世界の鼓動と心の希望




  【2】



 船がアッシセグの港につくと、すぐに迎えの一行がやってきて、シーグル達は領主の屋敷へと招かれる事になった。屋敷の方でも準備はすっかり整っていたらしく、すぐに各自割り当ててあった部屋へと通されて、夕飯の支度が出来るまでは休憩という事になった。
 ただし、隊の代表であるシーグルだけは即休憩という訳にはいかず、まずは領主への挨拶という事になったのだが、そこで少々シーグルは困る事になる。

「ラン、呼ばれているのは俺だけだったんだが」

 シーグルも一度部屋に通されて、そこへ領主からの使いが呼びにきたのだが、部屋を出た途端、扉の傍にはランが立っていて、この古参組に入る、隊で一番体の大きな男は、当然のようにシーグルについてきたのだ。

「俺は、貴方の護衛ですので」

 ランは隊でも、無口といえば彼というくらい、しゃべる言葉はいつも最小限で、そして頑固だ。こうだ、と一度宣言した彼を、説得して撤回させるのはかなり難しい。
 まぁ、一人くらいは大丈夫か、と思う事にして、仕方なくシーグルはそのまま領主の元へ行く事にした。
 行く前に調べた事によれば、現アッシセグ領主は樹海に近い村の出身で、二十歳になるまでは自分の父親が領主であるという事を知らず、母親に育てられていたらしい。だから貴族らしくない、相当に気さくな人物であるという事であるから、この程度で腹を立てたりはしないだろうと思われた。最悪、言われたら下がって部屋の外で待っててもらえばいいか、とシーグルは思う事にした。

 首都セニエティに比べてずっと南になるアッシセグは、冬になってもまず滅多に雪が降らない温かい地域の為、初夏にあたるこの時期は既に住民たちの服装はかなり薄着であった。前を行く使用人の女性も、袖がなく、空気が入りやすいゆったりとした服を着ていて、兜はしていないものの、きっちり甲冑を着こんんだままのこちらに比べ、とても涼しそうに見えた。
 実際のところ、セニエティとはかなり気温が違って、正直シーグルもこの格好に多少の暑苦しさを感じている。
 ちなみに、マニクやテスタなど、隊の中でもよくしゃべる連中は、船の中で既に暑い暑いと騒いでいて恰好のくずし具合は酷いものだったが、シーグルは船では見ないふりをしてやっていた。ただ彼らも、さすがに港につけば見た目だけでもちゃんとしなくてはならないだろうと、出来るだけ見た目を保ったまま装備をどう省略して涼しくするか、と他の連中と共に考え込んでいたのを見た覚えがある。実際に港に下りた時はマズイと思うような格好の者はいなかったから、中身はどうあれ、シーグルは何も言わなかった。

 開放的な、屋根と柱だけの通路を歩き、シーグル達は割合こじんまりした、建物の隅にある部屋の前に通される。二重になっている扉をゆっくり開けば、大きな窓の外に見える青い空と青い海がまず目に入って、シーグルは部屋の明るさに僅かに目を細めた。

「ようこそ、シーグル・アゼル・リア・シルバスピナ様。私がここの領主になる、ネデ・クード・カテリヤです。遠いところをわざわざご足労頂きまして、大変恐縮で……あ、いや感謝だったか? ……ではなく、遺憾で……でもない、えーと…………その、よろしくお願いいたします」

 挨拶の途中から考え込んで一人百面相を始めた男に、シーグルは一度目を丸くしてから、穏やかに笑みを浮かべて礼を返した。

「よろしくお願いいたします、カテリヤ卿。私もまだ若輩もの故、この手の堅苦しい挨拶は得意ではありません。出来ましたなら、もう少し気楽に接して頂ければと存じます」

 アッシセグ領主であるネデは、シーグルのその言葉を聞いた途端、苦笑いをしながら少しだけバツが悪そうに鼻を掻き、それから思い切って大きく息を吸い込むと、今度は満面の笑顔でシーグルに手を差し出した。

「それではよろしく、シーグル。なにせ育ちが育ちなもので、俺はこう、貴族らしい腹を探るような話し方が苦手でな。あんたとはぜひ友人になりたいと思ってる、あんたも気を張らずに寛いでくれないか。あ……と、つい、名前呼びしたがいいだろうか? 良ければこちらの事もネデって呼んでくれると嬉しいんだが」

 人の良さそうな、裏のない彼の笑顔に、シーグルも笑みを返して彼の手を握った。





 挨拶が終われば、簡単にこの後の予定を話し、細かい話は夕食の時にと約束して、軽い雑談の後シーグル達は領主の部屋を退出した。
 ランも領主の様子に少しは警戒を解いたのか、夕飯までは大人しく部屋に戻って各自休憩を取る事に同意してくれた。
 太陽が沈む時間になれば迎えが部屋にやってきて、歓迎の宴の用意がされた大部屋につれていかれた。そこで同じく連れてこられた隊の者全員と顔を合わせて、最後にここの主であるネデが部屋に入ってきて、宴がはじめられた。
 宴の最中は、特に問題が起こる事はなく、隊の者達は皆、珍しい料理や変わった酒にはしゃぎながら時間を過ごした。シーグルは領主の近くの席に案内され、最初の酒を断った時点でこの地方の苦味のある茶を出して貰っていたため、隊の者達が心配した酒を飲むという事態になる事もなかった。
 だが、夜もかなり更け、宴もそろそろ終わりだろうかと思った時点で、シーグルはアッシセグ領主ネデに少し潜めた声で話しかけられた。

「少々込み入った話があるんだが、この後少し別室に付き合ってもらえるかな?」

 一瞬迷ったシーグルだったが、ネデがまったく酔った様子を見せていない事と、彼の人柄を考えて、それには了承を返した。近くにいた、やはり酒が強い所為で酔っていないランと、同じく現在シーグルの護衛役であるアウドが不満そうに睨んできたが、結局彼らもついてくると騒ぐ事にまではならなかった。






「いや、本当にすまんな。わざわざ付き合ってもらって」

 シーグルが彼に連れて来られたのは、宴をしていた大部屋に近い、客室のようなところだった。ただ、実際椅子をすすめられたのは寝室からは離れたバルコニーのあるテーブルセットのある部屋で、隣室にはお茶係の少女がいるから大きい声を出せば聞こえる、とまで説明してきたところから察するに、こちらには相当気を使ってくれたらしい。

「んー、まぁなんというか。このアッシセグは首都から離れ過ぎててな、少し首都の様子を聞いてみたかったんだ。たとえば、最近の宮廷周辺のきなくさい話とかな。……聞いたところだと、王がそろそろ危ないって事で、結構次期王のグスターク王子のとこに媚び出した貴族が増えたって話だが……」

 成程、確かにこれは人のいるところでは話せる内容ではないな、とシーグルは思う。

「残念ながら、俺もあまり宮廷回りは詳しくはない。ただ、陛下の容態は確かにいい噂を聞かない。すぐにどうこうという状態ではないとは聞いているが、近々王位を譲るという話はかなり現実的になっているように思える」
「グスターク王子回りの話は何か聞いてるか?」
「そちらは……分からないな。だが、グスターク王子は現在、次期国王として王城に入り、実際の政務に関わりながら勉強中だそうだ」
「つまり、既に王宮内でいろいろ手を回せる状態ではあるって事か」
「そこまでは……」

 実際、シーグルは、式典で座っている姿くらいしかグスターク王子を見たことがないし、話した事は一度もない。それどころか、多少は状況を知っているウォールト王子と違って、グスターク王子は城の北西にある緑離宮の方で育ったらしいとしか知らない。

「それでシーグル、最近あんた自身は何か問題が起きていないか?」
「え? いや……特にはないと思うが」

 唐突に話が飛んで、シーグルは目を丸くする。
 その様子を見たネデは、大きくため息をつくと、隣室の、先ほどお茶係の少女がいるといっていた部屋のドアに向けて声を張り上げた。

「だ、そうだぞ。あんたの杞憂って奴じゃないのかっ」

 それでシーグルは、驚いていた瞳を更に見開く事になる。
 ネデが向けた視線の先、開いたドアから出てきたのは勿論お茶係の少女などではなく、全身黒一色で固めた長身の男の姿であった。
 見間違う筈も、見忘れる筈もない。影そのものを纏ったように、黒い甲冑と黒いマントに身を包んだ黒い騎士。黒い髪は未だ長いままらしく、後ろで一つに結んでいる。男らしい精悍な顔付きは、だが歳に似合わない程の落ち着きを持っていて、金茶色の瞳は見るものをぞっとさせるような威圧感を放っている。
 シーグルは、声も出せず、ただその姿を見つめる事しか出来なかった。
 黒ずくめ騎士は、その金茶色の瞳にシーグルを映す。誰よりも強く、誰よりも自信に満ちたその琥珀の瞳を真っ直ぐ向けて、驚いて目を見開いているシーグルの姿だけを映す。

「シーグル」

 名を呼ばれて、びくりと震えたシーグルは、彼の目を見ていられなくて眉をよせ、青い目を歪めるように細めた。
 名を呼び返そうとして開いた唇は僅かに動くだけに留まり、声を出すことは出来なかった。けれど、がくりと項垂れて視線を逸らしてから、シーグルは小さく呟いた。

「何故、ここに、お前が……」

 下を向いたままのシーグルの傍に、黒い男がゆっくりと歩いてくる。

「この街に、俺がいる事は知っていたんだろ?」

 カチャリ、カチャリと、金属が擦れあう音を鳴らして、彼が近付いてくる。

「だが、会うとは決めていなかった……俺はまだお前に会えない」

 金属の音が止まって、彼が立ち止まったのが分かる。

「何故だ?」
「まだ……答えが、出ていない」
「そうか」

 セイネリアの声は穏やかで、けれども確かに記憶の中の彼の声そのままだった。
 シーグルは、最初の驚きで停止した思考が少しづつ動きだし、それにつれて、セイネリア・クロッセスの前にいるのだという実感がじわじわと心に染み込んでくるのを感じていた。
 セイネリアは、立っているネデの代わりに、テーブルを挟んで向かいになる椅子に座った。

「あーその、俺は騙したくて騙したんじゃないからな。その辺りはちゃんと説明しておいてくれよ。……それじゃ、俺は出てくからな。……後は約束通りどうにかしとくが、あんたも上手くやれよ」

 ネデがそういって廊下へ出ていくのを、シーグルは音だけで察する。

「いいか、ちゃんと説明しておいてくれ、俺は騙すような奴だと思われたくないからな」

 そうして、少し騒がしい足音は部屋から出ていき、すぐに遠ざかっていく。
 部屋には、窓から入る風と、遠い潮騒の音しか聞こえなくなる。
 目の前に座っている男が、テーブルに体重を傾け、僅かに身を乗り出したのを、気配と軋むテーブルの音でシーグルは知った。





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次回はこの二人の再会のやりとり。
ぞの次の回がエロ回となります。



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