旅立ちと別れの歌




  【11】



 二本目の勝者としてレイリース・リッパーの名が呼ばれると同時に沸き上がった人々の声を聞いて、セイネリアは大きく息を吐くと背もたれに背を預けた。どうやららしくなく緊張していたらしいと思って、それから唇に笑みを乗せた。
 馬上槍試合は、基本は三本勝負、先に二本取った者が勝ちになる。
 レイリース・リッパーとチュリアン卿の戦いは三本目まで行われず二本目で勝負がついた。勝者はレイリース……だがそれは試合結果だけが示すような圧倒的な勝利ではなく、ほんの僅かな差の勝利だった。

「……決め手は正確さか」

 馬上槍試合では槍の当たった部分によりポイントが入る。勿論、どちらかが落馬をすればポイントに関係なく落馬しなかった方が勝者となるが、どちらも堪えた場合はそのポイントが高い方が勝つ。今回は二本とも互いに落馬も、体勢を大きく崩すこともなく、更にどちらも一番ポイントの高い鎧の胸を当てに行って実際当てていた。だからその次の判定基準である『どちらがより正確な位置にあてたか』が勝敗を決めた訳だが、二本ともシーグルの方が正確に、胸にあったマーカーに当てていた。

「確かにあいつの正確さは化け物レベルだからな」

 体力がなく、筋力が劣るのを補う為に、とにかく最大限効率よく剣を振り、正確な剣さばきで相手の剣を弾き、受け流し、力を利用して切り返す。それを徹底的に磨いてきたからこそこういうぎりぎりの戦いで勝てたのだろう。ある意味、あまりにも『彼らしい』勝利に思わず笑い声さえ漏れる。
 ただこれはクリュース式のルールだったから勝てたともいえた。なにせ他国ならそこまで正確に槍の当たった位置を確認出来る手段がそもそもない。この手の場合は引き分けとなるのが普通で、もし引き分けが続いて再試合の回数がかさめばシーグルが体力切れを起こす可能性は高いだろう……まぁ、そんな事を考えるのは意味ない事だと、負けたチュリアン卿も思っているだろうが。ただそう考えた後にセイネリアは思う――ただし、シーグルはそれを分かっているから自分の勝利は運が良かっただけだと言い出しそうではある、と。

 人々の興奮と歓声が収まり切らない中、馬に乗ったままゆっくりとシーグルが会場を一周する。がんばって『イイコ』にしようとしていたシグネットも自分に向かってお辞儀をされればさすがに興奮して手を振ってしまって、母親のため息と周りの微笑みを誘うことになった。

「レイリースすごいね、つよくてかっこ良かったね」

 母親に遠慮しつつも上機嫌でこっそりセイネリアにそう言ってきた、小さなシーグルが嬉しそうにはしゃいでいるように見えるその顔に、思わずセイネリアも頭を撫でてしまってから苦笑する。もう少しで抱き上げてしまうところだったなと自分が思った以上に興奮している事を自覚すれば、あとで実物の彼に会った時に自分をちゃんと抑えられるのか心配になる。

「後でレイリースに会ったら、お前も強くなったところを見せてやれ」
「うんっ」

 それに嬉しそうに返した少年の銀髪の頭をもう一度撫でて、セイネリアは会場の声に応える黒い甲冑の彼を見つめた。

 だが、そこから一度選手達が退場し、表彰式の準備が始まるとセイネリアの機嫌は僅かに下降する。
 理由は単純で、準備の間に一度くらい顔を見せろとシーグルに使者を送ったら、シーグルはチュリアン卿と剣で一勝負することになったという事で、こちらに来れないという返事が返ってきたからだ。

「前からの約束だったそうで、この機会にぜひってことらしいっスよ」

 チュリアン卿が頼み込んだのならシーグルが断れる筈はない。主であるセイネリアにはプライベートで会うより先に正式に帰還の報告をしてから――と彼の性格上そう考えるだろうと分かっていても、やはりセイネリアとしては簡単に納得出来ないのは仕方なかった。

「まったくあいつは真面目すぎる」

 自分でもみっともないと思いつつ呟いてしまえば、報告役だったフユは肩を竦めてウインクしてみせた。

「そうっスねぇ、ンでもボスに連絡なく帰ってきた早々こんなトコに出てくるんですから、そこまで真面目でもなくなったのかもしれないっスよ」

 それには確かに、と納得できる部分もあって、セイネリアは考える。
 自分を驚かせる為――というだけならこの行動はあまりにも彼らしくない。もとからシーグルは何度もこの競技会に出る機会があったのに、この手のお祭り騒ぎは嫌だからと出ていなかったのだ。シルバスピナ卿時代に出なかったのは貴族騎士同士のお遊戯大会だからまだ分かるとして、一般人が出られるようになってからレイリースとして出場する機会は今までにもあった。なのに出たがる素振りさえ見せなかった今何故出る気になったのか……普通なら主を驚かせる為、どれだけ自分が強くなったかを劇的に演出して示す為だろうと考えられるが、それらの行動理由はどれもあまりにも彼らしくないのだ。
 ジクアット山での修行で考え方も変わったのか――そう考えれば一応納得できるが、それでもどこか違和感がある。彼が帰ってきたとそれで頭がいっぱいになってしまったが、何か他にも意図するものがあるのかもしれないとセイネリアは思う。
 生まれた疑問は喉につかえる小骨のように、待ち焦がれた存在の帰還というなによりも嬉しい出来事をただ喜べなくしていた。大した問題ではないだろうと思っても、何故か不穏なものも感じて、セイネリアは考える。

 そしてそのまま表彰式が始まって、そこでセイネリアの疑問は解消される事になる。ただし、それは思った通りの不穏な事態としてだったが。







 聖夜祭当日の競技会で総合優勝となった者は、その年の月の勇者として、深夜にある本式典で聖火を灯す役目が与えられる。それは大変名誉ではある事は確かだが、勿論優勝者にはそれに見合った褒美も与えられる事になっていた。
 人々の歓声に包まれて、シーグルは月の勇者の冠を受ける。本来ならそこは兜を脱ぐところなのだが、シーグルは兜の上からそれを乗せられた為なんとも妙な恰好になってしまうのは仕方ない。それでも彼が民衆に手を振れば大きな拍手が沸き起こって彼を讃える声があちこちから降り注ぐ。
 それから、ロージェンティとシグネットが椅子から立って、その場からロージェンティが祝福の言葉を告げる。今回は特例としてシグネットもセイネリアに抱えあげられて、その場で一言だけ、大好きな恩人の戦士に向かって言葉を投げた。

「レイリース、おめでとう」

 その愛らしさと微笑ましさには笑いと大きな拍手が起こって、シーグルには王からの賞金の袋が渡される。そして最後は冠を渡した主席大神官へシーグルが跪き、リパ神からの褒美として何か一つ願いを言う事になっていた。

「私の願いは……我が主であるセイネリ・クロッセス様と戦う事です。そしてもし私が勝てたなら私があの方としている契約を破棄して頂きたい」

 会場の盛り上がりが一転して不穏なざわめきに変わる。シーグルの言った願い事の意味がすぐに理解できなかった人々は、ざわめきの中互いに確認し合う。

「つまり、将軍様と戦って勝ったら部下をやめさせてくれって事だろ?」

 『契約』の内容を知らない人々としては結論をそう出すしかなく、ざわめきは更に大きくなる。一般人としてはレイリースと将軍の不仲の噂を聞いていたという訳でもなければ、二人の関係も冗談交じりの下種な噂を聞いたことがある程度しか判断材料がない。そんな人々が疑問だらけになるのは当然の事態ではある。
 とはいえ、願い事が出ればあとはそれが認められるかどうかだけの問題だった。形式としてはその願いはリパ神が聞き届けるかどうかで決まるのだが、この場合はどう考えてもセイネリアの返事にかかっているのは誰もが分かっていた。
 だから、人々の視線は自然とセイネリアに向かっていく。
 現政権の力の象徴、人々の畏怖の対象である最強の騎士に会場中の意識は集中する。
 シグネットが心配そうに見つめる中、セイネリアはゆっくりと自分の席から立ち上がった。

「一つ聞く、何故契約の破棄そのものを願いとしない?」

 セイネリアが聞き返せば、月の勇者となった、帰る事を何よりも楽しみにしていた大切な存在はこちらを向いて声を張り上げる。

「貴方に頼むのに、神頼みだけで叶えて貰おうなど虫が良すぎるでしょう。一度した契約を破棄するとなれば、貴方から力で勝ち取らなければ」

 セイネリアは唇を大きく歪ませる。それは笑みというには背筋が凍るような凄惨な印象を人々に与えて、会場の空気が一気に冷えて音が消えた。

「いいだろう、その願い受けてやる。勝負は剣でいいか?」

 静寂の中響いた昏い響きの声に、人々がごくりと唾を飲み込む。
 だが、それにも冷静に将軍の部下である男は答えた。

「はい、ルールは『術あり』の一本勝負で構いませんか?」
「あぁ、それでいい」

 言い捨てて、セイネリアは体全体を覆うマントを大きく翻すとそのまま人々に背を向けた。そうして一人、退出してしまった彼を、人々は呆然と見送ることになる。だがそれから暫くして、誰からともなくあちこちから拍手が起こった。その拍手は次第に大きくなって、やがて会場を揺るがす程の拍手と歓声へと変わる。
 人々は理解した。
 将軍とその側近の間に何があるのかは分からなくても、これから自分たちが見ることが出来るのは、あの誰もが最強と恐れる男と、チュリアン卿さえ倒した今年の勇者の戦いなのだ。それが最高にレベルの高いものになることは既に決まっている。こんな貴重な対戦を見れることがどれほどの幸運であることか――人々の興奮は拍手と共に高まっていく、地面が震える程の音の嵐の中、若い主席大神官であるテレイズの声が告げた。

「願いは聞き届けられた。リパは、貴方の願いを認めました」

 テレイズの前に再び跪いた後、立ち上がったシーグルは去ったセイネリアの席に向けて深く頭を下げた。







 控えの部屋に入ったシーグルは大きく息をついて腰を下ろした。
 とはいえ、気を抜いた訳ではない。ここからが本当の本番、この為にシーグルはこの三年程を費やしてきたのだ。

「よう、おめでとう、とうとうここまで来たじゃねぇか」

 顔を上げれば、今回の件の根回しをこっそりしてくれていた兄と呼ぶアッテラ神官の笑みがあって、シーグルは安堵が混じった苦笑を返した。

「いろいろありがとう、エル。だがおめでとうは無事俺がセイネリアに勝てたらにしてくれ」
「まぁそりゃそうだな……で、どうよ、勝てそうか?」

 ニカっと笑う彼の顔を見ると安堵し過ぎてしまって困ると思いながら、シーグルは一度目を閉じて表情を引き締めてから彼を見る。

「勝つつもりではいるさ、勿論」
「そっか、応援してっぞ」

 それでもにかっといい笑顔のアッテラ神官の顔を見てしまえば、シーグルもやはりつられて笑みを浮かべてしまうのだが。

「あぁ、だがその所為で後であいつに怒られないようにな」
「うん、まぁ……大丈夫だろ、多分。お前が勝てば全部うまく行く……筈だよな」
「どうかな」

 今度は少し自信なさそうに言えば、エルは顔を顰めて、おいおいっ、とつっこんでくる。そんなやりとりが嬉しくてシーグルは声を上げて笑った。けれど互いに笑いあってから、次第に小さくなる声と共にシーグルは表情を沈ませる。

「……あいつは、やっぱり怒っていたか?」

 聞けば、エルも苦笑してトレードマークの長棒で肩を叩きながら言った。

「まぁな、おっかなくて誰も近寄れない状態だな」
「そうか、だが様子がおかしかったりはないだろ?」

 それにはエルは考え込むようにして、それから腕を組んで唸る。

「んー……まぁ何か被害が出るようなヤバイ状況じゃないし、将軍セイネリアのイメージ通りの怖さといえばそれまでなンだが……なんていうか、最近はやたらと丸くなったマスターばっかみてたからさ、そっからすりゃぁ様子がおかしいって思うけどな」

 自分がいない間、セイネリアがどんな生活をしていたのか……それに一瞬思いを馳せて、それからシーグルはエルに向かってにこりと笑う。

「……大丈夫だエル、あいつの声は冷静だった」
「冷静ってか凄んでたがな」
「冷静だったさ……少なくとも、黒の剣に意識を引っ張られれているようなことはない、あいつらしい冷静な声だった」
「まぁ確かに、らしいっちゃらしいか」

 それからシーグルはエルに向き直ると表情を引き締めて尋ねた。

「それじゃぁエル……兄さん、ちょっと最終調整を手伝ってくれないか」



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 多分このときのシーグルサイドとセイネリアサイドの温度差は恐ろしいことに(==。
 



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