【10】 新政権が動き出して、首都セニエティにあるリパ大神殿もまた、朝から晩まで慌ただしい日々を送っていた。なにせここはクリュースにおける国教の主神リパの総本山である、国の祭事では毎回重要な役目があるのは当然で、そうなれば準備する事は山のようにある。……だというのに、突然主席大神官が辞任するという話も持ち上がって、神殿上層部は混乱をきたし、下の神官達も忙しいのに処理が滞るというとんでもない事態に陥っていた。 そんな大混乱の大神殿にあって、部屋から出ず、その存在さえもが忘れられそうな人物が一人。彼はアルスオード・シルバスピナの処刑後からずっと部屋に篭り、心配した彼の友人がかろうじて食事を運んだり様子を見に来ていたりしていたのだが、それも神殿内の混乱の中で忘れられがちになってきていた。そんな時……彼に、客人がやってきた。 「クルス、入るぞ。お前に客人だ」 神官が部屋に声を掛けても返事は返ってこない。ただ、こういうところでは部屋に鍵はついていないので、少し待ってから神官は仕方ないとばかりに部屋を開けた。 部屋の中には……確かに人はいた。 だが、神官に連れられて客人である男が入ってきても、ベッドの上にいるその人物はピクリとも動く事はなく、男は案内してくれた神官に聞いた。 「もしかして、病気なのか?」 「病気といえば病気かな、心の方の、だけどな……ただこのままじゃ体もマズイだろうな、どうにか出来ればいんだが」 それで大方の事情を察した男は、ベッドに近づいていってこの部屋の主である青年に頭をさげた。 「初めまして、だと思うが。俺の名はアウド・ローシェ、騎士団の……シルバスピナ卿の元部下だ。あんたに聞きたい事があってきた」 少しも動く気配を見せなかったその人物が、シルバスピナ卿、という言葉に反応する。ゆっくりと動きだし、顔を上げてこちらを見る。 「シルバスピナ卿……」 「あぁ、アルスオード・シーグル・アゼル・リシェ・シルバスピナの事だ、あの人の隊の一人だった者さ……もっとも今はもう、騎士団を辞めた身だがな」 げっそりと痩せたその顔の中、こちらを見つめる瞳から涙が零れる。そうして彼はゆっくりと起き上がると、ベッドに座ってちゃんとこちらと向き合ってくれた。 それでどうやら話は出来そうだと安堵したアウドは、近くにあった椅子を引いて座ると、気まずそうにしている案内の神官に声を掛けた。 「ちょっと、込み入った話があるんで出来ればこの人と二人にしてもらいたいんだが……だめかな?」 「それは……クルス、いいのか?」 神官が戸惑いがちにベッドの上の青年に尋ねれば彼が頷く。それでほっとしたようにさっさと部屋を出ていった神官の様子からして、実はここに居たくなかったのだろうとアウドは思った。 さて――と、改めてクルスという元シーグルの冒険者仲間であった神官に向き直って、アウドはその人物のあまりの様子に一度顔を顰めた。 「あんたは、隊長……あぁすまんな、どうにもあの人の事はそう呼んでしまうんだが……アルスオード・シルバスピナが処刑されるその場を見てたって聞いたんだが」 それにクルスは大きく目を見開いて、びくりと怯えたように震える。もう少しいいようがあったかとアウドは自分の失態を後悔したが、クルスは辛そうに目を伏せながらも答えてくれた。 「ええ……見ていました」 「確かにそれはあの人本人だったか?」 「それは……私はそう、だとは思いましたけど……ただ遠かったので」 「そっか、なら違うかもしれないんだな」 そこまで言えば、クルスという神官は少し驚いたように顔を上げる。シーグルから聞いた事がある話では『優しい容貌の青年』というその面影がないほど憔悴して痩せこけた顔の中、目だけが大きく見開かれてこちらを凝視してくる。 「それは、シーグルが処刑されていない……生きているという事ですか?」 あまりにもこちらに向けるその目が必死で、一瞬、アウドは答えに迷ったが、それでも出来るだけ落ち着いた声になるよう努めて返した。 「少なくとも、俺はそうだと思ってる」 言えば、先程まで絶望に沈んでいたその表情に僅かな希望が浮かぶのが分って、アウドは一度ため息を付いて、それから言葉を続けた。 「いいか、考えてみてくれ……まず、あそこまで強引に処刑が行われたのがおかし過ぎる。いくらあの人が邪魔だったと言っても、あれじゃ反発が強くなるだけでレオロッツに得はないだろ、あの元王様はそこまで馬鹿だったのか? そしてセイネリアだ、あの人に何かあればいつも奴自ら動いてあの人を助けた上、その原因の連中を徹底的に潰してたんだぞ、それぐらいあの人に執着してた、それがあの人の処刑に何もしないのはあり得ないだろ。動いたが失敗したというなら、いくら王が相手でも派手な騒ぎの一つ二つは起こった筈だ」 すると青年は身を乗り出して訴えるように言ってくる。 「そう……です、何も起こらなかったんです。私は……シーグルを助けようとする人達に協力する予定であの場にいたんです。なのに、計画は失敗どころか始める事すらできなくてっ、最初の騒ぎを起こすところからまったく何も出来なくてっ……」 青年の瞳から再びぽろぽろと大粒の涙が溢れだす。それから彼は興奮しすぎた所為か咳き込むと、少し息を整える為に蹲った。アウドは立ち上がって彼の傍にいくと、その背を擦ってやりながら言った。 「な、考えればおかしい事だらけだろ。だからな、俺は、あの人は生きてると思ってる。たとえばあの処刑は偽装で、それが分ってたからセイネリアは動かなかった、という事なら辻褄があうだろ?」 「えぇ……えぇ、そうです、ね」 縋るような目でこちらを見あげてくる青年に、アウドは目を細めて……そうして、彼の頭に手を置いて出来るだけ優しく撫でた。 「俺はあの人が生きてるって信じてる。あの人はあんな死に方しちゃいけない人だろ、もし神様ってのが本当にいるなら、あの人を真っ先に助けてくれなきゃおかしい」 「はい……そう、です。そうです、よね」 ぽろぽろと泣きながら、神官の青年はその顔に笑みを浮かべて目を閉じる。 それだけでこの青年にとってシーグルがどんな存在だったかが分って、アウドは見ているだけで胸が痛くなった。とはいえ、おそらく彼のような人間は、自分と同じ道を辿るべきではないとも彼は思う、だから……。 「ただな、多分、あの人が生きていて今、表に出てこないってのは、それ相応の事情があるんだと思う。ここまでの状況になっても死んだ事にしてるってのは、もう一生アルスオード・シルバスピナとしては帰ってこないつもりじゃないかと思うんだ」 青年の表情がまた強張る。それでも彼にはいっておかなければとアウドは思う。 「あの人は生きてる……だけどもう二度とアルスオード・シルバスピナは帰ってこない、そう、思っておくのがいいと思う」 「それは……どういう、こと、ですか?」 「あんたの前には二度と現れないかもしれないって事だ」 あぁそんな顔しないでくれ、と言いたくなるほどに青年の顔が哀しみに歪む。 アウドに出来るのは、出来るだけ優しい声で彼に告げてやる事くらいだった。 「俺はあの人に冒険者時代の事をちょっとだけ聞いた事があってな。あんたの事を話す時はそりゃ嬉しそうにな、大切な友人だと言ってた。たくさん助けて貰ったって言ってたよ。それで俺に……もしあんたが困ってるのを見たら力になってやって欲しいって、そうも言ってたんだ」 「そんな……助けられていたのは私の方です。私は彼に何度も助けて貰って……いつも助けて貰うばかりで……」 口を手で覆って泣き崩れる青年の頭を、アウドは宥めるように撫でた。 「だろうな。でもあの人は自分が助けた事より助けられた事を大切にする、そういう人だろ」 そう、あのどこまでも貴族様らしくない青年は、人の為に自分が動く事は軽んじるくせに、自分の為に何かしてくれる人間にはわが身を顧みないくらい大切に思っている。いくら部下達から人より自分自身を大切にしろと言われても他人を助けずにはいられない……とんでもない善人気質の生真面目な青年だった。 その彼の『大切な友人』なら、ちゃんと日の当たる場所にいて貰わなくてはならないだろ、とアウドは思う。 「だからな、もしあんたがあの人に何かしたいって思うなら、あの人の息子である新しい王様の為に働いてやってくれないか。多分、もう表に出れないだろうあの人には……あんたが出来る事でそれが一番嬉しい事だと思うんだ」 言えばか細い神官の青年は涙を手で拭って、小さな、本当に小さな声で、はい、と返事をした。それを確認してアウドは立ち上がった。 「いいか。あんたが悲しんで体壊したら本気であの人は悲しむからな。あの人は生きてる――だからあんたはあんたの出来る事をしてあの人を安心させてやってくれ」 ここにアウドが来たのは本当にただ処刑の時の事を聞きたかっただけであった。シーグルが生きている可能性の事まで話す気はなく、ただシーグルの親しい人間なら、処刑されたシーグルが本物だったのかどうか、おかしいことがなかったか分かるのではないかと思っただけだ。 とはいえここまで憔悴しきっている彼を見たら、ただ聞くことを聞いて去る事は出来なかった。そんな事をしたらシーグルに会わせる顔がないと思って、余計にしゃべってしまっただけだ。 「貴方は、これからどうするんです?」 部屋から出ようとしたアウドは、そう声を掛けられて一度足を止めた。 そうして少しだけ迷ったものの、正直に答えた。 「俺? 俺はな、あんたにあー言っておいて何だが、あの人を探すつもりだ。なにせ俺はあの人に剣を捧げてる、あの人の為に生きるって決めてるんでね」 「ならっ、私も……」 そこで急いで立ち上がった青年に、アウドは表情を引き締めて少し厳しい声を出す。 「いや、あんたはだめだ。あの人はあんたを大切だと言ってた……ならきっと、日の当たるとこで真っ当に生きて欲しいって思ってる。俺は元から真っ当な人間じゃないんでね、あの人が俺の誇りを取り戻してくれた日から、俺の誇りはあの人の為に働く事にあるんだ、あの人がいてくれなきゃ俺は日の当たるとこにいる価値のない人間なんだよ」 そうして最後に、主の大切な友人にアウドは笑ってみせた。 「じゃあな。なんならまた、次は元気になったあんたの顔を見にくるよ。だけど俺が二度とあんたの前に姿を現さなかったら……そん時は無事、俺があの人に会えたって思ってくれないか」 --------------------------------------------- このエピソードも、後はちょっとだけシーグルとセイネリアの話をやって終わりになります。 |