【12】 「――い、おい、誰か生きてるか?」 声に気付いてエルが目を開ければ、そこには暗闇が広がっていた。 「俺、死んだ、のか?」 呟けば。 「生きてるんだな、怪我とかしてないか?」 と、聞こえた声は確かにウラハットだった。 それでエルは起きあがる。 体のあちこちが打撲の痛みを訴えているが、こんなのは怪我に入らないだろう。立とうとしたら左足に鈍い痛みを感じたが、どうやら折れてはいなかったので治癒術を掛ければそれで済む。 ――こういう時は、俺が神官でよかったと思うよ。 アッテラ神官の使える術は、基本、体自身の力を引き上げるようなものに限られる。ただ勿論、それらは全部本人の体の力によって成される訳なので、いくら力を引き上げても強くなれる上限は元の体の能力に拠るし、元の筋力がないのに酷使すればその後筋肉が悲鳴を上げる。 治癒術も勿論その延長な訳だから、体本来が持つ治癒力を促進させているだけで、治す為にはその分治される本人の体力が持っていかれる。 だからこそ、アッテラ神官は皆体を鍛えているというのもあるのだが、逆を言えば、体力が低下している相手はどうやっても治してやる事が出来ないとも言えた。 とはいえ今回のメンツなら、やばい怪我じゃなければどうにかしてやれるくらいの体力は皆あるだろう、とエルは思っていたが。 「こっちは大丈夫だ、そっちは怪我してないか?」 叫べばすぐに、ウラハットの声が返ってくる。 「……そうか、そりゃよかった。こっちは……怪我は、してる」 エルは立ち上がって、声の方に耳を向ける。 それから腰のベルトに手を掛けて、下げてあった道具袋に中身がある事にほっとして、袋の中に手を入れた。 「眩しいから目ぇ閉じてろよ」 エルは光石を手にとって、声がした方向へ投げる。 リパ神官の光の魔法が篭もった石は、冒険者なら大抵常備している便利なものだが、目くらましに使える程の強い光を放ってくれる反面、その光っていられる時間は短い。 手で光を遮って、直にみないようにしながら辺りを素早く見回せば、少し離れた場所に倒れるウラハットの姿が見えた。更には、自分からそこまで離れていない場所に、ラスハルカの姿も見えた。彼の方は返事がないが、元々意識を失っていたから死んでいる訳ではない――と思いたい。 光が消えて、目の残像を振り払うと、エルはウラハットが倒れていた場所へと向かう。 その足が急いでいたのは、倒れていた彼の姿が大きな瓦礫に半分隠されていて、傍に赤い血の色が見えたからだった。 「おい無事か? どこ怪我してる、言えば治してやるからよっ」 言えば相手は力なく笑った。 「はは、治癒術は無駄だな。まずはこの瓦礫をどかさないと」 「わあってるっ」 言いながらエルは瓦礫に手を掛けて持ち上げようと試みる。だが瓦礫は相当に重いものらしく、エル程度の力ではびくともしなかった。 「くっそぉ、セイネリアがいりゃぁなぁ」 あの馬鹿力ならもしかして、いや、彼だけでは難しくても、皆がいればどうにかなるかもしれない。そうは思っても今は他に誰もおらず、自分では持ち上げられそうにないのだから詰んでいる。ラスハルカが気がつけば手伝っては貰えるだろうが、これだけびくともしない重さなら、それでも無駄だろうとエルは思う。 エルには最後の手段として筋力を上げる術があるが、それはその後の疲労を考えるとそうそうに使える術でもない。せめてある程度の手応えがあれば使うのだが、今の手応えでは術を使ってさえ持ち上げられるとは思えなかった。 「いいから、怪我してるとこ言ってみろ。血止めだけでもしときゃ持ちが違うだろっ」 「はは……いいよ、いいんだ」 「うるせぇっ、そう簡単にくたばるんじゃねぇっ」 最初から死に場所を探していたような彼だ、ここで諦めさせない事の方が難しい。 エルは舌打ちをしながら、彼に覆い被さる瓦礫を手でたどって、どうにか持ち上げやすい場所がないかを探してみる。 「いいんだ……最後にあんたと話が出来るなら、ここが俺の死に場所って事なんだ」 「何ふざけた事いってやがるっ」 エルは瓦礫に力を入れてみる。 どこを持ってもびくともしないそれは、相当に重いものらしい。 だが、必死なエルの耳に、ウラハットの穏やかともいえる声が聞こえた。 「ある貴族が護衛毎皆殺しにされた事件だ。あんたが聞きたがってた……その真実の告白を……聞いて、くれるか神官様」 エルは瓦礫から手を離して、声の聞こえてくる暗闇を凝視する。 「俺は……リパの神官じゃねぇ」 罪人がその罪を告白して楽になるのは、慈悲の神リパに仕えるリパ神官の仕事である。もしくは、罪人の神ヴィンサンロア神官か。戦いの神アッテラの神官には、そんな仕事はありえない。 「わかってるよ。でも、あんたはそれを俺に聞きたかったんだろ? あんたに聞かれて思ったんだ……俺はきっとここで死ねるんだろうって。やっと、罪を罪として裁いてもらえるんだと」 「だからっ、俺には告白を聞く事も、罪を裁くような権利もねぇっ」 「いいんだ、あんたはこの話を聞く為にここにいるんだよ……」 ウラハットの声は穏やかだった。 安堵しきった声は、死にゆく者の覚悟が出来ていた。 「アリエラにも言ってたろ、俺には愛する人がいた。けどな、俺は自信がなかったんだ――……」 暗闇の中に、静かな彼の声が響く。 彼の告白は、エルに知りたかったすべての真相を告げた。 「俺の恋人……という事になっていた人は騎士で、跡取ではないが貴族だった。一方俺はただの靴屋の小倅で、上級冒険者になれたとはいえ騎士でもなく、到底彼女につりあう筈なんかなかった。だから、付き合っていてもずっと後ろめたいというか、彼女に申し訳なくて、自分に自身が持てなくてね、どうしても結婚を申し込めなかった。――だがそれで悩む俺のところに、ある日とんでもなく条件のいい仕事の話が入ってきたのさ」 それが、ある貴族の護衛の仕事――ただし、それが本来の目的ではなく、彼は依頼主にその仕事の内容、つまりその貴族の移動のルートと護衛交代や休憩場所の予定を教え、彼が見張りの時に襲撃者を通して、自身はその場を逃げる事になっていた。 「つまり、内通者はあんただったって事なのか」 「あぁ、そうだ」 成功した場合、彼は依頼主の貴族の屋敷で雇って貰える事になっていた。しかもそこで仕事をした後、その貴族のつてで彼は騎士になる為の条件の一つ、従者になった騎士から貰える、騎士試験を受けてもいいという証明書も出して貰える事になっていた。 騎士になれれば、立派な貴族に雇われて世間的にも認められれば。そうすれば彼女に結婚を申し込める。 そう思った彼は仕事を受けた。心に残る罪悪感は、どうせ自分が受けなくても他の誰かが受けて結局同じ結果になるのだから、と自分に言い聞かせた。 そうして、仕事は雇い主の思惑通りにすべてうまくいった。 けれども、彼の人生の計画はうまくいかなかった。 「ばちが当たったんだろうな。――いや、そんな言い方はだめだな。俺の罪を裁く為だけに彼女が死んだなんて思いたくない」 そこまで淡々と話していたウラハットの声が震える。エルが知りたかったのはここまでの話だが、ウラハットにとってはここからが重要な話なのだろう。 「俺は知らなかった。俺は護衛として雇われてはいたが、いくら上級冒険者といっても、平民出の者なんて貴族の傍において貰える筈なんかなくて、遠回りにしか護衛の馬車をみてなかったから――まさか、彼女がその貴族の身辺警護の仕事についていたなんて知らなかったんだ」 それだけで、その後の結末は見える。 逃げて一人だけ助かり、雇い主に言われた通りの証言をした彼は、その後で彼女が死んだ事を知ったのだ。しかも彼女が死んだ原因は自分のせいで、彼は狂う程に嘆いて後悔したに違いない。 死に場所を求めるようになったのも、その理由ならわかるとエルは思った――かといって彼に、同情など欠片もする気にはなれなかったが。 「しかもだ、雇い主の貴族の方は約束なんか守る気はなくて、最初から俺を始末する気だったのさ。……でも、俺はもうそれでも構わなかった、だから抵抗もしなかった。そしたらな、殺さなくていいって、仕事を持ってきた雇い主の遣いはいいやがったんだ。こいつはもう死んでるも同じだ、放っておいていいだろうって」 後に続くのはウラハットの乾いた笑い声だけだった。けれどもその声は次第に嗚咽となり、そして最後には啜り泣きに変わっていった。 エルは黙って彼の話をただ聞いていた。 やりきれない思いを握りしめた拳に込めて、だが、彼の泣き声がやがて止んで静かになった時、彼はふと気づいてウラハットに声を掛けた。 「おいっ、それで、お前の雇い主だった貴族ってのは誰なんだっ」 けれども返事は返らない。 どうにか暗闇の中を慎重に歩いて彼の元へ戻ったものの、触れた彼の体はぐにゃりと力が抜けていて、揺り動かしても反応を返さない。 「くそっ、死ぬなら最後の問いに答えろっ、まだ死ぬんじゃねぇっ」 エルは手探りで、彼の顔だと思われる場所を見つけて叩く。 そこでやっと、触れたウラハットの体がピクリと反応を返した。 「……あぁ、お嬢ちゃん……に、代わりに死ぬんじゃなくて、ごめん、て……」 小さな、小さな、本当に微かな声でその言葉を呟いた後、ウラハットの体からは完全に力が抜けた。今度は何度動かしても、何度叩いても、彼から反応が返ることはなかった。 エルは焦った。 「ざけんなよっ、勝手に一人で楽なってんじゃねーよ。くそ、目ぇ覚ましやがれーーーっ」 暗闇に叫んで、床を叩く。 そうして彼は、次に遠くから人の声を聞いた。 --------------------------------------------- そんな訳でエルさん回。そして、エルさんの事情についてはここまで。 本編を読まれた方には、ウラハットの告白と、本編ラスト周辺との繋がりというか因縁が分かるかと。 |