事を考えた輩を忌々しく思っているのだとシーグルは悟った。

「彼らは……今までの者達と違い剣の主となったあの男なら、剣の力に守られて、体が耐えられずに死ぬということもなく暴走し続けられるのではないかと考えたのです。つまり、剣の力を使いきってすべての魔力が解放されるまで暴走を続けられると。そうすれば、世界はまた魔力が溢れて誰もが魔法を使える世界に戻る……その可能性を夢見ているのです」

 それでもシーグルには理解出来なかった。可能性がある、程度の不確かなものに掛けるには、確実に失う事が分かっている代償が大きすぎる。

「まて、剣の力すべてを使い切るまで暴走すれば……その間にどれだけの被害が出るか、彼らは分かっているのか?」

 聞けば、キールは更に表情を忌々しげに顰める。

「分かっているでしょうねぇ。まぁ少なくともこの大陸の殆どが破壊しつくされるくらいは計算の内でしょう」
「それで、何が共存だ……」
「生き残った者達は共存出来るでしょう、そして誰もが魔法を使える新しい世界を作る、と」

 それはキールの意見ではない、彼はそんな者達を肯定などしていない――それが分かっていても、反射的にシーグルは目の前の魔法使いの胸ぐらを掴んでいた。

「本気で、そんな事を考えているのか」

 こちらを見つめ返すキールの瞳は悲しそうで、まるで『彼ら』を憐れむようだった。

「彼らはですねぇ、夢をみてるのですよ。記憶で受け継がれただけの魔法溢れる過去の世界、それに焦がれて、それを取り戻せるかもしれないと思っただけで、その夢に目が眩んでしまっているのです」

 その声もやはり愚かな彼らを侮蔑しながらも憐れむようで、口元を皮肉にゆがめているくせにその口調は穏やかだった。
 頭に血が上っていたシーグルもそれで冷静さをとりもどす。すまない、と小さく呟いて、ゆっくりと彼の服から手を離す。

「勿論、ギルドとしての決定事項は貴方を守る事です。確かに黒の剣の力の解放も我々にとっては悲願ではありますが、たかが『可能性がある』程度の事に、どれだけの被害が出るか分からない危険な賭けをしようとは思いません」

 ではもし『可能性』が『確実』な事であったのなら、彼らはその手段を取るのか――そうシーグルは思ったが、それを今彼に聞くのはただ彼を責めたいだけも同然だろう。少なくともシーグルは、キール個人としての意見なら、どんな被害が出ても魔法の解放を選ぶ、とは言わないと思っている。
 黙ってしまったシーグルに、どこか遠くへ視線をさまよわせていたキールが真っ直ぐ視線を合わせて言ってくる。

「ともかく、貴方に言いたいのは――貴方の存在がどれだけ重要かという事と、貴方の死を望んでいるのは魔法使いの中にもいる、という事です。戦場で貴方を殺そうとして矢を放ったのも、貴方の馬が走ってる最中に急に潰れたのも……彼らのせいです」

 それを聞けば、シーグルも納得せざるえなかった。
 確かに、あれらが魔法使いの意図によるものだったというなら、自分の能力と状況の判断だけでは危険を回避できないという事になる。魔法使いが自分を殺そうとしているなら、普通に想定出来る以外の事が起こり得るという事だろう。

「慎重になれ、という事か」

 難しいな、と苦笑するシーグルに、キールもまた苦笑する。

「えぇ、貴方はご自分の身を守る為に、慎重に慎重を重ねて行動を選んでくださいという事です」




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 次回は身内のシーグル復帰パーティー。



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