【13】 クリムゾンが気がつくと、そこはやはり暗闇の中だった。 けれども彼は焦る事なく、辺りの気配に意識を巡らせた。 暗闇は怖くない、暗闇は昔から彼を助ける場所だった。だから見えなくても気配を辿り、そうして彼は静かに立ち上がった。 「ふん……無事か、ならさっさとここを出るか」 聞こえた声に、クリムゾンは驚く。相手の気配に気付けなかった事にまず驚いて、そしてその声が余りにも落ち着き払っていたのにまた驚いた。 「出る、と言うとどうする気だ?」 クリムゾンは上を眺めてみたが、元々いた場所も暗かったため見上げても僅かの光も差し込んでこない。これだけの暗闇では、そう気楽に抜け出すと言える状況とは思えなかった。 「お前、ランプをつけられるか?」 言われてクリムゾンは、慌ててベルトに括りつけてある荷物に手を伸ばすと舌打ちした。 「携帯ランプは落したな。粉も少し濡れてる」 「そうか、こちらも同じようなものだ」 さすがにこの状況では当分明かりは望めそうになくて、長期的に辺りを照らす手段が欲しくなるのは当然ではある。 クリムゾンは勿論、一応冒険者の基本装備としてその為の用意をして来てはいたが、この場合一番使い勝手のいいランプについては落下の衝撃でどこかへいってしまったようだった。しかも床は地下水で濡れているらしく、お陰でこちらの体も濡れて、燃料である明かり粉の方も使いものにならない。 後、今持っている物で辺りを照らせるものといえば、濡れても問題ないリパの光石くらいだが……あれは一瞬だけしか持たない為、今回の場合には使い難い。 だが、そうして考えているクリムゾンの傍で、黒い騎士が僅かに笑った。 「何がおかしいんだ? お前はどうする気だったんだ?」 言えばセイネリアの少し楽しそうな声が返る。 「なに、あの女は便利なものをくれたろう?」 言っている間に相手が動く気配がすれば、暗闇に光の輪が現れる。 そういえば、メルーが荷物はこの中へ、と言って開け方を教えていた異空間の倉庫は、開ける時にその入り口が光で覆われると、クリムゾンは今思い出した。 暗闇がその光を受けて、わずかにあたりの様子を映す。 現在いる部屋はあまり広くなく、それどころか部屋でさえなく、通路の一角のように見えた。壁は掘ったままの岩肌が見えるところと、きちんと壁になっているところが見える。 「地下通路か?」 「そんなところだろうな」 木で出来た魔法の鍵を空間に刺し、キーワードを唱えれば空間は消える。あたりはまた暗闇になったが、一度辺りの構造を見ている分、進むのには問題がない。 「戦力的に考えて、俺たちが動いてほかの連中と合流するほうがいいだろう」 言ってセイネリアは歩き出す。 クリムゾンもその意見に異論はなかった。 相手の気配を追って、彼も傍の壁に手をつけて歩きだす。 どうやら、床はむき出しの岩の上に布が敷いてある状態らしく、思ったよりは滑らないが、ぽたぽたと落ちる水滴の音が絶えないだけあって、ところどころある窪みは水溜りになっていた。その為、軽く足場を踏みしめてみれば濡れているせいかやはり滑りやすくなっている。 ある程度歩けば、またセイネリアは鍵を取り出して空間に光を呼ぶ。それで道を決めてはまた歩き、光を呼んで辺りの様子を伺う。 頭のいい男ではあるらしい、とクリムゾンは思う。 リパの光石くらいなら、クリムゾンも、そしておそらくセイネリアも持ってはいるだろうが、そこまでたくさん持っているようなものではない。数に制限のない、空間魔法のおまけの光を利用したほうが確かに安心だ。 先を歩く男の足音は、しっかりと迷いがない。 あまりにも迷いがないから、クリムゾンは思わず聞いてみた。 「お前、もしかして道が分かるのか?」 「いや、道は分からないがな」 ならその自信のありそうな様子は何だと、そう言おうとしていたクリムゾンは、次に相手が言った言葉で口を閉じた。 「だが、魔法の気配が見えるからな、今はサーフェスのいるところに向かってる筈だ」 あっさりと言ったその言葉は、だが十分におかしい。 この男はここまで、自分同様、あれだけ魔法の気配には鈍感だったではないか。 「魔法が見えるってのはなんだ」 「あぁ、多分さっきの剣と契約したせいだな。あれからいろいろ勝手が変わっててな、正直面倒だ」 それでクリムゾンは思い出す。剣を持った時のその時の感覚を。 「……そうだ、何故、あんたは大丈夫なんだ」 クリムゾンは思わず呟いた。 彼が、剣を手にした時――まず、すさまじい怒りが意識を支配した。 だがその怒りは別に何者かの意思が流れ込んで来たという訳ではなく、クリムゾンの中にあったものが急激に膨れ上がったものだと感じた。それから、憎しみ、嘆き、さまざまな負の感情達が次々と膨れ上がって、頭が破裂すると彼は思った。 それでももがいて思考を手放すまいとすれば、ほんの少しでも何か考えると体をとんでもない魔力が流れて、考えた事にそのあり得ない魔力が向かっていく。 助けてくれと、手を伸ばそうしたら相手を潰す、そんな状態だったのだ。 意識は膨れ上がった感情に押しつぶされそうで、体は魔力に消し飛んでしまいそうで、あれを人間が耐えられるとは思えなかった。だからクリムゾンには、あれを平然と持っていられるセイネリアが信じられなかった。 「まぁ、助けがあったしな。それにこいつを使うにはどうやらコツがあるらしい」 「助けとはなんだ」 「……俺にこれを持って欲しいらしい奴の声が聞こえてな。使い方を俺に教えたのさ」 それはつまり、この男が剣に選ばれたという意味だろうか、とクリムゾンは思う。 魔剣、と呼ばれるものの実体は、その主以外には謎につつまれている。ただ、一般的に魔剣は、主を選び、剣が認めた者以外は抜けないといわれていた。この剣の場合、認めない者が持ったことに反発して、クリムゾンがあんな状態になったのだろうか。 「……その剣は、本当に最強の魔剣なのか?」 剣の主と認められたなら、その剣の力も分かる筈だとクリムゾンは思う。 「あぁ、おそらくな」 あっさりそう言った男の口調は冗談じみているが、逆にだからこそこの男の場合は信憑性が高い。 最強と呼ばれる男に最強の剣――なんだ、面白くもない、とクリムゾンは思った。 「ふん、最強といってもこんなところじゃ何の役にも立たないな」 だからそんな事を言ってしまったのは、おそらく嫉妬心だったのだろう。強さを求めて手をのばした自分が認められなかったものを、あっさりと手にいれたこの男への。 「そうでもないぞ、たとえばここから天井を吹き飛ばせば、空まで貫通出来るだろうしな」 やはりなんでもないように彼がそう返してきて、クリムゾンは見えない暗闇で目を剥いた。 「なら、なぜそうしない?」 その疑問は当然だ。それが出来るなら、こんなところをだらだら歩き回っている必要などないではないか。少なくとも、明かりがどうだこうだという必要がなくなる。 けれども男は当然といった口調で、やはりなんでもないように答える。 「そんな事をしなくても、ここを出るくらいは出来るだろ」 それでクリムゾンが納得出来る筈はない。 けれども、この男はクリムゾンのその必死の声を馬鹿にするように笑う。 「だが、剣を使えばもっと楽に……」 「あぁ、理由は簡単だな。俺はこの剣が気に食わない」 「……最強の剣だぞ?」 「あぁ、使えすぎてつまらん剣だ」 最強と言われる剣を手に入れて、つまらないと言ってしまう男の考えがクリムゾンには理解出来なかった。 だから、普段無口な彼らしくなく、感情を露わにして叫んでしまう。 「何言ってるんだ? 力を手に入れて嬉しくないのか? 最強になれるんだぞ?」 言えば男から小馬鹿にした笑いの気配は消える。 次に男から感じた気配は、圧倒的な自信だった。 「おまえこそ何を言っている、こんな剣などなくても最強と言われてるぞ、俺は」 クリムゾンは絶句する。 今まで、自分こそ最強の男だと豪語する男は何人も見てきたが、この男くらいその言葉を本当だと思った事はなかった。 その自信がどこからくるのか分からなくて、だが信じられないという思いとは別に、この男こそはそうなのだと認めてしまっている自分がいる事に愕然とする。 「随分、自信があるんだな、自分が最強だなんて言えるのは大抵口だけの馬鹿か、単に弱いものとしか戦った事がない奴らなのに」 闇の中で、男の喉を震わせる笑い声が響いた。 「……確かにそうだな」 余程楽しかったのか、足を止めてまで笑っている。 クリムゾンも足を止めて、男の次の言葉を待った。 「俺が最強の理由は……そうだな、まだ生きてるから、とでも言っておくか」 「なんだそれは」 「俺より強い奴がいたなら、とっくの昔に死んでる、という程度の意味だ」 楽しそうに言う男の理論は、無茶苦茶だとクリムゾンは思った。 けれども、分かるような気もした。 自信があるだけのモノをこの男なら持っていると、今の言葉からクリムゾンはそう感じてしまった。 「それだけ自信があるなら、そんな剣いらないだろ」 彼の強さを認めてしまえば、何故かそんな愚痴ともつかぬ感想が口から出る。 「そうだな、正直いらんな」 予想通り、彼はあっさりとそれを肯定する。 「やれるならお前にやってもいいが……生憎、俺が持たないといろいろ問題がありそうでな」 やる、と言われてもクリムゾンにその剣がもてない事は既に分かっている。だから、その言葉は皮肉かとも思い、クリムゾンは彼に皮肉で返してやる。 「はっ、それを俺が持ったらお前は最強じゃなくなるが、いいのか?」 けれど、それに返した相手の答えは、クリムゾンの予想とは違っていた。 先ほどまでの、どこか人事のように気楽だった口調が変わって、声に重みが入る。 「それは面白いな。最強になった貴様を倒すのは楽しそうだ」 その言葉は、剣の話を始めてから初めて、彼の本気の感情が入った言葉だった。 そこでやっと、クリムゾンは彼が先ほど言った、彼が最強である理由の意味を理解した。 確かに、こんな事を言っている男が、もし最強でなければ既に死んでいる。 少なくとも、首都周辺にいる者と、彼が辿ってきた道にいた者のなかでは、彼は間違いなく最強だったのだろう。 クリムゾンは、背に、ぶるりと震えるほど冷たい感触が走っていくのが分かった。 だがそれからすぐ、今度は冗談めいた軽い声が聞こえた。 「まぁ、こんなものを持っているせいで最強だと言われるのは癪だからな。俺は剣のおまけになりたい訳じゃない」 口調は冗談めかしていても、笑い声さえ混じっていたとしても、男の気配に笑みはない。いや、嗤っているのだ、今、目の前にいるクリムゾンのことを。 「いいか、最強と呼ばれるだけの能力と自信がある者なら、こんな剣の力などいらないと言う筈だ。なにせ自力で手に入る『最強』という称号にケチがつくのだからな。だからこの剣を欲しがる者は、最強には自力では到底届かないという事を認めている者、という事だ」 最強という言葉に釣られるまま剣を手に入れようとした自分を思い出して、クリムゾンは唇を噛み締める。言われれば彼の言葉をを否定できなくて、自らを恥じる事しか出来しかない。自分が自分の思っていた以上に矮小な存在だったという事実は、クリムゾンにとって許し難い事であった。 暗闇の中、そんなクリムゾンの顔を見れる筈もないのに、セイネリアがこちらを見て嘲笑っている気がした。 「まぁ、長話はこの程度にしておくか」 そうしてセイネリアはまた前を歩きだす。 クリムゾンはもう彼に言うべき言葉を持たず、その後に従うように歩きだした。 --------------------------------------------- ここから少々クリムゾンの話が増えてきます。 |